4,埋めようのない差
僕が東京教域に行くことが決まったのが10月。今は3月だ。一人で過ごす小学校での生活ももうすぐ終わりだ。小学校で見事に孤立した僕は環境を変えればどうにかなるのだろうか?
小学校のいじめも冷静に考えれば転校という手はあった。なのに僕はその手段をとらなかった。環境を変えるのが怖かった。
なのに今はここでやっていける気がしなくて環境を変えようとしている。それでも環境を変えるのは怖い。
理由はいろいろあるが僕が生まれつき背負っている病気が大きく関係している。僕は広汎性発達障害だ。発達障害の症状にはいろいろある。
生活上の広い領域に障害が現れるのが広汎性発達障害だ。僕の場合、運動神経が低い、手先が不器用、学力に悪影響がある、環境が変わるのを怖がる、嫌な記憶をいつまでもひきずるなど挙げればきりがない。
つまり僕は今なれないことをしようとしている。自ら違う環境を選んだ。もちろん小学校卒業という節目だからこその選択だったかもしれない。卒業前に転校しろと言われたらできなかったと思う。
そんな調子なので不安なのだ。今は教室にいるが学校には相談できる人がいない。僕は発達障害の影響で口数がやたらと多い。
なのに教室で息をひそめるように過ごすのは苦痛だ。何もしていないと余計なことを考えそうなのでとりあえず柔軟運動をしている。
柔軟運動の最中にこそこそ話が聞こえる。帰りの会の前なのでみんなそれぞれ会話をしていた。普段なら聞き流すがそうはいかなかった。
「火上君、中学は一緒にならないって言ってた。中学は少し遠いところに行くって。」
「寂しくなるな。」
少し遠いところ?どこだろう。都内なのか?まさか東京教域じゃないだろうな。火上がいないならこのまま中学に上がってもよかったのでは?
落ち着け。それじゃ何も解決しない。火上がいなくても僕のことを憎んでるやつらが山ほどいるだろうが。
いったん落ち着け。こういう時は深呼吸だ。駄目だ。不安すぎて気が休まらない。そのまま不安が高まりながら帰りの会が終わり学校を後にした。
今日は道場が開いている日なので道場に行った。組み手でもしてストレス発散しよう。白い帯を結んで空手着に着替え終わると僕と同じくらいの体格の少年がやってきた。
寺岡 清助だ。黒髪に黒っぽい茶色の瞳。白いわけでも黒いわけでもない肌。どこにでもいそうな特徴のない顔。身長が高い以外に目立つところがない。
しかし僕は清助を普通の少年だとは思わない。こいつの高すぎる戦闘力が僕に才能がないことを明確に主張する。こいつの帯は茶色。
こいつはこの年で極真空手の一級。黒帯の一歩手前にいる。黒帯でないのも黒帯になるのに年齢が足りないからだ。実力は不足していないはずだ。
「清助君、こんにちは。」
「こんにちは秀太!組み手やろうぜ!」
僕のあいさつに元気よく返事をした清助は組み手を所望している。実力はかなり離れているはずだがそれでも清助は僕との組み手を楽しみにしてくれている。僕自身も嫌ではないしとっとと始めるか。
脛サポーターとオープンフィンガーグローブをつける。清助もつける。お互い準備ができたら、一礼してから一言発する。
「「押忍!」」
それぞれいつものように構える。清助の構えも僕とよく似ている。僕はすり足で清助に接近する。清助のみぞおちを狙って一歩踏み込むと同時に左ストレート。
清助は僕の前腕の側面に左腕をあてて腕ごと拳をずらす。腕をずらされたことで僕はわずかにバランスを崩す。
その隙を清助は無駄にしない。体重が前足に移り、綺麗に腰を回して右腕が瞬時にまっすぐ伸びる。美しい右ストレートが僕のみぞおちに炸裂する。
痛みは感じない。僕は発達障害の影響で痛みが鈍い。さらに戦うときは感情が高ぶるので痛みはさらに軽減される。
僕は前に出る。攻撃されたからと言って動きを止めたらいけない。僕は前足でのローキックを清助の太ももの側面に命中させた。足を上げて防がれることもない。きれいに決まった。
足を攻撃して動きを鈍らせる。それが狙いだった。しかし清助の動きは鈍らない。清助は素早く右半身をねじるようにして後ろ足でミドルキックを放つ。
攻撃に意識が向いた僕はミドルキックに対して対処が遅れた。そのせいで攻撃をよけることも防ぐこともできない。
脇腹に清助の脛の真ん中が衝突した。後ろ足での蹴りは前足での蹴りより威力が高い。痛みはなくとも衝撃で体が揺れる。一瞬、動きが止まる。
清助は僕のみぞおちを狙って右ストレートを打ってくる。体勢が少し崩れ、回避ができない僕は右ストレートを左の前腕で受け止める。
受け止めただけで受け流せたわけではないので衝撃を逃がしきれない。しかしそれでも急所に当たるよりはかなりマシである。
何とか防いだが攻撃はそれで終わりではなかった。清助の左拳が半円を描くように動いたのが見えた。意識が清助の左拳に移った時にはすでに腹に拳がめり込んでいた。意識の隙間をついた左フックだ。
僕は後ろに跳んだ。このままだと負ける。少し立て直す時間が欲しい。だが清助は僕を逃がそうとしない。距離をすり足で詰めて左足を踏み込むと同時に上体を捻る。右ストレートだ。
狙いはおそらくみぞおち。僕は咄嗟に上体を左に捻る。右ストレートの回避に成功。僕は捻りを解くようにして左ストレートを繰り出す。
僕の左ストレートは清助のみぞおちに命中。追撃して体力を一気に削る!僕は腰を回転させて右ストレートを繰り出す。そう思わせてから右足を突然引き上げて前蹴りを腹に向かって放つ。
僕の足が伸びきる直前に清助は後方に下がる。僕の蹴りが空を切る。フェイントを見破られたのだ。おそらく僕が前蹴りを打つ前に清助は僕がそうするとわかっていた。
清助は僕が足を引き戻したと同時に素早く右ストレート。僕のみぞおちに拳が突き刺さる。足を戻した直後に攻撃を食らったため体がふらつく。
そうこうしているうちに左フックを腹にもらった。続いて前足でのローキック。僕は左足を上げてローキックを防ぐ。
だが後が続かない。右ストレートがみぞおちをえぐる。体力が削れる。でもやられっぱなしではいられない。僕は左足を下ろしてすぐに清助のみぞおちに左ストレート。
清助のみぞおちに僕の拳が当たると同時に僕の腹にも衝撃が加わった。腹に清助の左拳がぶつかっているのが一瞬だったが確認できた。
清助はすぐに腕を引いたので一瞬しか見えなかった。さすが清助だ。次に僕は前足でローキックを打つ。清助は足を引き上げてローキックを防いだ。
攻撃の手を緩めるわけにはいかない。足をもとの位置に戻してから今度は後ろ足でのミドルキック。清助は冷静に後ろに下がる。ミドルキックは当たらなかった。
下がった清助に接近してからの右ストレートは清助が左腕で横から押すことで受け流される。バランスを少し崩した僕は後退しようとする。
大きく後ろに下がったが清助の攻撃から逃れることができなかった。腰を前に押し出し上体を後ろに少し倒すことで放たれた奥足での渾身の前蹴りが僕の腹をへこませる。
強い衝撃が加わったせいで僕の動きが止まる。そこから清助の猛攻が僕の体力を削る。みぞおちへの右ストレート、腹への左フック、みぞおちへの右ストレート。
ここまででかなりの攻撃を受けていたので体力が削られていたのもあって三発ももらってしまった。僕は少しでも清助の体力を削るべく左拳を開き、清助の視線を遮るようにジャブのように掌底を放つ。
清助に一瞬の隙が生まれる。僕は勢いよく右ストレートを清助のみぞおちに突き入れる。続けて拳を握りなおして左フックを腹を狙ってぶちかました。だが腹に当たった感触がしない。
なんだかおかしいので左フックが当たったところを見た。僕は驚いた。拳が当たったのは肘だった。清助は肘を下げて左フックを防いでいたのだ。
現状を把握した直後僕のみぞおちから音が鳴る。続いて腹にも何かがぶつかる。清助の攻撃だろう。集中力が切れていてすぐに状況を呑み込めない。
なんで逆にあいつは集中力が切れていない?天才はすげえな。そんな余計なことを考えた僕は致命的な隙を作ってしまっていた。
清助が左足を軸にして体を大きく回転。顔をこちらに向けながら背中を向ける。次に何が起こるか僕にはわかる。だがもう手遅れだ。右足が勢いよくまっすぐに伸びた。
清助は僕の腹に見事に後ろ蹴りを決めた。僕は力尽きてあおむけに道場の床に倒れこんだ。息が苦しい。・・・・・・しばらく休憩するか。