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セオドアの物語 1

少し長めです。

 パトリシアがそこに居た。乱れた髪に窶れた姿で、いきなり私の前に跪いて、頭を床に付けて謝罪を始めた。

 私は何が起こったのか理解できず、震えているパトリシアを抱き起こすと、彼女の身体は熱を帯びていた。

 すぐさま客室のベッドに運び医者の手配をしたところ、無理な移動で身体に負担がかかったのだろうとの見立てだった。


「身重なのですから、無理をさせてはいけませんな。赤子は無事ですのでご安心を」


 医者はパトリシアの妊娠の事実を告げると、お大事にと帰って行った。


 公爵子息に囲われていたのなら妊娠はあり得るが、子を宿した娘を放り出すのかと私は怒りを覚えた。しかしもしかするとそれは、子息の意思ではなく公爵の意思なのではないかと気がついた時に、いつの世も繰り返される高位貴族の傲慢さと愚かしさに吐き気がした。


 平民が貴族に逆らえないように、低位貴族は高位貴族に、とりわけ王家と血縁関係にある公爵家の前では、全く無力である事を私は知っている。

 そしてそれは、封印していた過去の苦い出来事を、否が応でも思い出す羽目となった。

 寝息を立てて眠るパトリシアの青白い顔を見たわたしは、悲劇を繰り返さない為にも、ある決意をしたのだった。



 パトリシアとは王太子殿下視察の歓迎パーティの折に軽く会釈して別れたきりで、その後ダンスタブル公爵子息と共に王都へ向かったと聞いていた。


 娘が玉の輿に乗ったとはしゃぎ、周りに言いふらす考えなしのケイン子爵は、周囲の反応や自分たちがどのような目で見られていたのかを知らない。いや、気が付かない振りをしているのかもしれない。


 高貴な御仁の愛人として連れて行かれた哀れな娘、いずれ飽きられて捨てられるだろうというのが、パトリシアに対する大方の見方だった。

 

 資金難にあえぐケイン家を支えていたのは間違いなくパトリシアで、彼女は実家の為に犠牲になろうとしていた。 

 私はそんなパトリシアに同情し、好きに生きれば良いと後押しをしてしまった。いつ爵位を返上してもおかしくない程困窮している家の娘に、立場は違うが若い頃の自分を重ねてしまったのだろう。


 親の言いなりになる事を貴族に生まれた義務だからと諦め、それでも毅然とありたいというパトリシアの真っ直ぐな眼差しに、私は惹かれていたのかもしれない。どうしても困ったら、私に嫁げばいいと提案していた。15歳も年上の男からの言葉を彼女がどう受け取ったかわからないが、私は本気だった。


 まだ十代だった頃の話だ。

 マイヤー家というのは爵位こそ男爵だが、領地は肥沃で作物の生育が良く、国内だけではなく近隣諸国とも取引があり裕福な男爵家であった。その後、私の代でさらに領地が発展するのだが、父が家長の頃は、田舎の小金持ちの男爵家と認識されていた。


 私は嫡男として、王都の貴族子女の通う学院で学んでいた。そして、学院で知り合った、とある男爵令嬢と穏やかな恋を育んでいた。代々王都の文官をしている家系の娘だ。私達は学院の図書室で出会い、趣味が合う事から急速に仲を深めていった。実家にも彼女と婚約したいと伝え、また王都の男爵家へも挨拶に行き、婚約は秒読み段階であったが、彼女からの希望で伸ばされていた。

「セオドア様に釣り合う女性になりたいの」と言って勉学に励み、次の試験の席次が貴方に並んだら婚約者にして欲しいと言われた時、努力家で真面目な彼女の事が、ますます愛おしくなったものだ。

 彼女の真摯な思いに応えるべく、私もまた勉学に励み、ゆくゆく2人でマイヤー領を盛り立てて行く事が、大きな夢となっていた。

 彼女の名前を呼べば、はにかみながら笑う顔が好きだった。飾り気のない、嘘のない、純粋な愛情がそこにあったと思っている。


 その幸せが一変したのは、あの女が絡んできてからだ。あの女……公爵令嬢は、しがない男爵家の私に一目惚れしたなどと言って付き纏うようになった。

 きっかけは、街中で従者とはぐれた令嬢に、我が屋敷へ連れて行きなさいと命令されて、辟易したものの名前と場所を聞いて馬車を手配し連れて行った事に始まる。

 学院でも有名な我儘令嬢に逆らうと、私のみならず彼女にも被害が及ぶかもしれないと考えての行動だった。

 しかし、その令嬢の目には、困っていた自分に手を差し伸べた頼もしい人物だと映ったようだ。


 正直なところ、迷惑この上なかった。

 公爵家は私自身とマイヤー家について調べ、これは拾い物かもしれないという結論に達したようだ。

 田舎とはいえ肥沃な領地を持ち、他国とも交易をしていて領地経営に問題はない。私は成績優秀で真面目な学生だったから、苛烈な性格から婚約が破談になった我儘な娘を押し付ける相手に丁度良いと判断したのか。


 公爵家は、実家に令嬢との婚約を打診し、その見返りとして保有している伯爵位を譲ろうと、悪魔の囁きを両親に告げた。


 金はあるが名誉は無いと父はよく零していた。伯爵位をくれるという甘言に心を揺さぶられた父は、公爵家との縁談を受け入れてしまった。


 全ては私が王都で勉学に励んでいる間に勝手に進められていた。私は愛する彼女との婚約が進まない事に疑問はあったものの、彼女の親が難色を示しているのだと思っていた。それゆえ益々意地になって、結果を残すために勉学に励んだ。



 ある日突然彼女が学院に来なくなった。前日までは確かに見かけたが、例の公爵令嬢に付き纏われ、なかなか2人で話す機会がなく、私自身苛立ちを感じていた矢先の事だ。

 休みが数日となって、心配になった私は彼女の家を訪ねていった。公爵家との婚約は私が強く拒否した事で一旦話は止まっていたが、そのせいで彼女に迷惑がかかっているのではないか、そのうちあの令嬢も飽きるだろうから少しだけ待って欲しいと、誤解を解くつもりだった。


 案の定、彼女の父男爵からは、もう関わらないでくれと言われ会わせて貰えない。体調が悪いのは、きっと公爵家が何かしたに違いないと思った。

 その後何度も彼女の家を訪れて、漸く悲しい事実を知る事になる。


 彼女は自らの手で、その短い人生を閉じてしまった。私が初めに尋ねた日の前日、薬を飲んで昏睡状態になったらしい。そしてそのまま目を覚ます事がなかった。公爵家に追い詰められて、悩んだ挙句の出来事だった。

 私は発狂するかと思うほど慟哭し悔やんだ。いや、あの時に狂ってしまえば良かった。

 彼女の遺書には、度々公爵令嬢に待ち伏せされ、セオドア・マイヤーと婚約したので別れるように、と脅されたと書かれていた。

 あの女は、私に愛されているのだと偽りの言葉で、彼女を罵った。彼女は心を傷め、そして遂に……


 何故なんだ!何故、そんな事になったのだ!

 領地の両親を問い詰めると、自分の知らぬ間にあの女と婚約した事になっており、父などはお前は伯爵になるのだと、嬉しくてたまらない様子だった。


 私は、彼女が残した私宛の遺書を携えて、王都でも指折りの豪邸である公爵家の屋敷をひとりで訪れた。あの女、公爵令嬢は兄夫婦と共に現れた。そして事もあろうか、こんな事を言ったのだ。


 どこかの文官が騒いでうるさいから、貴方との縁談は無かった事にするわ、と。


「わたくしの気の迷いだったみたい。一気に目が覚めたの。慰謝料は勿論お支払いするわ。あちらの男爵家にも見舞い金を届けに向かわせたのだけど、屋敷を引き払ったみたいだったわ」


 そうだ。彼女の死からすぐに、男爵一家は王都を去った。父男爵は勤めを辞めた。その際に彼女の遺書を上役に見せたらしい。

 他人のスキャンダルを面白がる王城の使用人達によって噂が広がっている。


「は?自分の我儘と気紛れで、人ひとり亡くなっているのに、その言い方はいかがなものかと」


 私は怒りを押し殺して務めて冷静に話したつもりだったが、あの女の兄の公爵はそれを非難と受け取ったようだ。当たり前だ、面と向かって罵倒してやりたいところを我慢しているのだ。


「マイヤー君。君の気持ちは理解した。しかし貴族たるもの、家の決めた縁談を受け入れるのは当たり前の事ではないか?それが破談になった時も同様だ。

 我々貴族は、王家への忠誠を誓い国の利になるべく行動する。婚姻とて自由にはならない。政略結婚は貴族の義務なのだよ。

 男爵令嬢は覚悟が足りなかった、そうは思わないかね?」


 あの女の年の離れた兄は、切れ者の合理主義者として名を馳せており、その威圧感は半端なかった。


「わかりました。それではこの遺書は新聞社にでも売るとしましょう。覚悟が足りない男爵令嬢を死に追いやった詳細がここには書かれてありますからね。

 しかし、閣下がもう二度と私達に関わらないと名言してくださるのなら、私も引き下がります」


「君は、私に喧嘩を売るつもりなのかね?なんと命知らずな若者よ」


「閣下にとって目障りな人間ゆえ抹殺したいのなら、そうなされば良い。

 一言だけ申しあげます。国の中枢を担う公爵閣下だからといって、人の心まで意のままに操れると思われない方が良ろしいでしょう。

 我らとてこの国の貴族の一員としての、矜持があります」


 私は握りしめた手に爪が食い込んで血が流れているのにも気が付かなかった。血染めの遺書を手に啖呵を切った。何故か公爵は、わかった、今後一切、妹が君に付きまとう事のない様にすると言って、薄く笑った。


「しかし残念ではある。マイヤー君が愚妹を娶ってくれれば良かったのだが」


「お断りいたします。ご令嬢も、気の迷いと仰られました」

 


 追手が来て拉致され、どこかで処分されるのだろうと思っていたが、その後何事も起こらなかった。田舎の男爵家の息子など、公爵にとっては平民と変わらぬ存在だろう。

 しかし、私は生きている。あの公爵に喧嘩を売ったが、あの女の愚かさの方が公爵には耐えられない事だったようだ。


 その公爵家の名前はダンスタブルと言う。そうだ、パトリシアを見染め、愛人として連れて行ったのは、あの女の甥に当たる男だ。

 ダンスタブル公爵の年の離れた妹があの女だ。

 

 血は争えない。

 欲しい物は何としてもでも手に入れようとするが、すぐに飽きて捨ててしまう、それがあの公爵家のやり方なのだ。


 パトリシアとあの公爵子息との間に愛があったかどうかは、私は知らない。

 しかし、窶れた姿で眠るパトリシアを目の前にして、私は自ら命を絶った女性とその姿を重ねて、何としてでも生きて欲しいと願った。


 どういう理由で、彼女が私に許して欲しいと謝りに来たのかわからないが、裏でダンスタブル公爵家が糸を引いていると感じていた。


 それが実は、パトリシアの従姉妹、アンナ・デュバリの策略による偽りの手紙が原因だという事を知るのは、パトリシアが目覚めた後だ。


 私は目覚めたパトリシアと話し合った。

 ケイン子爵家への支援の返済を迫ってはおらず、彼らが身の丈にあった暮らしを心掛けるならば、これからも支援は続けようと告げると、パトリシアは涙を流して感謝した。


「パトリシア、君はこれからどうするつもりなのかい?」


「はい。出来ればこの子を無事産んで、自分の手で育てたいと考えています。実家には戻れません。父がこの子を使って、公爵家に無心するかもしれませんから」


 私は既に決意していた。


「子どもが生まれ落ち着くまで、ここで暮らすと良い。

君達の面倒は私がみるよ」


 パトリシアは痩せてひときわ大きく見えるその淡いブルーの瞳を、見開いた。


 

お読みいただきありがとうございます。




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― 新着の感想 ―
[良い点] 前作の内容がさらに深く読み込めますね。 整合性がとれてる上に、狂気マシマシで読みごたえあります! [気になる点] クリスティアン、そのつもりはなくても結果的にやり捨てだなと前作読んでから思…
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