クリスティアンの物語 2
田舎ながらに精一杯の趣向を凝らしたデュバリ伯爵家の大広間に集った地元の貴族達は、ダンスタブル公爵子息にエスコートされて現れたパトリシアを見て驚いた。
クリスティアンの瞳の緑色を纏ったパトリシアは大層美しく、ケイン家の娘はあんなに綺麗だったか?と、集った人々はこそこそと口にした。
パトリシア・ケインか……いつも質素な身なりで化粧っ気もなくて、アンナ嬢の腰巾着のようについてまわっていたがこうして見るとなかなか……
確か、ケイン家と言えば、マイヤー男爵に借金をしていて、その見返りに娘を差し出したのではなかったか?
おい、ケイン子爵のあの顔を見ろよ、あの自慢げな顔を。娘が玉の輿に乗った事を自慢したくて仕方ないのだろうな。
いくらなんでも次期公爵様が貧乏貴族の娘を娶るなんてあり得ませんでしょう?妾候補のひとりではなくて?
そうですわよね。あら、ご覧になって、ケイン子爵夫人は真っ青になっておられるわ。娘が粗相をしないか心配してらっしゃるのね。
好意的ではない言葉がちらほらと囁かれる中で、堂々とパトリシアをエスコートしたクリスティアンは、彼女のその小さな手を取り唇を落とす。途端に上がる黄色い悲鳴の方に一瞥をくれた。
「うるさい囀り雀に気を取られないで。僕が貴女を選んだのだから。パトリシアは堂々としていれば良い」
そう言うと、パトリシアの手を自分の腕に戻して、面白い出し物を眺めているような顔をしていた王太子の元へ向かった。
王太子がクリスティアンに何か言って、パトリシアが真っ赤な顔になる姿を見せつけられた参加者達は、意外とこれは本物なのかもしれないと思い始めた。
王太子から直々に声を掛けられたパトリシアは、まるで夢を見ているかのようにふわふわと浮かれていたので、厳しい目つきで睨みつけるアンナの視線に気が付かなかった。もし、気が付いていたとしても、パトリシアにはどうする事も出来なかっただろう。
アンナは婚約者のジョルジュに注意されるまで、自分の立場も忘れて、ただパトリシアを凝視していた。
僕らはホストなのだから、誰に対しても笑顔で応対しなければならないよ、と諭されて漸く睨みつけるのをやめたアンナ。その胸中に広がるのは妬みを通り越して、もはや憎しみと言っても良いかもしれなかった。
*
話しは遡る。
王太子一行がデュバリ伯爵家へ到着した頃、クリスティアンは別行動をとり、早馬を駆けてケイン子爵家へ向かっていた。驚愕するケイン子爵にパトリシアへの面会を申し出て、2人はあの夜会ぶりに顔を合わせる事になった。
叶わぬ恋、障害のある恋ほど盛り上がるのは世の常。
公爵家の嫡男と、資金難に喘ぐ弱小子爵家の娘という身分的に差がある2人は、結ばれる可能性が低いとわかっていても、お互いに初めての恋に溺れてしまった。
明日の夜のパーティには自分がエスコートをすると言うクリスティアンの申し出に、パトリシアは頬を染めて頷いた。心の奥では深入りしてはいけない、ただの一時の気の迷いだろうと警戒していても、いざクリスティアンを目の前にすると、そんな感情は吹き飛んでしまう。
ただひたすらに、パトリシアを求めるクリスティアンの熱情に、パトリシアは後先の事など考えられなくなっていた。それこそが、恋の魔法と呼べるもので、2人は底なし沼のような恋に溺れていくのだった。
翌朝馬車に乗せられデュバリ伯爵家へと連れて行かれたパトリシアは、クリスティアンと王太子の口添えもあってデュバリ家でパーティの準備を済ませる事となった。ケイン家では充分な支度が出来ないからだ。
その事を婚約者のジョルジュから聞かされたアンナは激昂した。
「どうしてパトリシアなんかが!あの子は貧乏でまともなドレスすら持ってないのよ?なんであの子が特別扱いされなきゃいけないのよ!」
「ダンスタブル公爵子息がドレスと装身具を贈られたらしい。母から聞いたけれど素晴らしい品物なんだそうだ。ケイン家では準備もままならないからと、うちで支度する事になったんだよ。王太子殿下直々の頼みだから断るわけにはいかない」
ジョルジュはアンナが怒る理由に気がついていたが、ここはきっちりと弁えさせないといけないと、厳し目に言葉を繋いだ。
「パトリシア嬢が玉の輿に乗ったとしても良いじゃないか。従姉妹なのだから喜んであげるべきだ。君には僕と言う婚約者がいるのに、一体何が不満なんだ?
公爵子息が選んだのは、君ではなくパトリシア嬢なのだから、そもそもアンナが怒る権利はないだろう」
「だけどっ!パトリシアは見た目が良いからって、子どもの頃からわたくしの慕う相手を奪い続けてきたのよ?
貴方すらわたくしから奪おうとしてたのだから。あの女には、マイヤー男爵くらいの爵位が低い中年がお似合いなのよ」
「何を言ってるんだ、アンナ。僕がいつ、パトリシア嬢と接触したと言うんだ?」
「だって、王都の夜会でジョルジュとパトリシアは仲良く話していたじゃないの!」
それは君が僕を放ったらかしにしたからだろう?と、その言葉を飲み込む。きっと何を言っても、今のアンナには通じないだろう。
「君は疲れているようだ。パーティで倒れたりしないように少し休むといいよ」
ジョルジュはアンナを愛している。アンナが同じだけの気持ちを自分に対して持っていないとしても、結婚して子どもが生まれたらアンナも丸く穏やかになるだろうと信じている。
アンナが太陽だとしたらパトリシアは月のようで、タイプの違う美しい従姉妹同士だ。その太陽のようにキラキラと眩しいアンナを婚約者にした自分は幸せだと思っていた。
アンナの実家のソマーズ家は裕福で、お金に苦労する事なく育ったアンナは多少我儘だが、それすらかわいいものだと受け止める余裕が、ジョルジュにはあった。
確かに王都の華やかな貴族に比べたら地味な男かもしれないが、アンナが望む程度の贅沢はさせてやれるつもりだ。そのアンナの心を掻き乱すような事はしたくないジョルジュは、パーティがさっさと終わるようにと願っていた。
ダンスタブル公爵子息がケイン子爵家のパトリシアを気に入って、もしかしたらパトリシアは玉の輿か?などという噂はあっという間に王都にも伝わった。何しろ王太子が従兄弟クリスティアンの熱愛を面白おかしく吹聴するものだから、その噂が父親のダンスタブル公爵の耳に届くのは、時間の問題だった。
*
「随分と噂になっているようだな。単なる遊びなら良いが、傷物にしてしまえば責任問題が発生する。お前の醜聞を待ち望む奴らもいるのだ。気をつけて遊ぶように」
親から婚約者を決めるように急かされていたクリスティアンは、心に決めた人がいると正直に答えた。相手が誰なのかを誰何され正直に答えたところ、想定はしていたが、あれほど反対されるとは思わなかった。
「駄目だ。公爵家と子爵家では家格が釣り合わない。寧ろその娘が苦労するのは目に見えている。貴族の社会というのは、他者の足を引っ張り合って貶めるのは常のこと。特に我が公爵家を妬み、その地位から引き摺り落とそうとする輩が多く存在する事を、お前にだってわかっているのだろう?」
「しかし、父上!彼女は素晴らしい女性なのです。その為人を知る事なく否定するのは、余りにも早計ではありませんか」
「たった一度しか会っていない相手に心を奪われたのは若気の至りだとしても、大勢の目に触れるパーティで噂になるような行動を取った挙句、その娘を娶りたいだなど言い出すとは、お前の正気を疑うぞ。
公爵家を継ぐ者として教育を受けてきたお前が、色仕掛けの女に引っかかるとは、本当に残念だ。
聞くところによるとその娘の親が、公爵家と縁戚になるのだからと、随分と羽振りが良いらしいじゃないか。我が家の財産目当てかもしれない娘を、簡単に受け入れられるはずがあるまい」
「彼女はそんな人間ではありません!父上と言えど、その言葉は聞き捨てなりません」
怒りに震えて抗議するクリスティアンを、ダンスタブル公爵は冷めた目で見据えた。
「とにかく、その女とは早急に別れろ。ケイン子爵家は困窮していると聞く。少し多めに手切金を渡してやると良い。
もしお前が女々しく決断できないようなら、私が介入するだけだ」
父は息子を一瞥すると話は済んだとばかりに、出ていくように促した。
クリスティアンは、父の言葉の意味を考えた。父は何の得にもならない事を嫌う。婚約相手は、家格が釣り合って尚且つ利益のある相手でなければ認めないだろう。
隣国の王女が王配を探しており、自分に白羽の矢が立っている事は知っている。父はその話を進めるつもりなのだろう。不本意ではあるが、近日中に婚約を結ばされる可能性が高い。
そして目障りになるパトリシアの排除にかかるだろう、と考えた。パトリシアというよりあの実家はあのまま放置出来ないだろう。
しかしクリスティアンは諦めなかった。彼は自分の持つ郊外の別邸を整えて、パトリシアをそこに迎える決意をして、その為の準備を進めた。
恋とは、かくも人を惑わしてしまうものなのか。
クリスティアン自身にも信じられなかった。これほどまで恋焦がれる女性に出会えた幸運に、普段はあまり信じていない神に感謝をした。
「きっとうまく行く。僕がパトリシアを守る」
父親の公爵から、そしてパトリシアの従姉妹アンナの悪意から。
アンナは、婚約者ジョルジュの目を盗んで、クリスティアンに接触してきた。ソマーズ子爵領の視察中は邪魔になるから控えよと言われても、クリスティアンに付き纏った。
パトリシアの従姉妹だからと、無碍な扱いをしなかっただけなのに、何を勘違いしたのか、パトリシアと共に愛人にしてくださいと言い出したアンナには嫌悪感が生まれた。
何も知らないであろうジョルジュ・デュバリが可哀想な気がしたが、アンナにはっきりと拒絶と嫌悪の言葉を伝えたところ、
「パトリシアなんかが幸せになるのは許せない」と呟いた憎悪の瞳をクリスティアンは生涯忘れないだろう。
憎しみに満ちた瞳は、狂気すら孕んでいた。
お読みいただきありがとうございます。
前話の続きなので「クリスティアンの物語 2」とサブタイトルをつけましたが、そこに加えるとすれば「アンナの狂気」って入れたいです。
どんどんアンナがおかしくなっていきます。クリスティアンが好きというより、見下していたパトリシアが自分より上の立場になるかもしれない事が許せない。
アンナに感じるのは、所有欲とでも言うのでしょうか、パトリシアに対する無意識の歪んだ愛のような気がします。




