パトリシアの物語 2
ケイン子爵家の財政は苦しい。領地経営が不振なのだ。
お父様には経営の才能がないと思う。作物の取引も相手の言いなりなので、損失が積み重なっている。お父様は弟のヒューバートに期待しているのだが、その弟ものんびり屋というのか、学生の間だけしか自由に遊べないからと、休みになっても領地には戻って来ない。
そんなヒューバートに甘い両親は、あの子が王都で遊んで無駄遣いしても諌めない。一体王都で何をしているのやら。
現在ケイン子爵家の領地管理をしているのは、わたしと執事だ。幸いわたしは数字に強かったので帳簿付けも得意だし、業者との交渉や領民とのやり取りなども任されている。任されているというよりも、父が頼りないので自主的に行っているのだ。
父が、手っ取り早い資金調達として、資産家で有名なマイヤー男爵から資金援助を受けて、その見返りに娘を差し出す事にした、というのは情けないけれど事実だ。
父から聞かされた時は呆れて言葉も無かった。ケイン家を助けてくれと父に頭を下げられたが、肝心な事を忘れている。
資産家で人格者、婚姻歴もなければ子どももいない、朴訥な人柄は信用できるし、精悍な体付きに黒髪に黒い瞳といった見た目も悪くない。マイヤー男爵は、多少年齢が上でも、好条件で優良な嫁ぎ先なのだ。そんな人が、支援の見返りの契約結婚を望むなんて考えられない。
それでも両親が、一度お会いして話をしろと勧めるので、支援のお礼も兼ねてマイヤー男爵に面会を申し込んだ。
*
「私は君よりかなり年上の、父親と言ってもおかしくない年齢だからね。ケイン子爵が何と言おうと、君との事は関係なしに援助はさせてもらうつもりだから、安心しなさい」
目の前に座るセオドア・マイヤー男爵は33歳、黒髪を後ろにきっちりと撫で付けて、生真面目そうな顔立ちをした方だ。
「それでは、マイヤー男爵様に申し訳なくて、お詫びの言葉もございません」
「申し訳ないと思うのは、君の気持ちは私には無いという事だよ。
若い人が自分の意思を尊重されず、家の為に年上の男に嫁がされるなんて酷い話だと思う。
ただ、もし君の嫁ぎ先が見つからず家を出なければいけないような状況になったら、私を頼りなさい」
わたしはセオドア様のその言葉に泣きそうになった。いずれヒューバートが爵位を継ぐから、いくらケイン家の為に尽くしていても、将来的に実家には居場所はない。いずれはどこかの家に嫁入りしなければならないのだ。嫁入り出来ればまだ良いが、持参金も心許ないわたしにまともな縁談が来るかどうかわからない。
「私も親との関係には悩んで苦労したから、パトリシア嬢とは同志みたいなものだよ」
そう言ってくれたセオドア様には感謝しかない。
わたしはセオドア様と相談して、嫁ぎ先を早く見つけてしまいたい両親を納得させるために、仮の婚約を交わす事となった。仮というよりも偽装といった方が正しいかもしれない。
セオドア様は両親の前で、ゆくゆくはパトリシア嬢を娶る事もあるかもしれません、但しこの仮婚約はお互いに好きな相手が出来たらいつでも解消するものです、と言ってくれた。
父はパトリシアの嫁ぎ先が決まらないと困りますと騒いだ。
「パトリシアは若くて価値のあるうちに、良い所へ引き取って貰うつもりなのです。歳を取ればそれだけ価値が下がる。それに息子が戻って来て結婚した時に、小姑がいると嫁が困るでしょう?」
その言葉を眉を顰めて聞いていたセオドア様だったが、
「仮婚約が無くなっても支援は変わらず続けましょう。ただし領地経営についてテコ入れします。こちらから人をやって、返済計画もしっかり立てさせて貰いますよ」と、釘を刺した。
父の顔が引き攣るのを見て、お金は欲しい、娘をやるから帳消しにして欲しいと言う考えが丸わかりで、恥ずかしかった。父にとってわたしは、家を助ける為の駒でしかないのだ。
呆れたセオドア様は、心無い言葉に落ち込むわたしを慰めてくれた。
「女性を、若い方が価値があるなどど考える親に従う必要は無いよ。君には君の人生がある。それでもどうしても困った時には、良かったら嫁に来るかい?」
と、笑いながら優しい声を掛けられて、セオドア様に嫁ぐのが正しい事のような気がしてきた。冗談めかして安心させてくれただけだとわかっていても、彼は人格者だし不幸にはならないと思う。
だけど、セオドア様は名ばかりの妻として迎えてくださったとしても、愛してはくれないだろう。いつも紳士的に接してくれるが、そこには熱情というものが一切感じられなかった。
それに、わたし自身がセオドア・マイヤー男爵に恋愛感情を持てなかった。その頃のわたしは恋も知らない小娘だったし、もしセオドア様と結婚したらいかにも財産目当てのようで、それはそれで嫌だと思ったのだ。
*
そんな事を思い出したのは、夜会から戻ったソマーズ家のタウンハウスで、部屋に押しかけてきたアンナに絡まれてしまったからなのかもしれない。
「貴女だけクリスティアン様と踊ったからと言って、調子に乗っては駄目よ。パトリシアにはマイヤー男爵くらいの男が丁度良いのよ。
ああ、ほんと最悪だわ。クリスティアン様がたった1人だけ踊った相手がよりによってパトリシアだなんて!」
「アンナにはジョルジュ様がいるじゃないの」
「ジョルジュとは勿論結婚するわよ。だけどお金も権力も、さらには美貌も兼ね備える殿方に惹かれるのは当然でしょう?
貴女みたいに良い子な事ばかり言っていたら、そのうちマイヤー男爵にも捨てられてしまうかもしれないわよ。
ねぇ、知ってる?マイヤー男爵っておじさんだけど、もてるのよ。お子様なんて相手にしてくれないわよ」
わたしは、はいはいわかったわと、部屋からアンナを追い出した。
今回の王都行きで、身の丈に釣り合う相手が見つかれば良いと打算で参加した夜会だった。
支援だけではなく、わたしまで押し付けてマイヤー男爵に依存する気が満々の両親を見て、これ以上セオドア様に迷惑をかけてはいけないと思っていた。
ところが現実は甘くなくて、田舎娘は王都の若い貴族からは見向きもされず壁の花となっていた。ドレスだってアンナのお下がりの流行遅れだし、ぱっとしない垢抜けない娘になど、誰も見向きはしない。
それなのに、あの緑の瞳は迷う事なくわたしを捉えた。
クリスティアン・ダンスタブル様、黄金色の髪に煌めく緑の瞳の美しき貴公子、あの方は真っ直ぐにわたしを見つめた。まるでわたし達が出会う事がわかっていたかのように。
あの素敵な方と踊った事が、わたしの人生の輝かしい思い出となるだろう。そして騒ぎ立つ感情を密かに仕舞い込んで、わたしは田舎の子爵家を支えて生きていくのだと、そう思った。
*
あの夜会から3ヶ月が経ったが、わたしは相変わらずケイン子爵家の仕事をこなす日々を過ごしていた。
来年には弟のヒューバートが領地に戻ってくるので、身の振り方を真剣に考えないといけない。
わたしは18歳で既に成人だから、この家を出て仕事を探す事も可能だけど、貧乏とはいえ子爵令嬢という身分がそれを妨げていた。田舎の領地ではどこも雇ってもらえそうにない。
こうなればヒューバートが戻ってきたら、わたしは王都に出て、仕事を探そうかと思った。王都なら仕事を見つけて自立できるのではないだろうか。嫁ぎ先が見つからなくてずっと独身の職業婦人も存在している。
それに王都にはあの人が住んでいる。もしかしたら、どこかで偶然に見かける機会があるかもしれない。ひっそりと物陰から、あの人を見る事が出来たら、などと妄想してしまったが、そんな都合の良い事があるわけがない。
そんな折、我が家に一通の手紙が届いた。その手紙がわたしの運命を大きく変える事になったのだった。
お読みいただきありがとうございました。