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パトリシアの物語 1

よろしくお願いします。

 煌めくシャンデリアに騒めきが反射して、人々の騒めきと音楽が氾濫しているそんな場所で、あの人と出会った。

 平凡なわたしが流行遅れのドレスを着て、場違いな場所で迷子のように立っているその視線の先に、あの人がいた。

 神々の彫像のように美しいその人は、瑞々しい新緑色の瞳を見開くと、つかつかと歩み寄ってきてわたしに声を掛けた。


「レディ、一曲踊っていただけますか?」


 わたしはただ頷くだけで精一杯だ。そしてわたし達は

熱に浮かれたように見つめ合ったまま、ダンスフロアの中心へと進む。


「僕は、クリスティアン・ダンスタブルと申します。レディ、貴女の名前を伺っても?」


「パトリシア・ケインと申します、ダンスタブル公爵子息様」


 クリスティアン様はわたしの家名に心当たりがないらしく、思い出そうという素振りなのか軽く頭を傾げたので、わたしから補足をする事にした。


「田舎の子爵家ですの。今日は王太子殿下ご夫妻の第一王子殿下誕生のお祝いという事で、わたくし共のような田舎貴族にも招待状が届きました」


「そう、王家もたまには良い事をするね。そのお陰で僕は君と出会えたのだから。王太子は僕の従兄なのですよ、パトリシア嬢。ああ、名前をお呼びして良かったかな?」


「存じ上げております」


 わたしはクリスティアン様のお顔をうっかり見つめないようにと俯きながら答え、そして頷いた。

 もし、この人の瞳を見つめてしまったら、逃げられないような気がしたのだ。美しい緑の瞳は遠くから眺めるだけで充分だ。

 それでも、繋いだ手から熱が伝わって、わたしの全身を巡っている。意識は既にクリスティアン様に捕らわれていた。


「パトリシア嬢、僕を見て?」


 わたしは曖昧に微笑むが、あの緑の瞳を直視する事なんて到底できなくて、畏れ多いです、どうか無作法をお許しくださいと小声で謝った。


 頬は赤く染まり身体は熱を帯びていたに違いない。浮かれたようなぎこちないダンスをなんとか踊り終えると、お辞儀をしてクリスティアン様の前から逃げた。

 物言いたげなあの人の周りを着飾った美女達が取り囲んでいて、次はわたくしの番ですわよ、などと言い合う華やかな声が聞こえている。


 わたしは漸く肩の力を抜いた。緊張していたのか、手の平にじっとり汗をかいていた。踊っている最中でなくて本当に良かった。こんな手では、あの素敵な方を煩わせるところだったとほっと胸を撫で下ろした。

 そして、分不相応な女が公爵子息にお情けを貰った、と嘲笑しているであろうギャラリーの視線を掻い潜ると、その先に従姉妹のアンナが待ち構えていた。


「一体どういう事なの?あのクリスティアン様と踊るなんて。貴女、あの方にどうやって取り入ったのよ?クリスティアン様といえば、なかなかダンスを踊ってくださらないと有名なのよ。まさか、何かの見返りとでも言うんじゃないでしょうね?」

 と、厳しい目付きで詰られた。


「アンナ、そんな事を言われても、高貴な方からの申し出を断れる心臓をわたしは持っていないわ」


「まあ、良いけれどね。貴女にとっては良い思い出になるでしょうから。だってパトリシアはマイヤー男爵との縁談が進んでいるのでしょう?

 それにしても災難よね。実家が財政難でなければ、15も年上の男爵などに嫁がなくて済むのにね。

 わたしのジョルジュは2歳違いだから話も合うし、何より彼は次期伯爵ですもの、この夜会でも顔繋ぎの為に忙しく社交をしているわ」


「正式に婚約したわけではないわ。マイヤー男爵を悪く言うのはやめた方が良いわよ、アンナ」    


 アンナはデュバリ伯爵家のジョルジュ様と婚約が決まってから、何かにつけてセオドア・マイヤー男爵の名前を持ち出してくる。そして決まってジャック様と比較して貶める発言をするのだ。


 財政難の我がケイン子爵家はマイヤー男爵に資金援助を受けている。マイヤー男爵は爵位は低いが、所有する商会の収益は多大で、かなりの資産家なのである。

 貧乏な田舎貴族の娘には、玉の輿を期待しても無理だと両親は悟ったのだろう。資産家のマイヤー男爵に嫁げば、これから先の支援も期待出来る。それゆえ援助の見返りに娘を嫁に出すと男爵に持ちかけた、という噂が流れていた。


 両親にとって大事なのは自分たちの生活と嫡男の弟だけ。わたしは利用価値のある駒のような存在なのだろう。

 弟は王都の貴族学院へ通っているが、わたしには家庭教師が3年ほど付いていただけで、貴族令嬢としての嗜みなどは最低限しか身につけていないも同然だった。

 そこで30代になっても未だ独身のマイヤー男爵に、娘をあてがって片付けようとする両親に、わたしは辟易していた。


 そもそもマイヤー男爵にだって女性の好みがあるだろうし、15も歳の離れた小娘を娶る必要はないのだ。

 アンナはマイヤー男爵を悪く言うが、結婚歴のない独身で資産家、性格も穏やかだし見目も決して悪くないので、わたしたちの住んでいるあたりの小さな社交界では、密かに人気のある殿方なのである。


 アンナが、セオドア・マイヤー様を悪く言って貶める理由は、何となくわかる気がする。

 アンナの父のソマーズ子爵が、セオドア様にアンナとの婚約の申し込みをした際には、選ばれるのはわたくしよと自慢していたのを覚えている。

 我が家がマイヤー男爵に支援をお願いする前の話で、まだわたしもアンナも16歳だったから、話を聞いた時は随分驚いたものだ。


 年上の方だけどアンナは良いの?と尋ねたら、「だってお金持ちだもの。どのみちわたしより先に亡くなるでしょう?それまでの我慢よ」と平然と答たのでさらに驚いた。

 しかしその後すぐに、「おじさんは嫌、金持ちでも嫌よ」とアンナが言い出したので、マイヤー家への婚約の申し込みは断られたのだろう。その頃から手の平を返したかのように、マイヤー男爵の悪口を言い始めた。


「マイヤー男爵はお金を持っているかもしれないけど、所詮は男爵家でしかも中年だわ。わたしとは釣り合わない。結婚するお相手はせめて伯爵以上でないとね。

 それにあの歳まで独身だなんて、あの方どこかに欠陥がおありなのかもしれないわよね」

 などと言ってはいたけれど、アンナはプライドが高いから、自分を拒否した相手がわたしと婚約するかもしれない事が許せないのだろうと思う。自分のお古のドレスを喜んで着るような娘だと、わたしの事を見下しているので、たとえ借金の見返りだとしても自分よりわたしを選んだと思い込んで面白くないはずだ。


 ソマーズ子爵家はお金に困っていないし、アンナは溺愛されているので、ドレスも持ち物もいつも良いものばかり。アンナはわたしに施しをするのが気持ち良いのだろう、もう着なくなったドレスを気前よくわたしに与える。この夜会で着ているドレスもそう。アンナのお下がりだ。まだまだ綺麗なのに、型が流行と違うから要らないのだそうだ。知らない誰かに譲るより、知っているパトリシアが着てくれたら嬉しいから、というのは本心だと信じたい。


 プライドが高くて打算的な考えの持ち主のアンナだが、苦手だけど嫌いではない。なんだかんだいって従姉妹だし、ドレスを譲ってくれるくらい親切なところだってある。


「ほら、貴女のジョルジュ様がお待ちになっているわよ」

 わたしはアンナの婚約者のジョルジュ・デュバリ伯爵子息が近寄ってくるのを目にして、アンナに声を掛けた。


「あら、いいのよ。彼はわたくしに夢中ですもの。少しくらい焦らすのも恋の駆け引きには必要なのよ。それにせっかくの夜会ですもの、わたくしもクリスティアン様と踊らなくては!」


 そう言うとアンナは踵を返して、女性達に囲まれるダンスタブル公爵子息のもとへと向かって行った。


「デュバリ様、アンナが我儘で申し訳ございません。久しぶりの王都の夜会で舞い上がってしまっているのですわ」


「パトリシア嬢が謝る事ではありませんよ。私も貴族学院時代の友人と再会して旧交を温めるのに夢中になり、アンナを置いてけぼりにしていましたからね。

 それよりダンスタブル公爵子息と踊られてましたね。なかなかお似合いでしたよ」


 ジョルジュ様は眩しそうにアンナを見つめながらも、わたしにもお世辞を言った。


「嫌だわ、デュバリ様まで。きっと、のこのことやってきた田舎者が珍しかっただけなのです」


 やがて満足そうな顔をしたアンナが戻ってきて、ダンスタブル公爵子息とは踊らなかったけど、その従者とは踊ってきたわと告げ、デュバリ様に手を預けると、さあ帰るわよとわたし達の夜会の終了を告げた。


 最後に、今夜のこの光景を目に焼き付けようと振り返った時にわたしは視線を感じた。気のせいではない。美しい緑の瞳が射貫くようにわたしを見ていた。


 クリスティアン様……

 わたしは思わず胸を押さえた。動悸が鎮まらない。やっと治った熱が戻ってきて頬が赤らむのを自覚した。


 わたしはあの方に心を奪われていた。これが一目惚れという感情なのだろう。

 もうお会いする機会もないであろう最上級の貴公子と、王都の夜会で踊れた事を一生の思い出にしよう、とその時はそんな事を考えていた。


 それがわたしとクリスティアン・ダンスタブル様との出会いだった。





 

お読みいただきありがとうございます。


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