八代将軍吉宗と二代目雑賀孫市の出会い
山中において奇妙な行ないをする青年がいた。
年の頃は二十歳そこそこだろう。
高貴な着物を着ているが、上半身をはだけている。
そして真っすぐに真剣を振っていた。
そう、竹刀でもなく木刀でもなく、業物と思わしき刀を振っている。
振り方も奇妙だった。
呼吸を整えて、素早く振る――それを繰り返している。
しかしよくよく見てみると、青年の足元には斬れた木の葉が落ちていた。
季節は夏の終わり、秋の始まりである。
青年は落ちてきた木の葉を斬っていた――おそらくそれが目的なのだろう。
青年は剣の修業をしているのだ。
時代が時代ならば立派な行ないだろう。
特に世が乱れ、国同士が争う戦国時代ならば、自分の武を高めようとするのは当然の行ないだ。
しかし今は太平の世である。
国家安寧となっている今の世において、自らを研鑽しようとする行ないは、ただの暇つぶしにしか思われない。
けれども、青年はひたすら木の葉を斬り続ける。
無論、落ちている木の葉は斬れていないものが多かったが。
青年は自分を鍛えようと――
「呆れるほど無駄な努力をしているな。あんたは間違っているぜ」
いつの間にか、青年の後ろにいる中年の男――青年は慌てて振り返る。
中年の男はまるで山賊か猟師のような恰好をしていた。
熊の毛皮を腰に巻き、肩には火縄銃を担いでいる。
髪は箒のように逆立っていて、髷を結っていない。
顔立ちは野性味あふれる男前だ。
「何者だ? 近くに護衛の者がいたはずだが……」
「ああ。あいつらか。もう少し鍛えさせておけよ。素通りできたぜ」
そんなはずはない、と青年は思った。
自分が所属している藩の中でも腕利きの男たちだ。
目の前にいる男が――それを上回っているのだろう。
青年は落ち着いて「話を逸らすな」と厳しい声で言う。
「何者かと聞いたのだ」
「俺が何者かなんてどうでもいいじゃねえか。それより、こんな山奥で何しているんだ?」
「……修行をしている。貴様は無駄だと言うがな」
青年は刀を仕舞って、中年の男と正対した。
襲い掛かられてもいつでも対処できるようにだ。
その意図が分かっているのか分かっていないのか、中年の男は「ああ。無駄だね」と笑う。
「剣の修行なんて戦場で役に立つかよ」
「では何が役に立つのか」
「決まってんだろ。この鉄砲だ」
自慢げに火縄銃――鉄砲を見せびらかす中年の男。
青年は鼻で笑いつつ「鉄砲か」と呟く。
「確かに優れた武器だが、たった一人では意味が無かろう」
「たった一人で刀振っているよりは意味があると思うけどな。ま、いいや。それで俺がなんで意味がねえって言うのか。分かるか?」
青年はしばし黙った後「言ってみろ」と促した。
「刀ってのはな、俺が生きた時代だと飾り以外の意味が無かった。槍か弓矢が主流だったな」
「生きた時代? 何を言う、市井でも剣術の道場が多いではないか」
「だろうなあ。俺だって意味が分からねえもん」
中年の男はふいに「あんたの名前は?」と訊ねた。
自分は名乗っていないくせにと思いつつ、青年は「新之助だ」と答えた。
「新之助。俺の生きた時代はそんな悠長に修行なんてしてねえよ」
「ではどうやって己を鍛える?」
「決まってんだろ? 実戦だよ。人を斬って鍛えるんだ」
あまりに苛烈な言葉をあっさりと言う中年の男に対し、新之助は何も言えなくなった。
それから中年の男は「人を斬らねえと一人前になれねえ」と続けた。
「あんたはその覚悟が足らない。ただ漫然と刀振っているだけじゃ駄目なんだ」
「……私に本気でかかってくる者は、この国にはいない」
中年の男は「実はよ、あんたの素性はなんとなく知ってんだ」と耳をほじりながら面倒くさそうに明かした。
「この紀州の若君ってことぐらい、押さえているさ」
「ふん。ならばどうする? その鉄砲で私を撃つか?」
「簡単すぎるな。だが俺に旨味がねえ……」
中年の男は「あんた、国主になりたくねえか?」と唐突に言った。
新之助は「貴様、何が狙いだ?」と慎重に応じた。
「先ほどから話題が飛び過ぎて、不明瞭だ」
「……そうだな。おい、こっちに来い」
中年の男が呼びかけると、山の奥から子どもが出てきた。
みすぼらしい姿をした女の子だ。
彼女も鉄砲を持っている――幼い体躯に似合わない長い筒の鉄砲だ。
「その子は?」
「俺の後継者だ。俺があんたを国主にしてやるから、こいつを雇ってくれ」
女の子は無感情に二人の男を見つめている。
おかっぱ頭だが目だけは澄んでいた。
磨けば光る玉だが、奥にある何かが……末恐ろしいものを感じる。
「先ほどから国主にしてやるというが、どうやって私を就かせるのだ?」
「決まっている。お前の父と兄を殺すんだよ」
実の父と兄の殺害を口に出されたのに、新之助は黙ったままだった。
斬りかかってもおかしくないのに――受け入れてしまっている彼がいた。
「やはりな。あんたが内心、二人を煙たがっているのは知っていたよ」
「ふん……」
「俺とこいつで殺す。報酬はさっき言った通りだ」
すると新之助は「貴様はどうする?」と訊ねた。
中年の男の得になることは何も言っていない。
「俺は良いんだよ。この国で猟師として暮らすさ」
「欲はないのか?」
「あるとしたらこいつの幸せだな」
ぽんっと女の子の頭を叩く中年の男。
何の反応もしない女の子に不気味さを覚えながら新之助は「三度目だ」と言う。
「貴様は、何者だ」
「……俺は鈴木という。そしてこいつは――」
鈴木は女の子を指し示して、あっさりと言う。
「二代目雑賀孫市だ。言っておくが、俺なんかより腕がいい。そこんところは保証してやる」
「なれば、あれなる鳥を打ち落とせるか?」
新之助は空高く飛んでいる鳥を指さした。
鈴木は「簡単すぎるな」と孫市を促した。
「やってみせろ」
「……分かりました」
案外、可愛らしい声だなと新之助が思う間もなく、孫市は素早く射撃の準備をした。
その速度は素早く的確だった。
玉薬を銃口に無造作に入れ、弾を乱雑に押し込み、火皿に口薬を盛って、火蓋を閉じた。
そして――遥か上にいる鳥に狙いを定めた。
ぴたりと身体を止め、銃口のみを鳥に合わせている。
新之助はその姿を見てぞっとした。
幼い女の子が鳥を殺そうとしているのに、一切の気の乱れがなかった。
動揺がないというのは一種の才能である。
常人ならば生き物を殺すとき、罪悪感が生まれる。
それは射撃の腕を左右する――
「…………」
女の子は無言のまま、引き金を引いた。
轟音と共に、空を泳いでいた鳥は一瞬、動きを止めて落ちていく。
「見事だ。素晴らしい」
新之助が手放しに褒めると鈴木は「俺以上の才能だ」と笑った。
「大切にしてくれよな」
これが後の八代将軍、徳川吉宗と二代目雑賀孫市の出会いだった。
紀州で出会った二人が、江戸で己の野望のため、己の欲のため、そして己の夢のために協力し合うことになるだが、それはまた別の話である。
評価が良ければ連載するかもしれません