この恋はもうおしまい
4歳の頃、初めて音楽と出会った。耳に流れ込む旋律は私の脳を震わせてくれた。血が沸き立って踊り狂った。
私は音楽に恋をした。
音楽と出会って、私はすぐにピアノを始めた。暇さえあればずっとピアノを弾いていた。どんどん上手くなっていくのが楽しくてたまらなかった。
小学二年生のとき、初めて作詞・作曲というものをした。家にあるピアノで作った曲を弾き語りしてみる。鳥肌が立った。音楽と私は両思いなんだと確信した瞬間だった。
そんな私はなんの迷いもなく音楽の道へと進むことを決めた。だって、これからも音楽とともに生きていきたいから。
高校生の冬、私は音大の作曲科を受験して合格した。当然の結果だ。だって音楽と私は両思いなんだから。
大学生になった春、授業初日。私は期待に胸をふくらませて席についた。この学校には音楽と両思いの人がたくさんいるに違いない。私はそいつらを蹴散らして音楽を虜にしてやるんだ。
そして授業初日、期待はあっさりと打ち砕かれた。音楽が恋している人間など一人もいなかった。周りの奴らは私の足が届く範囲にいなかった。
クソみてぇな学校だ。
私は次の日から授業に行かないようになり、そのまま大学を中退した。
大学を中退してから少しして、私は自分で作った曲をピアノで弾き語りをしてネットに投稿するようになっていた。
少しづつファンがつき、投稿し始めて半年が経った頃、あるひとつの曲の再生数が急激に伸びた。有名な人がSNSでその曲を取り上げたらしい。
その後、話題が話題を呼び、メディアでも取り上げられるようになった。やっと世間が私に気づいてくれた。脳汁がドバドバと溢れ出して私は次々と新作を投稿した。
たくさんのコメントがきた。
『やっぱり天才だな』
『今回の曲もかっこいいです! 惚れました!』
『どの曲も最高だわ』
企業からも次々と仕事が来る。私は音楽で生きていけるんだ。これからも音楽とともに人生を歩んでいけるんだ。
そんな私にスランプがやってきた。それでも、大切な時期に投稿頻度を落とすのが怖くて、自分でも納得のいかないクオリティの曲を投稿してしまった。
コメントを見るのが怖かった。自業自得だ。音楽を裏切ったんだから。自分への戒めとしてコメントを見よう。二度とこんなクオリティの曲を投稿しないように。
『今回の曲も最高すぎてやばいです! これからも応援しています!』
『この人が作る曲、好きすぎる!』
『ずっと頭の中に流れて止まらない』
頭が真っ白になる。数秒経って、何が起こっているのかを理解した。
トイレに駆け込み、胃の中のものをぶちまける。こんな曲にお前らは何を言っている?
そのとき、気がついてしまった。あいつらは曲自体が好きなんじゃない。「私が作った」曲が好きなんだ。
それから数日間、私は寝込んだ。頭の中ではあの気持ち悪いコメントがぐるぐると回っていた。
ただ、虚しかった。身体が果てしなく沈んでいくようだった。
天井をぼーっと見上げながらコメントの内容を反芻する。きっと私が魂を削って作った曲も私が中途半端に作った曲も、あいつらにとっては一緒なんだろうな。
なにやってんだろ。どうして、あんなクソみてぇな奴らを気にしてるんだ。
気がついたら私は声を上げて笑っていた。
次に作る曲はあの馬鹿どもの脳みそをぶん殴る曲だ。私の曲で私の数日間を無駄にさせた奴らを殺してやる。
馬鹿どもがあの曲は最低最悪だってことに気づかざるを得ないくらい凄い曲を作ってやろう。今まで私が投稿してきた全ての曲が霞むような曲を。
それから3日間、死にものぐるいで作詞・作曲をした。自分でもスランプ前のクオリティの曲が作れていることを感じていた。でも、なにかが足りない。これじゃ、スランプ前と一緒だ。私が作ろうとしているのは、あいつらを殺すための曲だ。
なにが足りない? 私と音楽は両思いだ。スランプを抜け出せたんだから今の仲は良好のはず。だから最高の音楽を作り出せるはずなのに。
もしかして、恋じゃ足りない?
恋している今の状況から1歩先に進まないと、今まで以上の曲は作れないのではないか。
そこから、私と音楽は、お互いのことを見つめあった。
私は音楽のどこが好き?
音楽は私のどこが好き?
私は音楽のどこが嫌い?
音楽は私のどこが嫌い?
何百回も音楽と対話して、お互いの魂の裏側まで探り合う。
音楽の魂の全てに触れ終えたとき、お互いの魂が溶ける音がした。
溶けた私と音楽の魂は混ざり合い、そしてひとつの魂が出来上がる。
新たに創り上げられた魂がひとつの曲へと変化する。
私は十数ヶ月ぶりに録音開始のボタンをタップした。
最後の投稿から2年と9ヶ月が経った日、私はひとつの曲を投稿した。
『この恋はもうおしまい』
コメントはもう開かない。再生回数の確認なんて必要ない。全ての通知をオフにしてベッドに倒れ込む。
「次はどんな曲を創ろうか」
私は愛する音楽にそう語りかけた。
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