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その5

 日高くんの彼女を名乗る女と出会ったのは、それから一か月後のことである。


 廊下で会うなり、女は突然、


「今日は日経平均が高くなりそうですね」


 と訳のわからぬことを言い出した。あまりに突飛すぎる発言に、僕はしばらく呆然としていたが、言葉を脳内で反響させていると、やがて「日高」の二文字をあぶりだした。それは同時に僕に緊張感を与えた。この女は日高くんに関して何かつもることがあるのだろうと思う反面、踏み絵的な作用で僕を陥れようとしているのではないかという疑念が拭えないのだ。ただ、僕に生徒会を脅かす影響力があるとは思えない。せいぜい相槌を打つだけのカウンセラー未満がいいところだろう。


 いずれにせよ間を置かず、早く答えなければ……。長い沈黙は周囲に違和感を与えるばかりだ。胃袋を圧縮されたような苦しさを感じ始める。この間は僕の身体にもよくないようだ。


「分かります。この学校の屋上くらい高いですよね」


 短時間ではこれくらいの返事が限界らしい。無理矢理会う場所をねじ込めたのは偶然である。


「夕方くらいには落ち着くとよいのですが」


 また夕方か、と言いそうになるのをこらえ、「そうですね」とだけ返してこの場は納めた。


 女との再会は不安で仕方なかった。なんとなく屋上へ出るドアの前に来てしまい、やはりやめておこうとか、女の発言には特に意味はなかったとか自分に言い聞かせ、よし帰ろうとした時、


「お待たせして申し訳ありません」


 とばかりに登場したのでしぶしぶ覚悟を決めた。


「今日はどのような要件で?」


「もちろん日高のことです」


「申し訳ないが、日高とは何のことです」


「はあ……、あなたもそちら側の人間でしたか」


「そちら側?」


「ええ、知っていながら知らないふりをするのがここの生徒の大半のことです。自分で考えず言われるままに動くのですから、彼らの行動は赤子の手をひねるように予測できる。あなたはどちらでしょうね」


「初対面だというのに、失礼だな」


「生徒会長の鹿山氏を全面的に肯定していますか」


「ああ、してるとも。それの何が悪い」


「全面的なのが、悪いです。どうして疑うことなく信じられるのでしょう。幼い子供じゃあるまいし……」


 僕はこう言われながら、学校の規則にただひたすら揉まれ続けたのを思い出していた。日高くんの失踪後も規則は日に日に増えていき、総数は膨大に膨れ上がったものだから、全ては覚えていない。最も印象的だったものは鹿山先輩の功績を、敬意を払ってたたえる一方で、校長への批判を憎悪のままに叫びあげる、というものだ。この一連の動作を、授業を削ってまで挿入する意義は未だに理解できないが、この動作の後は昼寝のあとのような爽快な気分になるのは確かだった。


 絶対的な悪として祭り上げられている肝心の校長のことだが、実のところほとんど記憶していない。思い出そうにも悪印象とそれを助長するかのような顔写真が浮かび上がるばかりで、ほかにどんな表情を見せるのか想像もつかない。記憶にないといったが、記憶する機会がそもそもなかったような気もしてくる……。


 人の慣れというものは案外馬鹿にできないようで、あのときこそ身体が拒絶一辺倒を決め込んでいたが、それなりに受け入れる余裕もでてきた。知らず知らずのうちにクラスのみんなと歩調が合い始めた。鹿山先輩へ抱いていた負の感情は実感を伴わなくなり、もはやメモリーブックの一ページでしかなくなっていた。


 これがそちら側の過程と言えなくもない。


「失礼、あなたの言うことも一理ある。だが、どうしてと聞くこともないだろう。学校生活を送っていれば自ずと分かる気がするが……」


「まさか、わたしはこの学校の人間ではありませんよ」


 予期せぬ事実に、僕は戸惑いを隠せなかった。


「では、その制服は、」


「わたしのものではありません。そんな話はどうだっていい。あなたは日高と仲良くしていましたよね。彼の伝言を聞きたくはないのですか」


「そんなことをわざわざここで伝えなくたっていいじゃないですか。校外なら安全な場所がいくらでもある」


 この学校が安全でないと認めてしまった。言い終えてから口が滑ったことに気づき、肝を冷やした。それは学校生活に満足している者ならば、生徒会にとって都合のいい者ならば、決して口にしない。人前で言えないことなどないことがここでは求められている。反逆のような危険因子のないクリーンな学校。僕もその一部だと思いこんできた。それは本心からではなく、消されたくないという生存本能からだったのだとこのとき自覚した。日高くんの話に乗れなかったのもそのためなのだろうか……


「いいえ、外はかえって危険です。もったいぶる気はないので言います。学校を内側から壊してほしいとのことです」


 僕は思わず吹き出してしまった。日高くんがいる前から消極的なことをここにきて求められるとは……。当然だが、危ないことから逃避すべく、行動している僕に務まるはずがない。よって断るべく(今更だが、盗聴されてもいいように)、


「その気になったことは一度もないです。今はなおさらです。みんなが受け入れて生きているんだ。その思いを踏みにじることは僕にはできない」


「踏みにじったらいいじゃないですか」


 なぜ、そんなことが言えるのか、僕は理解できなかった。これでは話にならない。何を言っても女の言うことが正当になってしまう。犯罪と聞いて負のイメージを浮かべない人間に「それは犯罪だぞ」といったって、抑止力にならないのと同じだ。こちらが痺れを切らし、ボロを引き出そうとしているのだろうか……。とにかく、こちらの言い分は納得してもらえそうもない。切り上げたほうがいいだろうと思った。


「あのねえ、君はどんな考え方をしているのか知らないが、僕は大人しくしていたいんだよ。鹿山先輩の支配はこれからも学校の正義の象徴としてこれからも続いていく。生徒会を正したい気持ちさえ犠牲にすれば、気に病むことはないんだ。自分の手で天国から地獄に落ちる奴がどこにいる」


 すると、女はため息をつき、目を乱雑に細めた。まるで僕を見下しているような顔つきに豹変した。


「そうですか、ここは天国ですか。本当にそうでしょうか。わたしは先程みんなの思いを踏みにじればいいといったが、それは別に背負うに値するものではないからです。言おうと思えば手塩かけて育ててくれた肉親に向けての思いだろうとも言えますよ。というのも、あなたは今の自分があるのは支えてくれた人たちの“おかげ”と思うかもしれませんが、人たちの“せい”とも言えるわけです。例えば、多くの子供にとって親は自分のために親自身の時間を犠牲にする。その犠牲のためにも自分は頑張らなければならない、というのは“おかげ”の考え方です。では“せい”はどうなるかというと、親の勝手な都合で自分はこの世界に生まれ落ちた、ふざけるなとなるわけです。親の犠牲なるものを、子供が水泡に帰したって、必ずしも咎められることではないと思いますよ。自ら望んで生まれてくる子供なんていないのですから」


「……何が言いたい」


「要するに、背負うことは善で踏みにじることが悪とは限らない、ということです。ここは天国であるとも、地獄であるともどちらにも取れるのです。あなたは、自分が信じて疑わないことを、敢えて否定してみることから始めるといいのかもしれない。否定から生まれたアイデアを否定元と衝突させるのです。その結果、壊す気にならないと言うなら、日高には諦めてもらうしかないですが」


「仮に壊す気になったとしていつ事を起こせばいいんだ」


「いえ、その必要はありません。待っている時間はありませんから」


「じゃあなんで僕にお節介を……」


「最初に言った通り、日高からの伝言です。彼はあなたに感謝していたのですよ。ある先輩を代わりに殴ってくれたことに」


 殴った先輩なんて一人しかいない。にしても、僕と日高くんがそんなところでつながっていたとは……不思議な縁もあるものだ……僕に反抗心があった頃は遠い日のことになってしまったが、それは取り戻すべきなのか……。



 翌朝、学校は焼けていた。


 近隣の人に促され、登校中の僕はそのまま帰宅することとなった。信じられない光景でありながら同時に美しいとも感じたことを覚えている。だがそれよりも、鹿山さん率いる生徒会が消失したという喪失感の方が心を占めていた。


 学校はこうして使い物にならなくなり、生徒たちは各々転校しなければならなかった。僕は狼狽した。どの高校ならこれまで通りに暮らせるかに躍起になった。でも、普段通りの生活とは、僕の手にしたい生活とは一体……。


 勘案した結果、今の学校で妥協した。以前の学校生活との差に喘ぎながらも苦ではなくなりつつある。このまま、時の流れに身をまかせていたい。が、僕の中の日高くんが今も怒鳴ってくる。彼はいつになれば納得してくれるだろうか……。

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