行きたくない
私と三日月さんが、車にのった瞬間。
その人は、三日月さんの助手席に現れた。
あの時、感じた恐れを持っている。
『行きたくないと言ったら怒りますか?』
「いえ、怒りません。」
『三日月先生、俺ね。』
「はい」
『ずっと、ずっと、凌平の傍で生きてるって思ってたんだ。』
「はい」
冴草健斗さんが、泣いてる姿を見て私も泣いていた。
『初めてだったんだ。こんなに、幸せな事。だから、手放したくなかったんだ。』
「はい、わかってますよ」
三日月さんも、泣いていた。
冴草健斗さんの顔を三日月さんはジッーと見つめている。
『なのに、何でかな。なんで、こうなったかな?俺が何かした?呪いだった?誰かを傷つけた?』
「冴草さんは、何も悪いことなどしてませんよ。ただ、少しだけ見えない力に引っ張られてしまっただけです。」
三日月さんは、冴草さんの手をギュッと握りしめてる。
私は、涙がとめられなくて二人を見つめてるだけだった。
『凌平とね。旅行に行きたかったんだよ。』
「はい」
『イチゴをね。二人で育てたかったんだよ。イチゴは、猫でね。凌平が、名前をつけてくれてね』
「はい」
『上條先生に、本当は渡したくなんてなかったんです。』
「はい、知っていますよ。」
三日月さんは、冴草さんの涙を拭ってる。
『肉体を脱ぐ時に、欲望をすてなくちゃいけないのにね。この気持ちを捨てれなかった。』
私は涙で視界が、ぼやけてくる。
「はい」
『物分かりのいいフリしてね。幸せを願ってるフリをしてね。だけどね、会いに行くなら断ち切らないといけないだろ?だから、三日月先生が受け止めてよ。』
「はい」
三日月さんの目からも止めどなく涙が流れては落ちていく。
『俺が、隣にいたかったんだよ。ずっと、凌平の隣にいたかったんだよーー。上條先生に何か渡したくなかった。肉体に戻りたかった。殺されたくなんかなかったんだよーー。』
「はい」
冴草さんは、三日月さんの手を掴んで泣いている。
『三日月先生、俺は酷いやつですよね』
三日月さんは、首を横にふった。
『愛してた。最後に凌平をこの手で抱きしめてさよならを言いたかった。凌平とイチゴを抱きしめてあげたかった。あそこは、俺の場所だったんだ。なのに、なのに、奪われた。戻れないのがわかって、何ヵ月も泣いたんだ。上條先生が、凌平を抱き寄せたのも見ていた。二人が、キスをするのも見ていた。あそこは、あの場所は、これからもずっと変わらずに俺のだったんだよ。俺が凌平の隣にいる人だったんだよ。』
三日月さんは、冴草健斗の気持ちの全てを知っている。
『三日月先生、もらってくれる?』
「はい、手放す決心がつきましたか?」
『はい。つきました』
三日月さんは、冴草健斗の手を握り自分の後頭部へ右手と共に持っていく。
ボタボタと音がでそうな程に、黙って三日月さんは泣いている。
『三日月先生、軽くなったよ。ありがとう』
さっきより、冴草健斗が纏う雰囲気が明るくなったのを感じた。
「鎖のように重く、風船のように軽い。毛布のように暖かく、氷のように冷たい。雪のように溶け、しこりのように残る。フワフワと柔らかく優しいタオルだと思っていたら、鋭く鋭利な刃物にかわる。包み込んでくれると思えば、グサグサと刃物をあてる。」
私は、三日月さんが何を言い出したのか理解できなかった。
『三日月先生?』
「すみません。私が皆さんからお預かりした愛の話です。」
そう言って、三日月さんは冴草さんを見つめて笑った。
『まるで、正反対ですね。』
冴草さんの言葉に、三日月さんは頷いた。
「与える方と受けとる方。双方の感じ方なのです。私は、暴力でしか愛を伝えれない魂を見ました。会いに行った恋人は、愛されていなかったと泣いていた。しかし、その方はそれしか知らなかったと泣いた。人の気持ちを試してばかりいる魂も知っています。母親は、怒らせる事ばかりされたと言った。しかし、その方は怒ってくれる事を愛されてると思っていたと言った。」
三日月さんは、冴草さんの涙をまた拭っていた。
「冴草さんの与えた愛を浜井さんはキチンと受け取ってくれていたのを私は、冴草さんが見せるビジョンで見ました。そんな風に、与える方と受けとる方が一致できる奇跡は、なかなかないのですよ。それは、年数ではありません。それは、血の繋がりでもありません。どれだけ、相手の欲しい形の愛を見つけて注げたかなのですよ。」
『三日月先生』
冴草さんは、そう言って三日月さんに抱きついていた。
三日月さんも、冴草さんの背中を擦ってあげていた。
私は、その光景を見ながらただただ、黙って泣いていた。




