幼女化JK、自宅へ
「──本当にうちに着いちゃった。」
自宅は、南宇治上高校からバスで40分。最寄りのコンビニまで徒歩で15分。高校周辺よりかなり地価の安い住宅外。
トタンで出来た古い車庫や壁滲みも風情を感じる、田舎の小さい一軒家。雛衣たちは、ここに家族五人で暮らしている。
「弟、帰ってる……!」
バイクが止まったのは屋根の上だ。
平たいピラミッド型の赤い屋根だが、日光と酸性雨でかなり色があせて薄いピンクに見える。割と新しいテレビアンテナがその真ん中からにょっきり生えていて、“いかにもこの古い家で大人から子供まで暮らしています”という感じがする。
時刻は夜8時半になるというところだ。上からでも車庫に半分だけ入れた自転車の後輪が見える。
「そうか。なら人に見つかる前に、先にまやかしの魔法を使うか」
「…………。」
雛衣はバイクから降りられない。おくるみ状態では自力で降りられない、というのもあるが、やはり心のどこかで諦めきれない気持ちがある。
「…………あたし……」
「────やっぱりおかしいって!姉ちゃんに何かあったんだよ!」
諦めきれない気持ちをキリヤに伝えようとした瞬間、弟の聞きなれた声が止まっている屋根のすぐ真下でした。
「俺探してくるよ、母さん!」
「だめよ、連絡を待った方が……」
「行方不明ですって警察から電話が来たんだろ?だから探しに行くんだよ!」
「────キリヤ、房八の声だ!」
ふたりは息を潜め、耳を澄ます。
房八の声はすぐそこでする。恐らく、夜になっても帰ってこない姉を心配して、ベランダから姉の姿を探しているのだろう。
「ヒナ、魔法を使うぞ。姿を隠す!」
「え、でも……!」
ヒナは泣きそうな顔でキリヤに訴える。キリヤはエンジンをかけたまま宙に浮いているバイクをゆっくりと後ろに下げつつ答えた。
「お前の言いたいことは分かる。姿隠しを解除するかどうかは、お前の家族の様子を見て決める。だが今は俺もお前も姿を見られるのは不味い」
「っ………………」
ヒナは嫌々ながらも頷いた。
怖い目にいっぱい遭ってこんな姿にまでなって、一刻も早く家族に会いたくてたまらない気持ちを、小さい胸の中に無理やり押さえつける。
キリヤは苦しそうなその表情をチラと確認したあと、その俯く小さい額におもむろに判子を捺印した。
「……って、え? なにした??」
「《干渉順化》!」
キリヤは小声で、どの国の言葉か分からない言葉を呟き、それから指先で空中に《指揮》でもするように何かを描いた。
おくるみから手を出せないまま、ヒナは捺印されたおでこを確認しようとする。そのんーんー唸る口を、キリヤの指が塞ぐ。
「房八ちゃん、叔父ちゃんと叔母ちゃんが2人で行ってくるから、あなたはお母さんのそばにいてあげなさい。まだ犯人も捕まっていないんだよ。人質をとって連れていったかもしれないって、ニュースでやってたじゃない」
少し年のいった女性の声が、下でもうひとつ聞こえた。ヒナは小声で囁く。
「……あの人は、叔母さんの琴子さん。あたし達、叔父さん夫婦と親子3人の2世帯暮らしなの」
「……そうか」
ヒナはまだ知らないが、キリヤは吸血鬼の事件に関する報道情報を既に持っている。
本日の午後3時に発生した南宇治上高校での連続殺傷事件は、4人の死亡と6人の行方不明が確認されている。その行方不明者6人の中に雛衣も愛美も含まれており、容疑者は身元が全くの不明のまま、現在も逃亡を続けている、と報道されているのだ。
「高校に入っていって暴れたようなやつがまだこの辺にいるかもしれないんだ。房八くんは家の鍵をしっかり閉めて、お母さんのそばにいなさい。雛ちゃんはぼく達で探してくる。」
「………馬彦叔父さん……」
ヒナは涙ぐんだ。家族がこんなにも心配してくれている。今すぐ会いたい。無事だよって伝えたい。口元を押さえているキリヤの手に涙が落ちないように、必死で我慢した。
「しっ、叔父さん静かに」
「どうした……?」
房八は、帰らない姉の部屋からベランダに出て姉の気配をたどっていたが、すぐ側に別の違和感を感じ、同じように出てきた叔父さんの言葉を目で制した。
房八も、姉の雛衣ほど抜けたきつね色ではないが、自前の赤茶けた髪をしている。目の色も、見る人によっては群青色に渦巻くように見えるらしい。
そして中学生らしい幼い顔立ちに似合わない真剣な眼差し。叔父の馬彦は、この少年が時々見せる鋭い雰囲気に気圧されてしまう。
「──誰かいる」
「えっ!?」
「しっ……。」
房八はひときわ強く目で合図したあと、何かを感じ取るようにベランダに手をかけて目を閉じた。馬彦はゴクリと唾を飲む。
馬彦は今年40歳で、ずっと実家で暮らしている。
その実家に、実姉の早見さとみが子供を連れて帰ってきた。子供たちはいずれも運動能力が極めて高かったが、この房八という末っ子のカンの鋭さには特に驚かされてばかりだ。
「はっちゃん、まさか……まさか犯人が?」
「そこまでは分かんねぇ。でも嫌な感じだ。今まで感じたこともないような気配」
「警察、呼ぼうか」
「うん。馬彦さんは叔母さんとお母さんを連れて家を出てよ。俺が戦う」
馬彦と房八はひそひそと話し合う。その二人に、後ろから早見さとみが声をかける。
雛衣と房八の母さとみは、目が悪い。両目の真ん中に針の穴ほどの視界がとれるだけで、あとは手探りで歩かないといけない。メガネと白杖が手放せない。
「房八、部屋に入ろうよ。雛衣はきっと帰るから」
「「お母さん──」」
房八とヒナは母の呼ぶ声に同時に反応した。母は目が悪くて辛い思いをした分だけ子供たちに優しい、菩薩のような母親だった。ヒナは唇を噛んで、涙をこらえた。うずくまってバイクから落ちそうになる体を、キリヤは無言で抱き下ろしてくれた。
(……このまま部屋に戻れ、弟……)
キリヤは小さく震えるヒナのおくるみを抱き抱えて、そのまま声のするほうを睨む。
房八のカンはヒナの言う通り伊達では無いらしい。魔法使いであるキリヤの目には魔力の流れが可視化出来ているが、そこから見える房八の魔力の流れからいって、彼は明らかにこちらを魔法的に捉えている。
キリヤが魔法使いである以上魔力の垂れ流しは確かに防げるが、だからといって全てに不干渉でいられる訳では無い。
先程ヒナに説明した通り、魔力と物理量というのは表裏一体だ。だから身体を通る物理的な干渉を、ステルスの容量でそのまま後ろに受け流すことで、姿や声が残らなくなる。が、人間が元々持つ魔力まで完全に消せる訳では無いので、魔法で索敵されたらあっさり見つかってしまうわけだ。
そういうわけだから《第六感》の発達した人間なら特に《物理的には違和感がないのに、ヒトが存在することは感じ取ることができる》という違和感に敏感になるに違いない。
こんな殺気立った状態ではいまのヒナと会わせられない。もし騒がれたら、ヒナは間違いなくこの家での居場所を失う。
魔力と魔法の成長には、精神の有り様が大きく作用する。ヒナを『絶望』という形でこの家族から引き離すことは、師匠として何としても避けたい。
「寒いから閉めなさい房八。」
「うんわかった。じゃあおじさん、中に」
「あ、あぁ」
「………………」
母の鶴の一声で中に入ることが決まったらしい。ヒナを抱き抱えたキリヤは少なからず安堵した。
と、その瞬間。
物干し竿を携えた少年が突然屋根に飛び出してきたかと思うと、隼が飛ぶような速さでキリヤの顔面目掛けて刺突を繰り出してきた!
「…………ッでりゃあ!!」
「!!!?」
確実に目が合っていた。真っ直ぐ、キリヤのいる場所を正確に突いてきた。キリヤは虚をつかれ、ヒナを抱いたまま後ろ向きに反り返り、そのまま刺突をバック宙で躱して距離を稼ぎ、屋根の軒下に身を隠す。
(速い!……それに不意打ちまでしてくるとは)
雨どいに手をかけて、窓のない壁側の屋根の下に隠れる。ヒナは彼の異変に、赤く濡れた目を上げた。
「くそ、居ないか……」
ヒナとキリヤの真上で、弟の声がする。いつの間にか屋根に来ていたようだ。やはり魔法使いこちらの気配に気づいていたらしい。
キリヤの横顔に薄く冷や汗が伝っている。真っ黒い前髪の間から見える瞳も、厳戒してぎらついているようだ。
(見えていないのか? それであの正確な突き……! 凄まじい嗅覚だな……)
「房八ちゃん!」
「ごめん、いなかったみたいだ。」
「降りて来なさい!」
房八は長い物干し竿を携えたまま戻って行った。
今度こそ室内に戻ったらしい。ベランダを施錠し、カーテンを閉じる音が聞こえた。
「…………行ったようだな」
「上がってきたんだね、あいつ」
「ああ、面倒なことになった。あれだけ鋭い感覚の持ち主なら、まず《まやかしの魔法》は意味を成さねぇ。どうにかして単独で会い、個別に魔法をかけておく必要があるだろう」
「どうやって……?」
「……そこが問題だな」
キリヤは苦笑してヒナを見る。おくるみの中は全裸のヒナは、キリヤに小型犬のように抱っこされたまま制服を握りしめた。