魔法使いの弟子になりますか? はい/いいえ
「──ねぇ、あたしの名前ちゃんと覚えた?はやみひなぎぬ! ぬののぬ、だからね!ヒナって呼んで誤魔化してない?」
「魔法使いには本名で呼び合ってはいけないというルールがある。それに則っただけだ」
「キリヤのことはなんて呼べばいいの?」
「……魔法使いになるかまだ決めてないんだろう?」
「そうだけどさー」
「……好きに呼べ。ただし弟子になるなら《師匠》とつけろよ」
「ハイハイ!」
「魔法使いにとって本名……《真名》は特別な意味を持つ。本来なら本名とは全く違う通名で呼び合うものだが、師匠と弟子などの特別な契約関係の場合、本名に近い呼び名の方が色々と捗る」
「へぇー」
二人は南宇治上区の空を飛びながら会話している。キリヤが扱っている乗り物は実に不思議なバイクだった。一見ごく普通の黒い大型二輪という感じだが、なんと青く光る見えないタイヤなのだ。そして、エンジンをかけると青い軌跡を残しながら空に駆け上がるのである。ヒナの興奮の仕方たるや、なかなかのものだった。
「本当に空飛んでるんだね……なんで息とか苦しくないの?」
ヒナは結局,衣服は何一つ残したくないと断固として譲らなかったので、キリヤの出した巨大な三角巾によって衣服ごとおくるみにされ、頭にでっかい結び目を作られてバイクに乗せられ、キリヤの前に座らされている。
付近の山を越えるほどの高度で顔面吹きさらしのまま時速80キロほどで走行しているはずなのに、全然寒くもなんともない。自動車の中のように快適だ。
「このバイクの外殻は《魔法の鎧》と同じ構造でできている。魔力核はバイクエンジンだ。」
「魔力核?」
「話すと長くなるが……そもそも《魔力》というのは、物理的なエネルギーに相補的に発生している影のようなものだ。このエネルギーの影に魔法式を書き込むと、エンジンエネルギーをかけた際に魔法が発動して物理とは違う運用方法で魔法を行使できる。」
「え、半分も理解できなかった……」
「そんなに才能があるとは思ってない」
「むー!」
「今は分かりやすく説明してやるつもりはない。お前は魔法使いを諦めるかもしれないんだろ?」
「…………………」
ヒナは口をへの字にした。そりゃあ即答はできなかったが、だからといってきっちり分けられているのもなんかイヤだ。まあ文句をつけたところで彼がなんでも話してくれるわけでもなし、ヒナは話題を変えることにした。
「どこへ向かってるの?」
「お前の自宅だ」
「住所言ったっけ?」
「《魔導》を辿ればわかる。」
「マドー?」
「魔力の足跡だ。魔法を知らない人間は全身をコントロール出来ていないから、魔力が垂れ流しになっている。」
「垂れ流しって……なんかヤな言い方だなぁ」
「お前、恋人はいるか?」
「はっ……こっ……???」
唐突に変な話題をぶち込まれて素っ頓狂な声を上げる。おくるみの結び目を彼のみぞおちに擦り付けて見上げる。ブラックシールドのヘルメット越しにキリヤの表情は見えない。
「な、なによきゅうに!?プライバシーなんですけどぉ?!」
恥ずかしくておくるみの中で頬の温度を確かめる。キリヤは淡々と答える。
「恋人でなくてもいい。家族でも特に仲がいいとか、常に一緒に行動しもはや自分の存在の一部と言えるような仲の人間がいるか?」
「ど、どゆこと……?」
ヒナが赤面して困惑していると、キリヤがまた解説をする。
「《存在証明》という概念が魔法の世界にはある。精神に深い繋がりをもち、常に魔力が交換され続けることで魔法的に連結した存在同士のことを指すが、この存在証明にはまやかしの魔法が聞かないことが多い。」
「まやかしの魔法?」
「ああ。お前はこれまでの生活を捨てて魔法使いの弟子にならなければならない。が、そうなると、突然いなくなった『早見雛衣』を家族は当然探そうとするだろう。だからいなくなったお前のことをみんなが忘れるように、存在を限りなくゼロにするまやかしの魔法をかけなければならない」
「.....……みんなあたしのこと忘れちゃうの?」
「お前が居ないことに気づかなくなる……という方が正しい。が、たとえばもしお前に恋人がいたりして、その相手なしでは互いに生きられないほどすごく深く愛し合っているとする。すると、お前という存在が突然消失することによって、お前から得ていた魔力が絶たれる。その『魔力を絶たれている』という実感がある限り、まやかしの魔法は効かない。同じ理由で、芸術家や政治家みたいな他人への影響力が強い人間にはまやかしの魔法を使いにくい。」
こんどはキリヤの言っていることが理解できた気がする。ヒナじゃないと駄目なくらいヒナと通じ合い、愛し合っている人がいる場合、ヒナがいない違和感を、心の喪失感的な部分で敏感に感じとってしまうということだろう。魔法には詳しくないのでまだ感情や感覚的な部分でしか魔法を捉えられないが、どうにか理屈は理解できる。
「そういう存在は、今んとこいないな……。ただ、そのまやかしの魔法?が効かなそうなやつ、1人心当たりある」
「なに?」
「あたしの弟、早見房八。あたしも感覚鋭い方だとおもうんだけど、あたしの弟はもっとすごい。かなりはっきりした霊感があるみたい。普通の人には見えないものが見えてるって言うか……」
「霊感か。」
「あたしは霊感はあんまりなくて半信半疑だったんだけど、弟は開かなくてもおみくじの中身が分かったりするからもしかしたらって思って。霊感は魔法に関係ないかな?」
「いや、そうでも無いな。」
霧矢は運転しつつ考える。
霊感の強い人間というのは珍しくない。魔力を感じる感度が強ければ、普通では見えない物も見える。生まれつき『透視』ができる体質、というのも魔法の世界では珍しい話ではない。
「まやかしの魔法は、ひとの名前にかける魔法なんだ。その名前に魔法をかけることで、お前の名前を思い出すことが出来なくなる。思い出す瞬間に忘れる魔法だからな。『早見雛衣』のことを考えた瞬間に、『早見雛衣』のことを考える必要はないんだと感じさせる魔法だが、名前がなくても相手のことを強く意識できるほど感覚の鋭い人間には効かないことが多い。」
「どうするの……?」
「弟にお前自身が魔法をかけるしかない。《別れの魔法》という。もう二度と弟はお前のことを考えなくなる。完全にお前のことを忘れる魔法だ」
「そんな、それじゃあ元に戻った時にどうやって……」
「元の姿に戻りお前が家族と暮らせる時が来たら、その時に解除すればいい。別れの魔法は掛けた本人にしか解除できないからな。どちらの魔法を使うにせよ、家族はお前を失って苦しむことはなくなる。効果はほとんど同じだ。 」
「…………弟子になったら、もう家族や友達とは会えないってことだね……」
「…………まあ、そうだな……」
キリヤが初めて言葉に感情を滲ませた。口にしている事実が、彼女にとってどれほど悲しい事実だろうか。
『魔法』の世界は、今まで生きてきた世界とは明らかに異なる。双方明らかな異文化の中で生きる時、人は両側に同時に存在することは出来ない。片方の世界は必ず不在になる。それは、辛い長い別れとの連続だ。
「……この姿、見られたらまずいよね……」
「そうだな。知られない方がいい。心に大きなショックを与えると魔法が効きにくくなることもある」
「どうしたらいいの?」
「降りてから詳しく説明するが、とりあえず見つからないように『第一画魔法』を使う」
「何それ……?」
「まあ簡単な魔法陣だ。素人でも覚えられる。その分感覚の強い人間には効かないこともあるがそれ以外の人間には見えなくなるし、機械のセンサーには引っかからなくなるから証拠も残らない。」
「証拠って……自分ちなのに……」
ヒナがむくれて言うと、キリヤは少し間をあけたあと、きっぱりと言った。
「………………一つ言っておく」
「なに?」
「もうお前は、これまでのお前とは全く違う存在であることを自覚した方がいい。《早見雛衣》はこの世から消えたんだ……とな。」
「……………………」
キリヤは容赦なく現実を突きつけてくる。認識の甘さを再認識させられて、気分が沈む。空飛ぶバイクに乗るふたりは黙りこくったまま、早見家の上空に到着した。