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勝手に死ぬな



「房八、来るよ!」

「よっし!」

「たぁ!」


 房八は大きく右に自転車を倒し飛びかかってくる眷属を回避する。ヒナはそれに合わせて自転車のカゴの()()に立ち、銀の斧を真横に振って眷属を薙ぎ倒す。銀に反応して焼けていく眷属は機能を失い灰になって消えるようだ。余った分は節分の豆宜しく塩をぶつけてやれば溶けて怯む。


「完全につぶすには、塩はすり込まないとダメかな?!」

「ぽい……!」

「じゃああとはこいつで……!」


 房八はピストルを構えるようにアルコールスプレーを構えた。キッチンにあったやつを勝手に拝借したのである。それを屋根から飛びかかってくる眷属に向けて撃つ。人面のコウモリも上半身だけの赤い化け物もこれが掛かるとひとたまりもなく消えていく。


「よっしゃ……!」

「房八、前々!階段!!」


 ヒナは眼前の100段はあるコンクリートの階段を指さして叫ぶ。しかし房八は不敵に笑うと乾いた上唇のはしをぺろりと舐めた。


「俺ら囮だからもう止まれねぇ!ねーちゃん掴まってろよ……!」

「えっ嘘でしょ無理だって……!ぎゃー!」


 自転車の前輪は勢いよく階段両脇の細いスロープに乗り上げた。ヒナはカゴの中でびょんと弁当箱のように跳ねる。房八はそのままスピードをゆるめることなく自転車で階段を駆け上がる。


「Gが怖い!角度が怖い!ジェットコースターで上がる時みたいで怖い!」

「文句ゆーな!」


 叫びながら自転車は歯車でもついているかのようにぐいぐい坂道を上がっていく。眷属より房八の方が余程人間離れしている。


「キリヤさん大丈夫かな……!」

「あたしが今大丈夫じゃないんだけど!?」

「あの人かっけーよな!外国の人かと思った!」

「今そーゆー世間話する!?」


 赤い上半身は階段を登れないので下の方で虫の群れのように団子になりながら少しずつ這い上がるのがせいぜいだが、人面コウモリたちの方はそうはいかないようだ。低空で飛びながらも確実に追いついてくる。


「雛衣もお医者さんになんの?俺もなろっかな!」

「そんな気軽なやつじゃないから!」

「魔法でならお母さんの目とか治せないかな!」

「うそ……あたしの弟チョロくない!?」


 房八は爽やかな汗をかきながら元気よく急な坂道を上がっていく。雛衣は両手でしっかりとカゴにつかまりながら叫んだ。


「本当にわかってるの!?吸血鬼ってとんでもない化け物なんだよ!しかもなんでもない普通の人が急になるの!いつ誰に伝染(うつ)るかわかんないし、危険と隣り合わせなの!」

「それは今だって分かってるよ……!」

「分かってないよ!ついさっきだってあたしの目の前で大勢の人が死んじゃったんだよ……!先生も、生徒も、見学に来た中学生もそのお母さんも皆……!」

「……!」

「あたしも同じ!本当は死ぬはずだったの!生きてる理由の方が分からないって世界なんだよ?あたし、房八にはそんな目に遭って欲しくない!」

「……そんなの、俺だって、同じだっ!」


 房八は不安や恐怖をひとつひとつ踏み潰すようにしっかりとペダルをこぐ。普通の男子ならきっと走った方が早いくらいだろう。しかし房八の乗る自転車は、踏み込まれるごとに風で吹かれて上がっていく紙飛行機のように、木々の生い茂っていく山の斜面を軽々と駆け上がっていく。


「雛衣!雛衣〜!」

「なによ……?」

「もう二度とっ勝手に、死ぬな!」

「……!」


 めらめら火を吹きそうに強く輝く房八の目が、上から雛衣を睨んでいる。弟の怒りに雛衣は怯んだ。


「次、勝手に死んだら、俺許さないぞ!!一生雛衣のこと許さない!!」

「…………」

「どーしても!命捨てなきゃ、いけないって……なった時は、家族(みんな)の、許可とってから、死ねっ!わかったか!この、馬鹿!」

「そんなの無理だよ……」


 ヒナは深く反省した。心の中で別れを告げただけで終わらせた気になっていた。家族にも友達にも、ヒナはなにも残さなかった。そして今もまた、勝手に別れだけ告げて家族の前から消えようとしている。それで残された家族が傷つかないとしても、きっと真相が分かったら深く悲しむ。共有できなかった長い時間を想い、雛衣の不在に気づかなかった自分を責めるだろう。


「どうしようもなかったで!諦められる!ことじゃ!ないんだからな!」


 房八は怒りをぶつけるかのようにハンドルに体重をかけペダルを押し込む。馬の足のような大腿が蒸気機関のように回る。房八の頬に涙のような汗が伝う。ヒナは自転車の大きなカゴの中で、しょんぼりと膝を抱えた。


『────逃げろ!!間に合わない!』

「え?」

「キリヤさん?」

『今すぐ水の中に逃げろ!!』


 突然端末から、危機迫ったキリヤの叫び声が響く。背後で人面コウモリがつむじ風のようにちっていく。その間から、溶けかけて眼球が2つとも落ちそうな巨大な顔が大口を開けて飛び出してきた。


「がああああああああぁぁぁあ゛あ゛あ゛あ゛」

「────房八!!!!」


 雛衣は自転車から飛び出して走る。

 房八も自転車を投げつけるように捨てた。

 普通より大きな自転車は吸血鬼の所まで転がり落ちると、狂気の牙にアルミホイルのように粉々に噛み砕かれて吐き捨てられる。房八と雛衣はそれを振り返らずに走る。


 空から轟音と共に青い炎を吹くランチャーが撃ち込まれてくる。周りの木々がなぎ倒され、コウモリたちは吹かれる木の葉のように舞い上がり灰になって散っていく。しかし、吸血鬼は顔の半分を燃やされながらも一心不乱にこちらをめざしてくる。


 雛衣と房八は共に子どもとは思えない動物のような速度で階段を開けあがっていくが、子犬2匹と戦車では、戦車の方が追いつくのが早いらしい。崩れかけたたくさんの肉管や牙を使い捨てるように階段に突き立てて、高速で走る巨大な海虫のようだ。


 房八と雛衣は同時に階段頂上の公園に到着した。

 公園とは名ばかりの、空き地のような場所だ。木々の奥にため池のような薄茶色の湖が半月の月を反射して鏡のように静まり返っている。房八はクマ出没注意の看板を飛び越えて木々の奥へ入っていく。


「ぐぉおおおおおおおおおぉぉぉぉぉおおおおおおお」


 房八がたった今とびこえた看板がすぐ真後ろでへし折られる音がした。房八の心臓は凍りついたように一瞬鼓動を止めた。


(──追いつかれる──)


 房八は、運の尽きを察した。固まった心臓が身体の中でゆっくりと全身の血を再び集め、彼の目は足元で走る姉を見ていた。


『────姉を守れよ────』


 房八が最後に脳裏に描いたのは、そんな誰かの言葉だった。



 房八は、心臓が最後に全身に血を押し出すより早く、雛衣の身体を抱き上げた。


(湖まであと3m。俺は間に合わないけど、雛衣(ねーちゃん)は飛べばなんとかなる。)


 脇腹と腰のリボンを同時に掴み、房八は湖の真上に上がっている月めがけて雛衣を投げた。


「────────房 八 」


 房八の視界の上と下から、生臭い剣山のような錆びた鋼の牙が迫ってくる。


 ぬるい空気と死臭が房八の全身をつつみ、足元が不自然に浮いた。


 放り投げた雛衣の身体は、ゆっくり縦に回転しながら狙い通り湖の真ん中目掛けて落ちていく。

 その落ちていくさなかに、自分と同じ群青色の瞳が月みたいな綺麗な輝きをのせてこちらを見ているのが見えて、房八は少しでも彼女が遠くへ行くように意味もなく手で空を押し、──────





 そこで早見房八の全細胞は、ぷっつりと息絶えた。


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