人間の血の味とは
初めて人間を食った日のことは、よく覚えている。
ガキが生まれた瞬間に泣くのと同じように、俺も人間を食った瞬間に、俺は俺の産声を上げた。
──美味ぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!!!!
俺は、世界に感謝した。
人間を食うなんて最高の生き物にしてくれてありがとう、とな。
え?その時にはまだ知能も意識もおぼつかなくて《ありがとう》なんて言葉知らなかったはずだ、だって?
そうさ、俺はその言葉を知る前から美味ぇと口走ったし、ありがとうと言う言葉も知らなかったんで《ごちそうさまでした》と言ってやったのさ。
初めて食った人間は、まるで腹減った朝に食うチョコレートシリアルみたいな甘さと爽やかさの味がした。
血を吸うと、芳醇なココアと甘いミルクの旨みが全身に広がった。だから今度は、歯の奥に通っている血管を伸ばし、逃げようとするその人間の骨と肉を頂いた。程よくふやけたシリアルのようにシャクシャクと歯ごたえ良く噛み砕き、じゅるるっとその奥に濃厚に溶けたチョコレートのような血と骨髄を頂く。冷たく青ざめた皮膚もミルクにとろみをつけさせてくれる。世界に生まれて最初に食う朝飯は、吸血鬼になった俺を目覚めさせてくれた。
以来俺は美食家になった。
食えるやつは食えるだけ食った。
男も女もガキも年寄りも好き嫌いせず何でも賞味した。
そして、色々食って試した結果、子供が美味い、ということに気づいた。魔力が全ての細胞に満ち満ちている若い血、その中でも霊感や魔力を感じとるのに優れている子供が、最も味が濃く鮮明な血をしている。
それが俺の長年の研究だった。だがそれが不味かった。
吸血鬼狩りとかいう魔法使いに狙われるようになっちまった。
奴らは勘のいいだけの普通のガキなんぞとは訳が違う。プロだ。明らかに俺たちを狩り慣れていやがった。俺はそれまで溜め込んでいた魔力を根こそぎ使わされ、がりがりに痩せこけてどうにか逃げ延びた。
どうやらあの、吸血鬼が使う、殺した人間の血を使った魔法を大規模につかい過ぎると、色々なことが出来る代わりに奴らに嗅ぎつけられやすくなるらしい。
だから俺は住宅街の雑多な魔力の中に隠れ潜み、こっそりとガキをつまみ食いすることにした。
これは上手くいった。やりようによっては、運良く魔法使いを食えることもある。魔法使いは旨みのレベルが違う。
ちょうどこの黒いコートの魔法使いなんかは、脳みその奥まで元気になりそうな甘い甘い葡萄の味がする。『ブドウ糖』とはよく言ったもんだ。
ほんのりと苦い皮膚いっぱいに甘い果糖が吹き出しているみたいに、舐めるだけで甘い。血の一滴一滴がみずみずしくて、透き通った宝石を口の中で転がしているみたいだ。張りのある甘い果肉が輝きながら喉を潤して通り過ぎていき、そのまま俺の身体に染み込んでいくみたいだ。
屋根にこびりついた血飛沫だけでこの味だ。きっと心臓に歯を突き刺して直接啜ったら、忘れられない味になるに違いねェ。
俺は肥満な吸血鬼だが、鬼ごっこは得意だ。俺くらい栄養を蓄えているデブなら、魔力でも並の魔法使いに負けねぇ。魔法使いを吸血すると、色々と知恵も増える。この魔法使いは頭良さそうだし、もっと色々なことを教えてくれるに違いねぇ。ありがてえなありがてえなぁ……。
「ッ……ぁああ゛ッ……!!」
「クククク……けけけけけけけ!!!!」
右足の次は左肩。キリヤは激痛の走る左肩を抑える。
この吸血鬼、狡猾だ。この住宅地のことを知り尽くしている。ここ一帯から逃げられないように常に誘導されている。どうやらかなり魔法使いと戦い慣れているようだ。
「魔法使いはいいよなぁ。怪我をしてもすぐ治せるんだろう?いつでも齧れる保存食だ。お前は捕まえてドライフルーツにしてやるよ……くけけけけけ」
「っ………………」
この吸血鬼、相当な数を食っている。こんな吸血鬼がこんな住宅街に潜んでいたとは。このままでは早晩追い詰められて食われる。ここで自分が堕ちればあとはあの姉弟、その次は母親や家族だろう。こいつはここで仕留めなくてはならない。だが、こちらの切り札は限られている。切りどきは見極めなければならない。
(食われる瞬間に身体半分くらい犠牲にして、太陽光を内側からブチかますしかない、かな)
幸い、本体は目の前にいる。口を開いた瞬間に、喉の奥の口蓋にあたる部分に巨大な腫瘍があるのも発見した。一瞬この首は本体の作った眷属であり、本体は別の場所で使役しているのではと思ったが、吸血鬼の心臓といえるあの腫瘍が奥にある。ということは、あれは血を奪いすぎて人間の姿を捨ててしまった果の姿らしい。肥太って獲物を捕食する顔だけになった。見事な肥満体だ。
「……お前は救えねぇな。可哀想だが」
「はぁ〜〜〜??」
「腫瘍を切り出したら、元々お前だった部分は朽ちて灰になるだろうな……ってな」
キリヤは残念そうに薄く笑う。顔だけの吸血鬼は血塗れのキリヤを見下して嘲笑う。
「お前自分の心配した方がいいんじゃねえのか〜〜???? その肩骨が見えてるんだぜ〜〜?」
人間の頭にいくつもビニール袋を被せて喋っているみたいにビリビリ雑音が混ざって聞き苦しい声だ。医師はかぶりを振る。
「医者だからな。自分の骨が出た位で動揺なんかしないぜ」
「は〜???」
彼はいつの間にか、肩を押さえていた手の中に、腕くらいの長さのロッドを掴んでいる。青く輝いているロッド全体に、強い魔力が渦巻いているのがわかる。贅肉だらけの顔面に冷や汗が浮くより早く、キリヤはそれを地面に真っ直ぐ突き立てた。
「ギャッッッ!!!!!?」
「息を吸ったら、止めておけ。じゃないと痛いぜ」
青い光が贅肉全部に錠をかけたように硬い。左側の袖が空になったらしい黒いコートの男が目の前でゆっくりと立ち上がる。右手の中の、針のような細さのロッドが、微動だにしない顔の真ん中にゆっくり差し込まれる。
「右手だけだとやりづらいな。やはり助手はいた方がいい」
「あ゛あ゛あ゛??なに??しやがった??」
「抗ウイルス薬を捩じ込んでる」
「はぁ〜?????」
「結局、魔力の炉心は吸血鬼の細胞に増殖したウイルスだ。それを全身の血管にできるだけ流し込む。これだけ顔が肥大化している、ということは、お前の血管は歯を中心に発達しているんだろう?なら上顎に注射してしまえばいい、ということになる。」
「冷静に何ヌカしてんだお前は〜〜????」
「……もう麻酔が切れる。患者が肥満だとこういうことがあるから困るな」
「てめ゛え゛〜〜〜〜!!」
「ッ!」
キリヤの背後から、吐き出した血痰のようなドロドロに溶けかけた血の網が絡みつく。中途半端な造形の眷属がキリヤを後ろから羽交い締めにしようとする。眷属はもがきながらどうにか体に食いつきたいらしいが、魔法使いの鎧に阻まれて牙を通せない。
「まだ居たのか。だいぶ施錠したと思ったが……」
「このガキ〜〜!!!あ゛あ゛あ゛だめだぁ身体がぁ!魔力が練れねぇ〜〜!」
「…………キリヤーーー!!!」
「危なーーーーーい!!!!!!」
突如、キリヤの背後に向かって叩きつけられる塩の塊。塩をかけられた眷属はじゅっと焼けるような音をたてながら捲れるように崩れる。
「はい!もう1発!」
「ッおら!!」
「ギャアッ」
どうやら、ガチャガチャのカプセルに入れた塩をノックで打ち上げてキリヤの背後の眷属に当てているらしい。ヒナが塩をカプセルに詰め、房八がそれを破損させない角度でヒットさせている。ヒナのトスも弟のノックも上手い。
「なんだあ〜〜???」
「あれは……弟子候補だ」
「ああ〜〜???」
「時間が稼げた。もう少し押し込めそうだな。薬を追加するか」
右手でできる限り血管のダマを探しつつ、ロッドの先端をつき入れていく。さすがに腫瘍までは届きそうにない。右手でロッド先端の《指揮》と血管の解析の両方をしないといけないせいだ。麻酔と引き換えに左腕を犠牲にしたのが尾を引いている。
「やめろ゛お゛〜〜……!」
「魔力が使えないとなると、捕食しかできないただの肥満だな」
「このガキ〜〜!!」
肥満体の吸血鬼は最期の足掻きとばかりに住宅街中に散らばらせた眷属を召集する。と言ってもほとんどが血を節約して作った例の上半身お化けだ。集団で襲ってこられると厄介だが、だとしても対策を知った今のあの姉弟の敵ではあるまい。
(3/15更新分に続く)




