前略、身体がちぢんでしまっていた!
「なにこれ!?むり!?服でかすぎ!!パンツどころかブラもおちる!」
雛衣はゆるゆるになってしまった服を、つま先を掴んで身体を輪の形にすることによってどうにか落とさずにいるが、こんな動きじゃペンギン以下である。
雛衣は目の前にいる自称医者の魔法使いにぴよぴよと吠えた。
「どうにかして!お医者さんでしょ!まほーつかいでしょ!」
「……仕方ねぇ」
「ぎゃ! 人を気安く持たないでよっ!おまわりさああん!」
「無駄だ。──とりあえず上に上がるぞ」
服と髪の毛のだんごになった雛衣の身体をひょいと持ち上げる霧矢。雛衣は飼い主に抱かれた小型犬のように足と腕をぴーんと真上にあげて抱えられた。
「ねえ、元に戻るの!? 戻るよね!?こんなじゃ学校通えないよぉ!」
「どうだろうな。診察してみないとわからない」
「はぁー!?」
「とりあえず耳元で騒ぐな」
霧矢の身体は、重力と逆の方向へ滑るようにどんどん浮いていく。あっという間に時計台バルコニーに到達すると、横たえられている患者を見つけて雛衣は彼の腕から転がり落ちるようにバルコニーに降りた。
「愛美!」
眠る愛美の身体は、白いシーツのようなものを体に掛けられて、まるで手品のように宙に浮いていた。やはり魔法じみた力で浮いているようで、彼女を横たえるベッドのようなものは一切ない。
「…………無事なの……?」
「ああ。ひどく体力を消耗している。腫瘍を切除するのは素人には危険と言ったのにな……」
霧矢は呆れてため息をついた。雛衣はよれよれの制服姿のまましゅんとする。制服についた赤い血だけがあの凄惨な事件の証明だ。
「愛美の身体にも負担だったってこと……?あたし、ただもう愛美にはだれも傷つけてほしくなくて……」
「お前の判断が正しかったかどうかはだれにもわからねえさ。俺はお前を逃すつもりで上へ行かせたが、仮にお前があのまま彼女を置いて逃げていたとして、俺があの後無事にここに辿り着き腫瘍を切除できたか、その保証はない。」
「………そうなの?」
雛衣はバルコニーの柵の上に立っている霧矢を見上げる。彼は様々な重火器を魔法で使いこなし圧倒的な力を持っているように見えたけど、白い影の姿で彼を襲ったあの愛美はそれだけ脅威だったということなのだろうか。霧矢はひどく眉間に皺を寄せたまま、その答えを言った。
「ああ……。吸血鬼が侵入者に勘付くと、結界を解除して逃げる可能性が高い。そうなったらまた大勢の人間が狙われることになる。それを考えれば、お前は全くの無駄死にではなかったってことだ。」
「……死んでないし」
「ああ。前代未聞だ。吸血鬼の《治療》にあたって一番厄介なのがこの膿の存在なのに、お前はそれをもろに浴びていながら、生存した。」
「……………」
カーテンのように長い髪束をぎゅっと寄せる。大人の姿の時は腰くらいの長さだったのに、子供化するとこんなに長く感じるものなのか。さっきまで身につけていたものが何もかも不釣り合いになってしまった。
霧矢は雛衣の隣に降り立つと、おもむろに腰を落とし雛衣の顔をじっと見つめた。それからそっと指先で雛衣の顎先を上向かせる。
雛衣はびっくりしてちょっと赤くなった。
「なっ……なに……?」
「………………」
霧矢は精悍な顔つきで、幼くなってしまった雛衣をじっと見つめる。最初見た時は大人の男の人なんだろうと勝手に思っていたが、こうやって見ると霧矢と雛衣の歳はあまり離れていないんじゃないかと思い始めた。
霧矢の瞳は吸い込まれそうで、もしクラスにこんな男子がいたらみんな色めき立ってしまいそうだと、雛衣は何となく空想する。
「……なに……?」
「……やはり、分からないな。元々子どもだったお前が魔法で姿を隠して女子高生のフリをしていたのかとも考えたが、違うらしい。」
霧矢はやれやれとかぶりを振る。彼の横顔は月のように白くて、輪郭も切り取ったように真っ直ぐで整っている。雛衣は何となく、男子の前であられもない格好になっているのが恥ずかしくなってきてぎゅっと襟を寄せた。
「ここではっきり言っておくが、お前の体をすぐには戻せない。いつ戻るかもわからない。数ヶ月、数年……。下手したら、一生そのままかも」
「そんなぁ……! ど、どうにかならないの?」
雛衣は彼の膝あたりにしがみついて尋ねる。しがみつくと言っても、うまく歩けなくて彼のスラックスのはしをつまむくらいしかできなかったが。霧矢は極めて冷静につづけた。
「ヒナ。お前は自分の命をなげうってでも、友達を救うことを選んだ。この姿はその代償だ。自分の命を永遠に放棄する代わりに、彼女を吸血鬼の呪縛から救ったんだ。それはわかるか?」
「………それは……うん……。」
霧矢の言葉は真実だ。雛衣に反論の余地はない。
霧矢はアレを雛衣が使えば死ぬとちゃんと伝えて、雛衣はそれをわかっていた上でアレを使った。そして全てが終わったあと霧矢は愛美をちゃんと保護してくれた。
得られた結果にいっさいの文句はないことは、雛衣にとって間違いない。
「もし、お前が元の姿に戻りたいと思うなら、お前は自らの力で失ったものを取り戻さなきゃならない。つまり、だ────」
「…………うん………」
霧矢の真剣な眼差し。瞳の縁にリングを填めたような真円の金の光がある。魔法のように輝く金環の奥にある青い霧矢の瞳。そこに宿る知識と知性から、彼の言葉が間違いない真実であることは伝わってくる。
雛衣は小さい唇をつぐんでこくりと唾を飲んで、彼の次の言葉を待つ。
「────お前、俺の弟子になれ」
「……………え?」
「俺の弟子だ。お前は《魔法使いの弟子》になるんだ」
「は……???」
霧矢は変わらず真剣そのものだ。夜の月よりもはっきりと明確に、雛衣に現実を伝えてくれている。しかし雛衣は、突然の申し出に(というか宣告に?)困惑するしかない。
「な……治してくれないの!?」
「俺は忙しい。ただでさえ感染疑いのある患者の処置に追われているのに、お前の面倒まで見切れねぇ」
「そんっ………」
冷徹に言い放つ自称医者。雛衣は頬を赤くして食い下がろうとするが、その雛衣の小さな鼻先に霧矢の長い人差し指が当てられる。
「いいかヒナ! お前の身体に何が起こったのかは、お前自身が突き止めるべきだ。《魔法の膿》でお前が身体を失ったのなら、お前自身が《魔法》を使って元の姿を取り返さなきゃならない。俺はお前を《患者》として診ることはできないが、お前が《弟子》として俺についてくるなら、俺にも出来ることがあるだろう。それが俺が提示できる最善の条件だ」
「っ…………!」
「お前はなぜ子供の姿になったのか、ずっと子供のままなのか成長できるのか。どうすれば元の姿を取り戻せるのか。全てはお前自身が調べなきゃいけないことだ。わかるな?」
「…………………うん………」
雛衣はうつむいた。ぎゅっと小さくなった手を握り合わせる。画面の割れた谷口の端末が手首からストンと親指の上にずり落ちてきた。
「いちお聞くけど……このままほっといたら治る……とかはないわけ?」
「すべては俺と一緒に来たあとで分かっていくことだが……仮に聞くが、死んだ人間が放っておいたら生き返った、なんてことあったか?」
「……………だよね…………」
命を賭ける、ということはそれだけ大きいことだったというわけだ。まさか命をかけてそのまま死ぬより生き残ってしまった時の方が事の重大さが身に降りかかるとは思わなかった。
「命を投げ出すってことはさ、それまでの人生全部を捨てるってことだもんね………」
「………………」
「………今決めなきゃだめ?」
「…………一日くらいは」
「みじか……」
雛衣は苦笑した。真剣に即答する彼が逆におかしかった。あんな化け物たちと戦っている男だ。一瞬一瞬がぎりぎりで生きてきていて、若い姿だけどおじいさんみたいな熟達した魔法使いなんだろう。
「────魔法使いの弟子について、もう少し教えてよ。後から後悔して愛美を責めるのとかいやだし,ちゃんと聞いて、覚悟したいんだ。」
「………ああ。いい判断だ」
霧矢は少しだけ目を細めた。堅物な魔法使いの最低限の笑顔なのかもしれない。