高言
嫌になるほど暑い夏だ。
しかし太陽に罪はない。どちらかと言えば暑さに耐えられない人間的な自分に対して嫌気が差す。
何故わざわざこの真昼間に外へ出ているのか……情けないことにわたしは風邪を引いてしまったようなのだ。数日前に頭痛で寝込んでいた時、冷房を効かせすぎたのが悪かったのだろう。喉に違和感を覚え、母も昨晩微熱が出ていたようだし世間で流行っている疫病かと考えてすぐに学校を早退してしまったのだが、冷静に考えればその疫病よりも風邪の方が心当たりがあった。
どちらにせよ、自分が体調を崩したという事実に苛立ってしまう。人間の身体は本当に脆い。
でもあまりこの選択に後悔はしていない。今日という日、この時間に、この場所へ再び訪れる事ができたからだ。
「私」を弔う為という訳では無いが、わたしは昨日から意識していた。「私」の命日。こんな形ではあるが、ほぼ同じ状況を再現することはできた。
三年前、受験生の夏、いつも通りからいつも通りではなくなる瞬間。
あの時「私」が座った、駅のホームの椅子にわたしも腰を下ろす。
三年前の今日がどのくらい暑かっただとか、そういった事は覚えていない。だが間違いなく今年の夏の方が暑いだろう。あの疫病のせいでマスクを付けていなければならない。今だって屈辱的なまでに汗が止まらない。
それでも線路に飛び込もうと思えないのは、決定的にわたしが「私」とは違うからなのだろう。置かれている状況はきっとわたしの方が大変だ。大学受験の対策は高校のそれと比べ物にならないくらい難易度が高く、かける時間も膨大だ。何もする気が起きない等と嘆いている暇も無い。それを承知で「私」は自分自身に失望したのだろうけれど。
「私」は感情や人間に振り回された挙句、ここから飛んだ。
迷惑を掛けたと言って。全てが面倒になったと言って。生きていても無意味だと言って。失敗したと言って。
生まれ変わりたかったらしい。
幸せに、自由に、楽しく生きたかったらしい。
「私」がその後、無事に生まれ変われたかどうかは知らない。そもそも「私」の行き着いた先が何処なのかはわたしには関係ない。
少なくともわたしはその生まれ変わりではないだろう。「私」が思い描いたような夢物語を遂行する気はさらさら無いからだ。
ただ、「私」が遺していった身体を受け継いでいるだけだ。確かに真っ黒な髪は剛毛で扱い難いし、汗は多いし、背は低くて舐められ易いし、色んな失敗をしでかしてくれたお陰で当時は大抵の人間に笑われていたという不便なこの身体だが、上手くやれば大した事は無かった。
結局は周りの環境と自分の精神の問題だった。レベルの高い学校に行けば良識ある人間ばかりに会うことが出来たし、「私」がかなり深刻に考えていたコンプレックスも、彼等には簡単に受け入れられた。それこそ暖簾に腕押しをするように、「私」が過去に犯した失敗も暖簾程度に見えるらしかった。そのように質の良い環境が整っていれば、生まれ変わらなくともやり直しは効くのだ。
「私」は自己肯定感が低く、誰からも愛されず疎まれ迷惑ばかりを掛けていると考えていたようだが、簡単に言えばそういった考え方全てが馬鹿馬鹿しいのだ。嫌われた所で心臓の鼓動が止まる訳では無い。迷惑を掛けた所で呼吸が止まる訳では無い。人間が何だと言うのだ。他の生物種や自らが住まう惑星を蝕み、被害者面をしてみたり美辞麗句を並べ立ててみたりして自分達だけは助かろうとする、典型的に愚かな生命体の機嫌を伺ったって仕様が無いのだ。わたしは確かに、その人間の一部であり他に比べて劣っている能力も多いが、本質を知っている分優秀だと思っている。学業における成績の善し悪しではなく、人間はどういう物なのか、世界はどういう物なのかを考えることが出来る。日々何かに一喜一憂したり、自分の存在意義が分からないと嘆いたりする人間達とは訳が違うのだ。
わたしにはしなければならない事がある。
人間を絶滅させる事。人間の居なくなった地球がどのように変わるのかを見届ける事。無限遠点を超えて、膨張し続ける宇宙の先へ行く事。この世界の創造主に会う事。
御伽噺なんかじゃない。説明のつかない事をこの目で見に行くのだ。
その為にはこんな所で死んでいる場合じゃない。生きなきゃいけない。
こんな風に考えるのは今だけなのだろうか?
高校生が格好つけて現状を批判しているだけなのだろうか?
いつか大人みたいに、人間社会に絆されて一般的な幸せを目標にしてしまうのだろうか?
嫌だ。
わたしは死にたくない。
たとえ高校を卒業しても、大学を卒業しても、独立して生活し始めても、同世代の人がみんな家庭を持っても、親に泣きつかれても、弟が世間一般を語っても、幼馴染に忘れられても、人間全員を敵に回しても。
わたしは死にたくない。
人間なんかにこの身体を譲ってたまるか。
やっと確立したわたしという存在を消されてたまるか。
夏の暑さに痺れを切らし、熊蟬の声を遮って駅のホームにアナウンスが響く。
人間用の貨物列車を睨みつけ、人間とは違うのだと言い聞かせながら結局は人間と同じような生活をせざるを得ない無力な自分を煩わしく思いながら。
隠れた口元を歪める。
お前は空想の中でずっと甘い夢でも貪っていろ。