Act 1 異世界に俺、参上⁉ scene:4 既死感
「――グゥっ、ギュゥオオオオオオオオオオオォォォ――ッッ⁉」
凄絶な断末魔と共に、深紅の装甲へ血雨が降り注いでいた。
響き渡るその絶唱に覚醒したての意識が激しく揺さぶられ、喪失していた上下左右が、無くなっていた手足の感覚が、いつの間にか元に戻っている事に気付く。
「――は。……あ?」
その不理解を表明するように意思とは関係なしに間の抜けた声が己の口から零れ落ちる。
……何だ? 何かがおかしい。
そんな自分の直感に逆らう事なく背後を振り返ると――
「――こいつは……俺がついさっき倒したドラゴン、だよな?」
鋭い木の枝に磔にされ、ブレイヴの一撃で胴体に風穴を開けられたドラゴン。その瞳から命の輝きが失われる決定的な瞬間を、今まさにアクトは目撃していた。
だが、やはり何かがおかしい。
このドラゴンが絶命する瞬間を、アクトは既に一度目にしているはずなのに……
「……変身が、戻っている……」
おかしな点はそれだけではなかった。肉を穿ち命を絶った生々しい感触がやたらと鮮明に残る自らの手に視線を落として、さらに遅れて気が付いた異常は自身の姿。
ほんの数秒前に変身を解除したにも関わらず、アクトの全身はカーディナルレッドの装甲に包まれていたのだ。
そして、何より――
「――シュナ……?」
朦朧としつつも意識が戻っていたシュナが、再び意識を失い地面に仰向けに倒れていた。
(良かった、息はある。だが……なんだ? これは、一体何が起きている……?)
慌てて駆け寄り彼女の胸の上下動から呼吸の有無を確かめたアクトは、地面に跪いてシュナを抱きかかえたまま混乱する頭で必死に状況を掴もうとするが、どうしても直前までの出来事と眼前の現実とを上手く結び付けられない。
連続する意識と認識と現実の間に明白な齟齬がある。現状に対する無視できない強烈な違和感に心がざわつく。
「はぁ、はぁっ……くそ。頭が割れそうだ。何だ。どうして、こんなに気持ちが悪い……っ」
頭痛、吐き気。酷い眩暈に耳鳴りも。吐く息は荒く、心臓が痛い程に鼓動を刻み、全身を脂汗が濡らしていく。
「……はぁ、はぁ。ひとまずこの子を安全な場所に移そう。何か考えるのはそれからだ」
発作じみた症状も収まってきて、アクトはシュナを抱えたままその場に立ち上がり――まず感じたのは鼻を突く異臭、続けて首筋の後ろに電撃が走るような悪寒を覚えて、
――「――あは! その姿! オマエアンタはっ、アーマナイトだナァッ⁉」
「がぁ……っ⁉」
直後、首筋に頭蓋を揺さぶるような強烈な衝撃が走り抜けた。
背後より横薙ぎに放たれ振り抜かれた不意の一撃、その威力にバランスを崩したアクトの身体は容易く吹き飛ばされ、首を守る装甲の一部は剥落。
咄嗟にシュナの頭を守るように抱え直して地面を転がり、何とか受け身を取ることには成功する。
「ふざっ、けるな……! 今の一撃、冗談抜きに首を刈りにきて――」
回転の勢いそのままに立ち上がり、振り返ったアクトの視界に飛び込んで来たのは、
「――女……の子?」
凶悪な金属の爪――虎爪と呼ばれる暗器だ――を両手に装着し、青みがかったくすんだ灰色の髪と猫耳が特徴的なダウナーで退廃的な雰囲気を纏う、ネコ科じみた縦長の瞳孔を碧眼の中に浮かべる十二、三歳程度の痩せすぎた幼い獣の少女だった。
「……標的、暗殺失敗……ぞ、ゾーニャ、アタシは……失敗。私達ダメな子……ナ」
自らをゾーニャと呼称する少女は、不満げな表情で首を傾げ、両手の爪に目を落としながら小声で何事かを呟いていたが、次の瞬間何か纏う空気が一瞬で切り替わる。
「鎧、硬いナ。けど、欠片落ちたナ? 沢山ヤって全部剥がせば殺せるナ? 殺せるナァ⁉」
それは、豹変と言っても過言ではない変貌具合だった。
突如として見開かれたエメラルドブルーの碧眼を獰猛に輝かせ、突如として牙を剥く少女は狂躁の哄笑を花開かせ、脇目も振らずアクトへと飛び掛かってくる。
「殺すっ殺すナぁッ⁉ アハ! ハハハハハハ‼ それがぞ、ゾーニャ――の、アタシの役割。アンタの殺害だだってオマエ、アーマナイトだナ? 殺せば褒めて貰える喜んで貰えるそれが私達のゾーニャのアタシの……責務? だから――死ねナ? 殺すナァ⁉」
纏う空気が一閃ごとに揺らぎ切り替わる狂気めいた異様な言動で凶爪を振るうゾーニャ。
その荒々しい斬撃を、アクトはシュナを抱えたままステップだけで巧みに回避する。
素早く獣じみたゾーニャの挙動と虎爪の切れ味は脅威だが、最速を誇るブレイヴであれば十分対処可能――と、執拗にアクトの首を狙っていたゾーニャの動きが不意に止まる。
「んー? ナぁオマエ。アンタの抱えてるその子……ナぁ、誰なの? ――か、ナぁ?」
どういう訳か、これまでアクトに対する殺意しか見せなかったゾーニャの意識が、アクトの激しい動きでフードが捲れ素顔を晒したシュナへと向かっていたのだ。
ゾーニャは頸椎が折れてしまうのではないかと思う程に大きく首を傾げ、ネコ科の猛獣めいた縦長の瞳孔をぎちぎちと見開いて、
「ソレ……その子、誰? 名前ナんだ? ぞ、ゾーニャは。アタシ――見覚えがある――ナぁ? ……ねえ、名前。お願い。その子の名前教え――私達、気にナる、ナぁ……?」
「……お前には、関係ないだろう」
その言動に形容し難い狂気と脅威を感じ、咄嗟にフードを被せ直し断言する。
この子にシュナの顔を見られてはならない、名前を知られてはならない。
直感的にそう思ったが故の行動だった。
対するゾーニャは、数秒前とは打って変わって、
「……まァ、どうでもいいナ? なんでもいいわ。ナんだってアタシには関係ナいナ?」
胡乱に虚空を見据えながら、心の底からどうでも良さそうに呟くと、
「オマエが死ねばアンタを殺せばそれでお終い。その子が誰だってナんだって関係ナい。何故ならそれがアタシのゾーニャの私達の役割責務責任仕事――楽シイだから! ナァッ!」
再度、咆哮と共に少女を中心にして爆発的に膨れ上がっていく殺気と狂気。
目に見えぬそれを追い掛けるように致死の刃が迸り、荒々しい獣の剣舞が再演される。
しかしやはり、どれだけ目の前の少女が早かろうと、所詮それは人や獣の域を出ない。
であれば、アーマナイト最速を誇るブレイヴにその凶爪が届くはずもなく――
「――当たら……ナい。当たらナい当たらナい当たらナい当たら――ないわ凄いわね。けど負けない。負ける訳にはいかないの。だってアタシ――ぞ、ゾーニャは殺すナ殺さナきゃ殺すからナ! だからもっとアタシとゾーニャと私達と遊ぶナ遊ぼう遊ばナきゃ――」
行き来する鬱と躁。
切り替わる雰囲気、その身に纏う異質なナニカ。
ゾーニャの斬撃は脅威足り得ないが、その狂的な在り方は変身して尚恐怖を覚える。
テンションの浮き沈みが激しいなんてモノじゃない。
急上昇と急降下を繰り返すジェットコースターのような気性と性質の落差はあまりに常軌を逸していて、対峙するだけで精神を削がれていく感覚がある。
だが、それ以上に眼前の少女を受け入れがたい存在へと昇華している要因は、ゾーニャの頭にある一対の猫の耳にあった。
それは、彼女本来の耳ではない。誰かから引き千切り捥ぎ取った腐りかけの腐肉を乱雑に頭に縫い付けただけの悍ましく汚らわしい歪なパッチワークは、狂気に満ちたゾーニャの言動以上に彼女と常人との間に絶望的な隔たりが存在する事を突き付けてくる。
「……なん、なんだ。この子は――づぅ……ッ!」
纏わりつくように接近してくるゾーニャを前蹴りで牽制、蹴りの直撃を嫌ったゾーニャは自ら大きく後ろに飛び退き、結果互いの間に距離が生じる。
状況としては仕切り直し。
そして直後、アクトの頭に激しい痛みが走った。
正体不明の動悸に背筋を駆け抜ける悪寒、脳裏で明滅する既知の光景に、額を抑えて思わず身体をくの字に折り曲げる。
先程と同じ、この世界に対する違和感が齎す拒絶反応。だが今は、この身を苛む強烈な違和感の理由に思い至るだけの根拠が出揃っていた。
(……思い、出した。俺は、今の一撃を知っている……!)
背後からの強襲、首を断つゾーニャの一撃は、アーマナイトに変身している状態でなければまず間違いなくアクトの首を一撃で断っていただろう。
……いや、違う。そうではない。
この悪寒にもう一歩踏み込め。本当はもう、気付いているはずだ。カミシロ=アクトの首は確かにこの少女に一度切り落とされたのだと――
(既視感なんてモノじゃない。同じだ。俺は今、さっきと全く同じ状況をなぞっていた……)
ドラゴンの断末魔による都合二度目の覚醒の直前、あの時アクトは突然意識を失った。
意識を失う直前の自分の身に何が起きたのか、正確な所はアクト自身にも分からない。
ただ、思考能力も何もかも失っていく中、アクトは最後に目にした光景を思い出す。
今の今までどうして忘れていられたのか分からない程に衝撃的で鮮烈な光景を。
(涙を流すシュナと首の無い俺の胴体……ああ、間違いない。俺は彼女に一度殺されている)
既視感、思い込み、勘違い――最早、そんな噓で自分を騙せる段階は通り過ぎていた。
原理も理屈も分からないし、納得なんて当然出来る訳もない。
それでも、アクトの身に起きているこの現象を、ありのまま言葉にすると――
(未来予知……いや、あの感触はリアルだった。つまりこれは――時間が巻き戻っている?)
巻き戻し、タイムリープ。時間遡行。
言葉はなんだって構わないが、要はそういう事。
アクトの予測が正しいと仮定すれば、既に完全に事切れていたはずのドラゴンの二度目の絶命を目にした事も、意識が戻ったはずのシュナが再び気を失った状態で倒れていた事も、変身を解除したはずなのにブレイヴの姿に戻っている事も、そして何より一度は落ちたアクトの首が繋がっている事も、それら全てに説明がつく。
そして、本来であれば死んでいるはずのアクトが未だに生存している未知の状況に関しても。
(歴史、いや運命? ともかく、俺の首が落ちるという未来が変わった訳だ)
時間モノのお約束。
前回の己の行動を外れる事によるルートの分岐、運命の取捨選択。
無意識のうちに以前とほぼ同じ流れをなぞる中、今回のアクトは変身を解除しなかった。それが結果的に斬首の末路の回避へと繋がったのだろう。
そして、だからこそ物語はこれより未知の領域へと大きく動き出す。
「――だから言っただろう、ゾーニャ。……いや、今はゼルニア、だったね」
「あはぁ。魔王様ぁ……っ!」
ぱぁっと。響いた声に、殺意に軋んでいたゾーニャ――改めゼルニアと呼ばれた少女の顔が年相応の愛らしい喜色に輝く。
そうして、茂みの奥から、もう一人。
「確かにブレイヴの鎧は全ナイト中で最も薄く脆い。けれど、だからといってナイトでもない君が無策に突っこんでどうにかなるものじゃあないよ」
「噓、だろ……」
ゼルニアに諭すような言葉を掛けながら現れたその男は、全身に漆黒の鎧を纏っていた。
とはいえ、ファンタジー世界ではお馴染みの鎧の騎士などでは断じてない。
男の全身をカバーする黒のインナースーツをベースに、頭部にはフルフェイスの厳めしいマスク。
全身の各部を守る金属装甲は左右対称の無機的なデザインで、鉱物や鉱石を模したその装甲は硬質で神秘的な質感の輝きを放っている。
メインカラーはブラック。
この世の輝き全てを塗り潰すような純真な漆黒の中、バイオレットレッドに光る鋭角的なアイレンズが印象的なその姿は、最早疑いようもなかった。
「お前も、俺と同じアーマナイトなのか……?」
眼前の存在を知っている。まだ本編にも登場していないが、ブレイヴのメインビジュアルにも載っているアーマナイトだ。その名を――
「――アーマナイト・ディスペランサー……っ!」
漆黒のナイト、ディスペランサーは、猫のように擦り寄り目を細めるゼルニアの頭を優しい手付きで撫で付けながら、アクトの呟きに対してまるで旧知の仲のように親しげに嗤った。
「ああ、その様子だと、やはり自己紹介は必要ないみたいだね。会えて光栄だよ、アーマナイト・ブレイヴ。……異世界より召喚された、勇気の鎧をその身に纏う伝説の勇者」