Act 1 異世界に俺、参上⁉ scene:3 役者とは噓つきに非ず
それは、星に願うように切なく、祈るように儚い、小さな声だった。
「――……け、て」
意識を失い閉じられたままの少女の瞳から、一筋の涙が頬を伝って零れ落ちる。
決して誰にも届かず、知られることもない落涙。
世界に溶け入るように消え落ちていく定めにあるはずだった譫言めいた無辜の少女の無力な声は――
「たす、けて……よ」
けれど、確かに。
「たすけて――ブレイヴ……っ」
カミシロ=アクトに届いていた。
「……そう、だ」
――刹那、心臓が狂ったように早鐘を刻み始める。
「そう、だよな。ああ、そうだった」
ヒーローを求む少女の願い。
待ちに待ったその声に、崩れかけていたアクトの虚構強度が上昇する。
理屈も論理も必要ない、ただヒーローを信じる少女の声をアクトは信じる。
ゆらり、と。アクトは不敵な笑みさえ浮かべながら、幽鬼のような挙動で立ち上がり、すぐ隣に横たわる少女を庇い守るように一歩、前へ。
凶悪な怪物の前へ、ヒロインを守るヒーローのように立ち塞がる。
――ああ、そうだ。信じる事が出来たのだから、身体が動くのは当たり前だ。凶悪な怪物を前にして、この身に巣食う恐怖を勇気で振り払い、立ち上がる事など造作もない。
不意に動き出した獲物にドラゴンの意識がアクトを向く。
食事に水を差す邪魔者を睨む眼光には剣吞な怒りの焔が宿り、顎から漏れる獰猛な唸りは明確な殺意を内包している。
けれど、もう臆さない。
激昂する怪物の一瞥程度、意に介す必要性すら感じない。
握った拳は、揺るがない。
「……笑える話だな、カミシロ=アクト。一体何を恐れる必要があると言うんだ……?」
何かが熱を持っている。
燃え盛るような頭と心臓……だけではない。熱源は――右手。その手に鷲がデザインされた大きな赤い鍵を握り込んでいる事に今更のように気付く。
それは『アンロックキー』。
上代亜空斗演じる主人公、結城晴斗が劇中においてアーマナイト・ブレイヴに変身する際に使用する変身アイテム。
腰のアーマベルトと合わせて何故この状況でそんなものを持っているのか。そんな疑問を抱く必要さえ最早感じられなかった。
――全てはそう今この瞬間、涙を流す少女を救う。
ただそれだけの為にあるのだから。
アクトはアンロックキーを腰に装着している幾重もの鎖で戒められた南京錠を模したデザインのアーマベルトの鍵穴部分へと勢いよく、一切の迷いなく挿入する。
『――Brave Eagle key !』
途端、子供向け玩具を象徴するような安っぽい電子音が鳴り響いた。
だがそれは、アクトにとっては馴染みある音色、心震える勝利宣言の咆哮そのもの。
「だってそうだろう? あの子は、俺を信じてくれたというのに――」
カミシロ=アクトは役者である。
役者とは噓つきに非ず。己の真実を演じる生き物なのだと、恩師は言った。
……そう、役者は無数に存在する己の真実を選択し、掴み取り、望む虚構へと変身する。
だから、当然のように。
「――俺が、真実を信じずに、どうして役者を名乗れようか!」
ヒーローに変身る事だって、出来るに決まっていた。
『――Brave heart unlock !』
鍵を挿し込んだ右手でそのまま側面を弾くようにして豪快に鍵を回し、再びベルトが高らかに吠えるのと、
「ゥルルル……グギュアアアアアアアアアッッ!!」
涎を迸らせながら雄叫びを上げるドラゴンが襲い掛かって来るのとはほぼ同時。
――がちり、ごきん。
鍵が回れば歯車も回り、嚙み合うような音が身体中に伝播する。
視界の端には竜の顎、肉を引き裂く狂爪が目前に迫る。
しかし焦る必要は何もない。取るべき動作を身体が覚えている。
ならば、必要な起句も自然と口を突いて出る――
「――変身ッ」
人間の腕程はあろうかという鋭い牙がアクトを噛み砕かんとするその刹那、変身の咆声が轟いた。
瞬間、腰に装着したアーマベルトを戒める幾重もの鎖が弾けるように展開され、深紅の翼へと変化する。
翼はそのままアクトの全身を守護するように包み込み、溢れ出した銀色の光と鎖の防御によって巨竜の吶喊が無力化される。
光の中、まず生じるのは装甲が存在しない特殊スーツ。各関節の可動域をカバーする伸縮性、体温維持、衝撃吸収に優れた特殊繊維で編み込まれたレーシングスーツのような黒のインナースーツ。
そして次に、頭を覆うフルフェイスのアーマーマスクが出現し、頭の下からつま先までの各部位にも、ナイトの象徴たる全身を覆う金属装甲が展開されていく。
さらに光は銀から赤へと移ろい、メタリックシルバーの金属装甲の細部に変化が現れる。
銀の鎧はカーディナルレッドへ染まり、有機的で流動的な形状へと装甲が変形する。
展開されていた翼は背中へ収束し、翼を模した一振りの長剣と無数の短刀となって背に収まった。
そうして銀と赤の閃光を突き破って姿を現したのは、鷲を模した意匠が各部位に施された鎧の戦士。
その誕生を祝福するかのように、アップテンポの電子音が鳴り響く。
『――Ride on armor ! start the hero ArmorKnight-Brave Eagle !』
荒々しい鋭さの中に流麗さをも兼ね備えた流線型のスピード型の鎧の戦士。
アーマナイト・勇気の翼が、全てを噛み砕く竜の顎を鋼の両腕で堂々と受け止めていた。
ギロチンのように悉くを断裁する竜の牙を押し留める両腕に全身全霊を注ぎ込む。
綱引きのように主導権を奪い合うその力比べは――ドラゴンの巨体を支える大木の如き強靭な四つ足が僅かに地面を離れた事で決着を見せた。
「う、ォオオオおおおおおおおおおおおおッッ‼」
壮絶な咆哮と共に、アクトはドラゴン諸共両腕を勢いよく振り抜いた。
巨大質量が宙を舞い、次いで轟くは痛苦の咆哮。
アクトが投げ飛ばしたドラゴンは剣山のように幹から突き出す鋭い枝に突き刺さり、昆虫標本の如く縫い留められている。
「お前が、あの子に涙を流させると言うのなら――」
刹那、拳を引き絞り叫ぶアクトは確かに一陣の風と化していた。
「――行くぞ、悪党。俺の勇気で、お前という恐怖を打ち砕く……ッ!」
大地を全力で蹴りつけ、加速する。深緋の鎧は空気を切り裂く一陣の赤き風となる。
野暮な得物など必要なし、悪を討つは勇気を握り締めたこの拳。
最速故に最大威力の神速吶喊で、アクトは少女を脅かす魔を穿つ――ッ
「――グゥっ、ギュゥオオオオオオオオオオオォォォ――ッッ⁉」
その拳撃は紙を破るように竜の肉を木の幹ごと突き破り、胴体に二つ目の穴が生じた怪物の断末魔が凄絶に響き渡る。
祝杯のクラッカーのように弾け飛ぶ血肉が雨と散華して、文字通りに魔を貫いたカーディナルレッドの装甲はその赤をさらに深い真紅に染めていた。
「……はぁ、はぁ……ぁ、終わった……のか?」
いつまで経っても身じろぎ一つしないドラゴンに緊張の糸がついに途切れ、拳を振り抜いたまま固まっていたアクトは眩暈と共に脱力し、その場に座り込みそうになって、
「――っと、そうだ。シュナ! シュナは無事なのか⁉」
ハッと、我に返ったように少女の名前を叫び、倒れるシュナの元へ大慌てで駆け寄った。
ベルトから鍵を抜き取り変身を解除する。仰向けに倒れたまま動かないシュナの口元に耳を寄せ、アクトはまず呼吸の有無を確かめる。
「シュナっ! おいシュナ! 息は……あるな。なあ、シュナ頼む。頼むから返事を――」
「――、……あ、ぅ……と……ぉ?」
声に反応してか、ゆっくりと、少女の瞼が薄らと開く。
半ば微睡の中にあるような焦点の定まらない曖昧な瞳でアクトを見つめ、シュナが意味を成さない何かを口にする。
「……ああ、良かった。無事、だったかぁ……」
それで今度こそ全身から一気に力が抜け落ちて、アクトはその場にへたり込む。
「……あの、ね? ……つも、……助けて……て……あり、がとう……」
胡乱な瞳のまま愛おしげに微笑み、少女がアクトの頬へと手を伸ばす。
「……ねぇ、……と」
その姿に困惑を覚えると同時、心臓がとくんと跳ねあがる。
この胸の裡、その奥深くで渦巻くこの感情が何なのか、それはアクトにも分からない。
けれど、一つだけ確かなのは、彼女の蒼い瞳から目を離す事なんて不可能だという事で。
「良かっ……たぁ。ちゃんと……い、えた。私が……とを、け、られた。夢、叶って――」
――「あはっ! そ、その手のベルト! アンタはお前はアーマナイトだ、ナァ⁉」
だから。
アクトの視界から彼女の姿が消失したその瞬間、
「……あ?」
そんな間抜けな声が、アクトの口から最後に吐き出されたのだ。
「――……あ――、と……?」
くるくると、世界が回る。
少女の声が、どこか遠くへ離れていく。
……いや違う。どうやらそうではないらしい。
これはひどい勘違い。回っているのは世界ではなくアクトの視界で、離れていくのは彼女の声ではなくアクトの耳で意識で全て――
「――……あ、あぁ……? ああ、ぁぁああああああああああああぁ……‼」
痛い。手足の感覚がない。痛い。上下左右の概念が消失している。痛い。急速に痛イ世界が色を痛イイタイ言葉が意味をイタイイタイ時間が価値をイタイイタイ思考が中身をイタイイタイイタイ音が形をイタイイタイイタイイタイイタ――全てが死んで、失われていく。
イタミ サエモ 喪ワレて……逝ク……?
「「や……だ。いやぁあああああああああああああああああああああああああぁ……っ⁉」」
しかい、モドった。ふたり。少女のスガタ、アクトのカラダと共二、ヒトミに映っテいル。けど、消エル。消えて逝ク。耳障リに重なルゼッキョウ、スコ死だケ、安心、スる。
(……なぜ、だ)
分カラナイ。中身ノ伴わないシコウでハ、少女が流ス涙ノ訳モ、閉じる視界に散ル蒼白いヒバナの意味モ、情報トシテ処理デキナイ。まルで、考えル脳ミソが、シんデイるミタイ二。
(なぜ、そんなにもくるしそうに、かなしそうに、つらそうに、くるったように……きみは、きみたちはなみだをながして)―――――ああ、残念だよアクト。悪を打ち砕くという君の勇気が、口にしたその決意が、この程度で揺らいでしまうような脆弱な代物だったなんて――――「ぁあ、あぁああああ……っ‼ うぉ、うおっえぇえええ……ッ! ……う、そ。いやよ。なんでぇ、なんでどうしてっ、やっと…………たし、はっ。それなのに、酷い。酷いわ。こんなのって……っ」――――――……嗚呼、ならやはり君も、ボクの求める絶対の真実からは程遠い―――――――――――――
誰かの声が、して。
――――――――――――――――――ブツん。
テレビの電源を落とすように、アクトの全てが断絶した。