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Act 1 異世界に俺、参上⁉ scene:2 主人公を演じる者

 ――噓と虚構は似て非なるものである。


 かつて、育成所の恩師からそんな言葉を賜った事がある。

 噓はどう転んでも噓にしかならないが、虚構は違う。それを心の底から信じる事が出来たのなら、虚構は真実足り得るのだ、と。


 その教えに支えられてきたからこそ、アクトは今日まで一人の役者として生きてこれた。


 幼い頃からの夢だったナイト俳優――アーマナイトとしてメジャーデビューを飾る事が出来たのも、あくまで虚構でしかなかった己の夢を真実になるまで愚直に信じ続けて来たからであると、少なくともアクトはそう信じている。


 で、あれば。目の前のこの光景は嘘か虚構か幻か。それとも――


「――は?」


 気が付くと、カミシロ=アクトはまるで見覚えのない森の中に一人で突っ立っていて――起きた異常はそれだけではない。

 アクトの眼前、痛烈な獣臭を放つ、あまりに非現実的で荒唐無稽なその存在に、アクトは引き攣った笑みを浮かべるしかなかった。


「――冗談じゃない。ドラゴンだと……?」


 全身を覆う鎧のような鱗。丸太めいた四肢と尻尾に、乗用車程度は容易く八つ裂きにするであろう巨大な牙と爪――竜、ドラゴン。

 世界で最も有名なRPGのタイトルにもなっている空想上の生物が、獲物を値踏みするようにアクトを見下ろしていたのだ。


 ……落ちつけ。考えろ。冷静さだけは失うな。

 パニックに陥って悲鳴でもあげようものならその時点で終わる。

 笑ってしまう程に意味が分からなくてまるで信じられないふざけた展開だが、だからこそ思考を放棄すべきではない――と。アクトに顔を寄せるドラゴンの血走った瞳と超至近で目が合う極限状態の中、理性ではなく本能がそう告げていた。


(そもそも何故こんな事になっている……⁉ 俺は……そうだ、今日は日曜日だから、ランニングの後は自宅でアーマナイトのオンエアを見ようと思っていて、それで――)


 冷静に。とにかく冷静に。

 思考が、認識が、目の前の現実に少しずつ追いついく。心が落ち着きを取り戻していく。


 すると一つ、重要な事実をアクトは思い出す。


(――そうだ、あの子は。あの時一緒にいたマナトの妹、シュナも此処にいるのかっ⁉)


 ドラゴンという絶対的な脅威を前にしながら、アクトは数秒前まで一緒にいた少女の姿を必死に探す。

 ドラゴンを視界から外す事はない。それをした瞬間に死ぬ確信がある。


 死、死ぬ。命の終わり。


 それだけはダメだ。

 まだ死ねない。

 死ぬ訳にはいかない。


 もし仮に、彼女もこの森に迷い込んでいるのだとしたら、彼女を残して独り死ぬなど許されない。

 彼女が助けを求めているのなら、その手を掴むべきはアクトなのだから。


 右、左。ドラゴンを視界に入れたまま眼球を懸命に巡らせて――死角、僅かに後退るアクトの足が何か柔らかいモノに触れ、自身の足元に意識のない少女が倒れている事に気付く。


 だから何か理由があった訳ではない。次の瞬間のアクトの行動は本能だった。


「――シュナ……ッ⁉」


 叫び、足元の少女の矮躯を攫うように抱えたアクトが咄嗟に地面を転がるのと、咆哮をあげたドラゴンが動くのとはほぼ同時だった。


 まるでギロチンの刃が墜ちるように、数瞬前までアクトとシュナが居た地点を巨竜の大顎が嚙み砕いていく。

 刃めいた歯が虚空を咀嚼する、背筋が凍る音が耳朶を打つ。


「はあッ、げほっ、ごほ! 死ぬ……本当にっ、死ぬ……! 妹の危機に何をやっているんだマナトの奴っ。この子を救うべきは俺じゃなくてお前だろうが――って、何だ……?」


 と、そこでアクトは更なる異変に気付く。


「どう、なっている? アーマベルト、だと……?」


 役作りの為、ランニング中もポーチの中に忍ばせ肌身離さず持ち歩いているブレイヴの変身アイテム『アーマベルト』が、どういう訳かアクトの腰に装着されていたのだ。


 ポーチから取り出した覚えも、装着した覚えもないのにこれは一体……。


「グギャアアアアアアアアアアアアアアアアッッ‼‼」

「――っ。考えてる場合でもない、か……っ」


 鼓膜をビリビリと震わせる落雷のような絶叫に思考が寸断される。

 シュナを抱いている為両手が塞がっているアクトは、耳を劈く轟音に盛大に顔を顰め走り出す。

 依然として状況は意味不明。とにかく今はこの化け物から一ミリでも遠くへ離れなければならない。そうでなければ、本当に――


「――っづあぁああ……ッ⁉」


 瞬間、凄まじい衝撃に襲われ、アクトの身体は宙に浮いた。

 逃げる獲物に腹を立てたドラゴンが二人諸共踏み砕かんと電柱のような前脚を勢いよく地面へ振り下ろし、その衝撃に足を取られ転倒したのだと現状を理解したその時には既に地面を転げ回っている。

 次の瞬間には背中から木の幹に衝突して、アクトの身体はようやく動きを止めていた。


 ……苦しい。息が出来ない。身体が痺れたように動かない。

 落下の衝撃により強制的に酸素を排出させられたアクトの肺が酸欠を訴えている。


 さらには腕の中にあった温もりがどこにもない事に気付く。

 ぼやける視界で周囲を見渡すと、ほんの一メートルほどの横の位置にぐったりと横たわる少女の姿を発見した。


「シュ、ナ……っ」


 意識のない少女と倒れるアクトを見下ろすドラゴンは、どこか満足気に熱い吐息を鼻の穴から吐き出すと、軽い地鳴りを響かせながらゆっくりと距離を詰めてくる。


 餌を求める凶悪な顎が大きく開かれて、びゃちゃりと生理的嫌悪感を抱かせる水音を立てながら鋭い牙から濁り泡立った涎が地面へ滴り落ちていく。


(――死ぬ)


 ドクンっ。眼前の光景に心臓が跳ねあがる。


(――俺も、あの子も。このまま、訳も分からないままあの怪物に喰い殺される……のか?)


 噓のような虚構じみた現実に足元がふわふわする。


 物語の導入のようなふざけた展開に、頭を過ったのは死への恐れなどではなかった。


(――なら俺が。俺が助けなければ……ああ、そうだ。それが当然だ。だって、俺は……)


 この緊急事態に、当然のようにそんな思考が首を擡げる。


 絶望的な状況にも関わらず、妙に落ち着いている自分を酷く他人事のように自覚する。


 けれど、それは間違っていないはずだ。

 だってカミシロ=アクトはアーマナイト・ブレイヴへと変身する主人公、結城晴斗を演じる役者なのだから。


 アクトは何の疑問を抱く事もなく少女を救うべくその場で立ち上がろうとして――けれど、想定されていないレベルの危機を前に、身体がフリーズしたように動かない。


「……は。はは、なん、で……」


 痛みはもう引いている。身体に痺れなども残っていない。

 ダメージはあるものの、立ち上がる事さえ出来ないほどの重傷ではないはずだ。


 ならばこの身を縛るものの正体などただ一つしか有り得ないと、気付いてしまう。


「……バカな。違う、有り得ない。だって、俺は――」


 『恐怖』。


 つまりはその感情が、アクトを縛る怪物の正体。


「やめ、ろ……俺が、助けなければ。そうでなければ……そんなのは〝俺〟じゃない……っ」


 懸命に叫ぶ。

 だが、届かない。

 巨竜の歩みは止まらない。


 心は恐怖も絶望も感じていない。

 にも関わらず、恐怖に竦み震える身体が立ち上がる事を拒み続け、心と身体が乖離する。

 アクトの身体が少女を見殺しにする事を良しとする。


 まるでその臆病こそが本来の現実のオマエなのだと、そう嘲笑うかのように。


「よせ。やめて、くれ。俺、俺は……」


 ……ああ、ダメだ。このままでは剝がれてしまう。解けてしまう。壊れてしまう崩れてしまう。積み上げてきた全てを自身の手で台無しにしてしまう焦燥と絶望に打ちのめされる。


 せっかく作り上げたのだ。上手に取り繕い、きちんと纏って。

 偽り装って飾り立て整え嘯き欺瞞を重ねて虚像を結び詐称し騙し演じ切って、そうして違和感なくカミシロ=アクトはカミシロ=アクトとして振る舞えるようになっていたのに。


 今ここで、死に瀕する少女を前にして立ち上がる事が出来ないなんてそんな事、〝上代亜空斗〟には絶対あってはならない事なのに――


「――俺、は――」


 ■定に。致■的な、


(――カミシロ=アクトは………………………………僕、は――)


 破■が生じる、その直前。


「――……け、て」


 何かが、崩れかけのアクトの耳朶を打った。

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