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Act 4 噓と真実と勘違い scene:18 時間遡行の条件

「……カミシロ=アクト。うん、知ってたけど、嫌いじゃない響きだわ。主人公っぽい名前ではないけどね。だってアクだし」

「……悪そうな名前で悪かったな」


 あまりに今更すぎる自己紹介の後、涙で晴れ上がった目を擦りすんすんと鼻を鳴らすシュナとそんな軽口を叩き合いながら、手を繋ぐアクト達は夜のオレジア市街を駆ける。


「ともかく、シュナも分かってると思うが、俺たちにはあまり時間がない」


 今回の時間遡行でアクト達が解決しなければならない問題は大きく分けて三つある。


 一つは、明日の夕方前後にオレジアで発生する大火災と、それに乗じたゼルニアの襲撃。


 そしてもう一つが『遺跡』へ向かったククリカとマナトを無事に保護する事。

 『遺跡』で二人の身に何が起きるのかは分からないが、放置しておけばククリカは命を落とし、マナトは行方不明となる可能性が高い。

 無論、そんな結末を認める訳にはいかない。


 残った最後の一つ、シュナによるアクトの殺害については一旦保留にするとして、この中で真っ先に解決すべきは『遺跡』へと向かった二人の保護だった。


 これは単に制限時間の問題で、明日の午前中までに追いつけなかった場合、二人を救う事が絶望的になる為だ。

 正確なリミットが分からない以上、早く動くに越したことはない。


 と、ここまでがこれまでの周回で得た情報を元にした行動方針。

 そして、保留にした最後の一つに関しては、今この場で決着をつけてしまうべきだろう。


「互いの状況把握の為の情報交換と、俺たちが今巻き込まれている現象に関して。色々と移動しながら話す事になってしまうが……構わないか?」


 こくりと、緊張気味に頷くシュナに、アクトも自然と喉を鳴らす。

 ほぼ絶対に近い確信を持っている癖に互いに直接的な言及を避けるのは、答え合わせが怖いからだ。

 ようやくこの理不尽な時の牢獄を共有できる仲間を見つけたと思ったのに、それが単なる勘違いに過ぎなかったとしたらあまりにも辛く、救われない。


 とはいえ、いつまでもこれでは埒が明かないのもまた事実。


「分かった。では、早速一つ尋ねるが……シュナ、お前にとってこの世界は何周目だ?」


 初手から核心に切り込むアクトの質問にシュナはほんの僅かに目を見開いてから、


「この世界に来てから、という意味でなら確か――五周目よ。ええ、間違いないわ」


 迷わずそう断言した。

 その答えにアクトは長々と弛緩しきった溜め息を吐き出して、そんなアクトの反応にシュナの肩からも一気に力が抜けていくのが繋いだ掌越しに伝わる。


「そうか……確信があったとはいえ、異世界に召喚されてから最も緊張した瞬間だったな」

「うん、私も。分かっていても怖いものは怖いわね。でも、これではっきりした」


 アクトの質問の意味を正しく理解し、繰り返した世界の数も同じ。最早疑う余地はない。


「俺とシュナは同一の時間遡行現象に囚われている」


 正確には、アクトとシュナだけがこの時間遡行現象を認識出来ている、と言うべきか。


「それを前提としたうえで……シュナ、お前には聞いておかねばならない事がある」

「うん、なんでも聞いて。私に分かる事なら答えるわ、名前も教えて貰ったしね」


 先程、この異世界に召喚されてから最も緊張する瞬間だと言ったアクトだったが、今からする質問は、ある意味それ以上かもしれない。

 そんな事を思いながら、


「二周目、三周目、そして四周目の世界で、シュナは俺を殺した。或いは、殺そうとしていた。……それは、間違いないな?」

「……うん、間違いないわ」


 何かを嚙み殺すような沈黙の後、シュナは静かにそう頷いて、困ったような笑顔を見せる。


「実際に殺したのは二周目だけで、後は全部失敗しちゃったけどね。まさか私以外に時間遡行に気付く人がいるなんて、思わなかったからなぁ」


 とはいえ、ここまでは予定調和。

 シュナの殺意も殺人も、あくまで事実の確認に過ぎない。


 問題はこの先。

 アクトが絶対に知らねばならないのは、シュナがアクトを殺す動機。


「――、……理由を。俺を殺す理由を聞いてもいいか?」


 シュナを信じるとそう決めた。

 それでも生じる恐怖と躊躇いを勇気で捻じ伏せそう尋ねるアクトに、一切の躊躇なく答えたシュナの言葉は、耳を疑うものだった。


「そうしないと戻れないからよ」

「……なに?」

「二周目と三周目。あの二つの世界は……兄様とククリカが犠牲になってしまった世界だったから、あれ以上世界を続ける訳にはいかなかった」

「……待て、ちょっと待ってくれ。その言い方じゃあまるで、シュナ自身の意思でこの世界を……いや、ならまさか、あの時お前が言っていた何もかも終わりだというのは……」

「うん。私が運命を変えられなかった、終わるべき世界だった。だから、世界を終わらせる為に、時間遡行を発動させて全てを巻き戻す為に、私はアクトを殺そうとした。殺すしかなかったの。それが、私がアクトを殺そうとしていた理由よ。納得して貰えた?」

「ま、待ってくれ。俺の死が条件ではなかった以上、シュナが時間遡行の起点というのは分かる。だが、俺を殺す事が時間遡行の条件というのは一体……?」

「あ、ごめんなさい。ちょっと言葉足らずだったわ。別に、あなたを殺す事が条件って訳じゃなくて……重要なのは私の感情が大きく揺れ動く事。だから正確には、あの時の私にはアクトを殺す以外に上手に絶望する手段がなかった……って言った方が正しいわね」


 アクトの死という共通点があった三周目までに対して、アクトが死ななかった例外の四周目の世界も、シュナの感情の動きに着目して見るとまた結論は変わってくる。

 あの時間遡行はシュナを見捨てたアクトの言動が彼女の心を刺激した結果だったという訳だ。


「……なるほど。確かに、そういう事なら辻褄は合う……」


 怒り。絶望。哀しみ。憎悪。時間遡行が発動する時は、決まってそれら負の側へと感情が大きく揺れ動いた時なのだと、シュナはまるで他人事のように淡々と条件を語る。

 言われてみれば、時間遡行が発動する直前、どの世界のシュナも感情を大きく露にし泣き叫んでいた記憶がある。


 だが、だからこそアクトは違和感を感じていた。


「しかし……やけに、詳しいというか、その。慣れているんだな。この現象に」


 時間遡行が発生する程の負の感情の揺らぎ。

 それが彼女にとって大きな負担であるのは間違いない。なのに、その事実を語るシュナにあって当然の恐怖や不安が見当たらないのだ。


「はじめてじゃないのよ。こういうの」


 シュナは伏し目がちにそう答えた。


「はじめてじゃ……ない? それは、まさか……この世界に来る前からという事か?」

「記憶を失う前の『私』がどうだったのかは知らないけど……こっちの世界に来る前からね、私、何度も繰り返しているの。どうしようもなくなる度に、何度も何度も何度も」


 引き取り手の親戚に酷い暴力を振るわれた時も。一週間何も食べ物を貰えなかった時も。最初は優しかった叔父に無理矢理犯された時も。

 施設で他の子や職員に虐められた時も。

 絶望と悲嘆にシュナの心が悲鳴をあげる度、その全てがなかった事になった。


 絶望する前の世界に世界は勝手に巻き戻り、唯一全ての絶望を覚えたままのシュナは、罅割れた心のままその絶望を回避する為にもう一度絶望と対峙しなければならなかった。


 捨てられないように。殴られないように。虐められないように。無視されないように。


 シラト=シュナを取り繕って、演じ振舞って、自らの傷口を掘り返すように絶望の記憶を利用して最悪の結末から逃げて逃げて逃げ続けてきた。


「……すまない」


 シュナが壊れた本当の理由は、きっとその繰り返した地獄にもあるのだろう。


 例え、世界が巻き戻り全ての絶望がなかった事になったとしても、彼女だけはその絶望を忘れる事が出来ないのだから――結局、巻き戻る世界は、彼女に何の救いも齎さない。


 むしろ彼女だけが覚えている世界の存在は、彼女の孤独をより加速させていったはずだ。


「……ずっと独りで辛かった、よな。俺がもっと早くに気付いていれば。なのに俺は……よりにもよってシュナに酷い言葉を……ああ、クソっ。本当にアーマナイト失格じゃないか」


 こんな時、なんて言葉を掛けるべきなのだろうか。

 主人公のようにたった一言で、絶望の水底に沈むヒロインの心を救える事が出来たならどれだけ良かっただろうか。

 所詮役者でしかないアクトでは、台本がなければ当たり障りのない台詞しか出て来ない。


「そんなの、どうだっていいわよ。だって私、今とても嬉しくて、幸せだから」


 それなのに、こんな状況で、何度も絶望を経た満身創痍の状態で、壊れたままに心の底から幸せそうに笑うシュナに、アクトは一体どんな顔をすればいいのだろうか。


「ずっと、ずっと、私以外誰も気付いてくれなかった巻き戻る世界に、アクトは気付いてくれた。忘れないでいてくれる。だから、いいの。それだけで私は救われた」


 繋いだ手の感触が噓ではない事を確かめるように、シュナがきゅっと力を込める。

 時が巻き戻りなかった事になる世界と絶望を唯一共有できるカミシロ=アクトと言う存在に、シュナは確かに救いを見出し、縋っている。

 だけど、結局それは……


「……シュナ。無理、してないか……?」


 自らの存在を確立する為に自分以外の他者に縋る。

 それは、依存と呼ばれる状態だ。

 己の中に確たる芯がない状態である事は変わりなく、だからきっとシュナは今でも……


「……ああ、そっか。アクトは覚えてるのよね、全部。恥ずかしい所、見られちゃったな」


 誤魔化すように笑う。そんな仕草さえも見慣れた『シラト=シュナ』そのもので。


「分からないわ。他の笑い方も、生き方も、私が本当は誰なのかも。今更このシラト=シュナ以外をやれって言われても、そんなの出来ないよ。だって――」


 ――生まれてから今日まで『シラト=シュナ』以外の選択肢なんて、私にはなかったから。

 悲しむでも苦しむでも怒っている訳でもなく、少しだけ困ったように、少女は笑う。


 ならカミシロ=アクトはせめてもう二度と、繋いだこの手を離さないでいよう。


 彼女が心の底から、取り繕い演じ振る舞う為に纏った鎧としてのシラト=シュナではなく、本当の意味でシラト=シュナであれるようになるその日まで。


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