Act 3 乗り越えろ Deathtiny ! scene:12 リスボーン/絶望の始点
電源を落とされたはずの意識が強制的な再起動により唐突に現実に回帰する。
(――、……っ⁉ ……巻き、戻った……のか……?)
死んだ。
また死んで、時間が……終わった命が、巻き戻った。
生きている自分と死んだ自分とが混ざり合い、己という存在が再統合される感覚に猛烈な吐き気を覚えつつ、意識を取り戻したアクトは己の死の事実を正しく認識して――
「――ッ⁉」
今はもうない痛みがアクトの脳髄を犯し全神経を蹂躙する。
汗が滝のように吹き出して心臓が破裂するのではという凄まじい勢いで鼓動を刻んでいる。
腕を振り回して絶叫し頭を搔き乱しながら胃の中身をぶちまけなかったのは奇跡でも何でもなく、単にアクトの本能が超至近に迫る命の危険を必死で訴えていたからで――
「――……ね、ねえ。名前! 名前を、さ……」
声は、すぐ隣。
肌と肌が触れ合うような、そんな距離に……彼女が――
「……わたし、私ね? あなたの名前を――」
俺の死を懇願したその口で、俺の耳元で甘えるように囁いて俺は何故どうしてこんな痛い痛い痛みが痛くて痛い痛い痛いから痛いたいたいたいたいたいたいたいたいたいた――
「――って、ねえ、ちょっと? 聞いてる?」
聞こえない。何も聞こえない。
心臓の鼓動があまりにもうるさくて、彼女が何を言っているのか分からない。
まるで巨大なスピーカーが胸に直接埋め込めらてしまったかのよう。
でもこれじゃあ、彼女に聞こえてしまう。
聞かれてしまう。心臓の鼓動を。命の音色を。
「ねえ、ねえったら! ……もしかして、寝ちゃった、の……?」
何か、返事を。
しなければ。不審に思われる。
でも、だけど。けれど。しかし。だから。
「ねえ。へ、返事。してよ。無視は、いや。やだ……よ。………………噓、まさか、そんな訳、ないよね? ねえ、噓でしょ? 噓よね? なにか、言ってよ。だって私そんな……」
「――っ! あ、ああ……す、すまない。少し、その……寝落ち、しかけていたらしい」
空気が張り付いたように声が出なかった喉を震わせ、どうにかそれだけ絞り出せたのは、懸命に声を掛け続けるシュナの声音がいつしか涙声になっている事に気付いたから。
その動揺によりアクトは少しだけ落ち着きを取り戻し、何とか言葉を返す事ができた。
「な、なんだぁ。もうっ、びっくりさせないでよね。何言っても返事してくれないんだもん、私てっきり……その、嫌いになっちゃったのかって、思っちゃったじゃない……」
明らかに不自然なアクトの言葉をシュナは追求する事も無く、露骨なまでにホッと息を吐き出し安堵している。そんな彼女の反応にアクトもようやく少しばかりの安堵を得て、
「……そんな訳がないだろう。ついさっき、裏切らないと言ったばかりなのだから」
裏切るなんてあり得ない。
そう断言しておきながら、アクトは彼女の顔を見ることすら出来ない。
そればかりか、隣に感じる彼女の温かな体温に、凍えるように体が強張っている。
「そ、それじゃあ……」
「……ああ、そうだな。そろそろ寝るとするか」
そんなアクトの緊張を感じ取ったのか、会話の終わりを促すアクトにシュナはどこか寂しげに頷いて、そのまま何も言わずに静かに目を閉じた。
彼女の静かな呼吸は、やがて規則正しい寝息へと変わっていく。
その事に安心を覚えている自分に絶望めいた失望を覚えながら、アクトはベッドの中で頭を抱え呪詛を吐き出す。
(……くそっ、くそ、くそ! どうしろと言うんだ、こんなの……)
――アクトは明日、隣で穏やかな寝息を立てているこの子に、シラト=シュナに殺される。
あの地獄がただの悪夢であって欲しいと願いながら、冷たい刃が肉に沈んでいく灼熱の感触を否定出来なくて。
結局、アクトは朝まで一睡もする事が出来なかった。
◇ ◇ ◇
――虚ろな視線を宙に漂わせる無為な時間がどれだけ通り過ぎただろう。
シュナが眠りに落ちた後、静かに個室を抜け出したアクトは宿のラウンジのソファに腰を下ろし、一人思考の海に沈んでいた。
既に夜は過ぎ去り、世界は新たなる朝の到来に輝きを放っている。
そんな希望に満ちた光の中で、目の下に隈を作り絶望を抱え続けるアクトは明らかに世界の異端で異分子だった。
――カミシロ=アクトはシラト=シュナに殺された。
繰り返した思考の果て、幾度となく辿り着いては意味もなく黒で塗り潰し続けたその結論に、もう首を横に振る力さえ残っていない.
――明確な殺意をもって、彼女はアクトの命を終わらせた。
どれだけ否定したくともその事実が揺るぎない絶対である以上、噓で己を騙すことも、虚構で世界を塗り潰す事にも最早何ら意味はない。
だからもう、諦めよう。
「……俺は、シラト=シュナに殺された」
彼女の殺意を否定する事を諦めよう。
「……シュナは、俺が守りたかったあの子は……俺を殺した」
諦めて、諦めて、諦めて……それから、もう一度始めるのだ。
シラト=シュナの殺意と殺人を認める事から、もう一度。
彼女をどうすべきか――いや、自分は彼女をどうしたいのかを、もう一度考えよう。
「……俺は、シュナを――」
憎んでいるのか。
あの痛みを、終わるまで終わらない無限の苦痛を俺に強いた彼女を殺してやりたいと思っているのか。
――違う。憎んでなどいない。
殺したいだなんて……そんな事は思わない。絶対に。
文字通り死ぬほど痛かったし、彼女により齎される死は怖くて恐ろしくて悍ましかった。
殺されるなんて二度とごめんで、シュナが近くにいるだけで身体が勝手に震え出す。
彼女に笑顔を向けられるだけで、胸を掻き毟り叫び出したい衝動にだって襲われる。
「……俺は、それでもシュナを……あの子が何の理由もなく俺を殺すなんて、思えない」
それは希望的観測にすら成り得ない根拠皆無の願望で、愚にもつかない感情論だった。
実際に彼女に殺されておいて、それでも彼女を信じたいだなんて我ながらどうかしてる。
お人好しとか、善人だとか、そんな次元ですらなくて、最早現実を見ず幻想に縋る阿呆か自分の死さえ厭わない狂人の類だとしか思えない。
それでも思ってしまうのだ。何か、理由があるに決まっている、と。
だって、アクトを殺したあの瞬間、シラト=シュナは泣いていた。
苦しそうに、悲しそうに、悔しそうに辛そうに狂ったように壊れてしまったかのように泣いて笑って絶望して、だからあの時の彼女の心はぐちゃぐちゃだった。
アクトを殺す少女の涙に濡れる蒼眼は、確かに救いを求めていたから。
「もしあの子がまた、独りぼっちで苦しんでいるのというのなら、俺は……」
アクトを殺した彼女を、増殖する痛みと絶望をアクトに齎す少女をそれでも――
「――救いたい」
あの子を助けたい。
シュナを救わなければならないと、そう、強く思う。
当然だ。何故ならアクトはアーマナイトで、彼女はアクトが守るべき家族なのだから。
絶対にシュナを裏切ったりしないと、あの夜にそう約束したのだから。
であれば、アクトは考えるべきなのだ。
何故アクトはシュナに殺されたのか。何故シュナはアクトを殺したのか。その理由が分からない限り、アクトは彼女を救えないのだから。
「……だというのに、今日これから何が起こるのかをまるで覚えていないとは……」
記憶の欠落。目下、決意を新たにしたアクトの前に立ち塞がる最大の障害がそれだった。
アクトがシュナに殺された日、つまりは二周目の世界における今日一日の記憶が、何故かすっぽりと抜け落ちてしまっている。
前回は確かに継承できていた時間遡行以前の世界の記憶を、何故今回に限って継承出来ていないのか。理由は分からないが、最悪の展開である事だけは確かだった。
時間遡行によって得られる優位性――未来のカンニングによる情報の蓄積が、今回はほとんど無い。
「……いや、まあ一回目の時も優位性などないに等しかったが」
アクトが最初に経験した時間遡行は、ドラゴンを倒してからゼルニアに首を刎ねられるまでのほんの一、二分に満たない時間で、時間が巻き戻っている事にすぐに気づけない程だった。
だが、今回の時間遡行は巻き戻った時間の長さが大きく異なっている。
前回の世界でシュナに殺された時刻は……当時の日の沈み具合からしておそらく午後六時から七時までの間。
つまり今回の時間遡行は今日の夕刻から昨日の夜まで、およそ十時間以上も時間が巻き戻っている事になる。
「……あるいは、長時間の遡行による負荷に脳が耐えられなかったから……とか?」
時間遡行によって持ち帰れる記憶の量には制限がある、なんて可能性はあるだろうか?
そんな自分の発想を、即座に否定するように首を振る。
「時間遡行したという認識がある以上、記憶の継承が出来ていない訳ではない、のか……?」
そもそも、シュナに殺された瞬間の記憶だけは嫌という程に鮮明なのだ。
だからこれは記憶の継承に失敗した、というよりはアクトが二周目の世界の今日の記憶の大半を何らかの理由により忘れかけている、と考えた方がいいのかもしれない。
例えば、記憶喪失は強烈なショックにより引き起こされるものだ。
他にも解離性同一性障害――二重人格が発生する原因も、強いショックから自身の心を守る為だと言われている。
「……物理的に肉体を殺し尽くされ、最悪の事実に心も殺されたからな。二重のショックで、記憶が壊れた可能性は充分にある。ああ、大いにある。だってマジでしんどいからな今」
そして、今回の時間遡行が前回までと大きく異なる点は何も巻き戻った時間の長さだけではない。それ以上の変化がリスポーン地点の変更だ。
以前はドラゴン絶命の瞬間の森の中に設定されていたはずのそれが、シュナと二人で過ごしたオレジア一日目の夜へと変わっている。これも決して無視できない変化だ。
「リスポーン地点が更新されたのは、おそらくは俺の死という運命が変わったから」
時間遡行によって歴史が変わり、運命の分岐点を一つ乗り越えたとなれば、当然分岐点も更新されるというのがお約束。
あくまでこの手の時間系の創作物を参考にした何の確証も根拠もない推測でしかないとはいえ、今陥っている状況を鑑みるにあながち的外れという訳でもないだろう。
更新された運命の分岐点。
シュナに殺される運命を回避し、乗り越えない限りおそらく俺は何度だってシュナに殺されそして俺が死ねば――
「――また時間は巻き戻り、俺は死を、そしてこの絶望を繰り返す」
この時間遡行には実行犯がいるのか。それとも意思なき現象なのか。
一周目の世界で提起したその問題に、アクトはある一つの仮説を立てていた。すなわち。
「この時間遡行が俺の死をトリガーとしている可能性……まさか本当に自分の命で検証する羽目になるとはな。しかも、その仮説が正しかったかもしれないなんて……」
どの道、まだサンプルは二回分。
確定するには気が早いが、二回連続でアクトの死と同時に時間遡行が発生している以上、無関係と断ずる事も出来ない。
「……ひとまず、こんな所か」
今回と全開の時間遡行の差異や、関連する謎。考察すべきポイントはあらかた整理できた。
時間遡行の条件や原因についてはひとまず置いておくべきだろう。
重要な謎ではあるが、今回の件に直接の関係はないはずだ。
今考えるべきはシュナがアクトを殺した理由、つまりは殺人の動機という謎。
そして思い出すべきは今日これから何が起きるのか、つまりは失われた記憶だ。
二周目の世界と三周目の世界の差異を比較する事がシュナの殺意の謎を解き明かす最大の鍵になるであろう事は間違いない。
よって今からその二つを同時に探り、この十数時間の間に何が起きて、何故アクトが彼女に殺されなければならなかったのか――失われた記憶に隠された真相を暴き、運命の分岐点を乗り越えなければならない。
シラト=シュナを救う為に。
「やるべき事は定まった。抗う覚悟も恐怖を踏破する勇気も、全てはこの胸の裡にある」
ならば後は、望む結末を掴むべく全霊を賭して戦うのみだ。
アクトが目指すべきはアーマナイトとして『魔王』を倒し、この世界から絶望を打ち払い、誰一人欠ける事無く帰還する、そんな希望に満ちた大団円の結末なのだから。




