Act 2 異世界ファンタジー・アーマナイト紀行→ジャンル×変身⁉ scene:7 約束
ウルゴの森を抜けたアクト達は、ラビリオ村という集落で一泊する事となった。
異世界へやって来て初の人里に、不謹慎ながらも期待と高揚に胸を膨らませていたアクトを待っていたのは、あらゆる意味で期待と想像を大きく超えるファンタジーだった。
ラビリオ村は『兎人族』という種族が暮らす集落で、要はバニーガールの楽園だったのだ。
どこを見まわしても愛らしいウサ耳が揺れ動き、皆が皆、やたらと肌の露出度が高い挑発的な衣装を纏っている。種族全体としてそういう傾向にあるらしく、バーニットが集まる街の一角は夜の色街として栄えると言われているのだとか。
ククリカ――ちなみに彼女は犬人族という種族だそうだ――が「バーニットの特徴は性欲の強さだ」と顔色一つ変えず言い切った時は流石に反応に困ったりもした。
とはいえ、良くも悪くも最も印象的だったのは、村人たちからの奇異と好奇の視線だろう。
『勇者伝説』から察せられるように、アルカ・デアでは生きたビジンナ――すなわち人間はかなり珍しい。
一般的な獣の民が一生で生の人間を目にする機会など殆どない程だとか。
そこへいきなり三人もの人間が現れたらちょっとしたパニックになるのも頷ける。
軍の関係者で方々に顔が効くククリカがいなければ、騒ぎを収める事は勿論、宿を取る事も難しかっただろう。
与えられた個室は現実世界のホテルとは比べものにならないほど質素で安っぽい木造の小部屋ではあったが、今は周囲の視線を遮り一人横になれる寝床があるだけでありがたい。
「――魔王の復活に勇者の再臨。生存競争に敗れた人類と、勝利した獣の民。魔物に魔法に遺跡に、ケモ耳娘からエルフまで何でもありの王道ファンタジー、そのうえ何故か神話と化したアーマナイト。挙句、世界を救ってくれ、か……欲張り過ぎだろう、異世界め」
自嘲するように呟いて、そのまま硬いベッドに倒れ込む。
感傷に浸るような柄ではないのだが、流石に今日は色々な事があり過ぎた。
かろうじて現状に適応出来ているのは役者という職業柄、あるいは虚構を愛する者の一人として、ファンタジー的な世界観や物語めいた展開に多少の耐性があるからか。
この意味不明な状況を共有できる親友が隣にいるのも大きいのかもしれないが――
「――共有……いやダメだ。言えない。シュナには勿論、マナトにも」
異世界に召喚されてから経験した全てを、マナトと共有出来ている訳ではない。
アクトが殺され時間が巻き戻ったあの現象、時間遡行については話せていなかった。
(俺以外に時間遡行に気付いている人間がいればまた話は違ったんだが……)
道中、皆の言動に注意を払いつつ、時間遡行を知る者だけが分かるような発言でそれとなくかまを掛けたりもしてみたのだが、時間遡行があった事実に気付いている様子や、気付きながらもその事実を隠しているような言動の違和感は感じなかった。
時間が巻き戻った事実をアクトしか認識していない以上、巻き戻った確信があろうそれを皆に証明する手段がない。証人がおらず証拠も根拠もないのでは話すに話せない。
(……異世界召喚だなんて言うこのふざけた状況の中でさえ、アレは異常だった。正直、うまく説明できる自信がない……いや、それ以上に――)
あの時のアクトはブレイヴとして超常的な力を振るってはいたが、時に干渉する力をブレイヴは持っていない。
つまりは時間遡行現象の原因はブレイヴにはない。
ならば異世界の魔法による干渉と考えるのが妥当で。
この現象を引き起こした犯人が他にいる、という事だ。
(……だが、その何者かは何故時間を巻き戻した? あの時は結果的に助けられたが……)
時間を巻き戻した目的も、時間遡行発動の条件も分からない。
分からない以上、実行犯を推理する事も難しく、その目的ないし条件を推測しようにも取っ掛かりとなる手掛かりさえ現状では皆無で、敵か味方かも分からない。
仮に登場人物の中に犯人がいるとするのなら、最も疑うべきは敵対する『魔王』ディスペランサーとゼルニアだが、俺を殺そうとした彼らには俺を助ける理由がない。
次に疑うべき現地の住人であるククリカには、『魔王』討伐という目的があり、『勇者』であるアクトを助けるという動機もあるように思えるが……そもそも時間遡行なんて力を使いこなせるのなら『勇者』に頼らず『魔王』を倒せるのではないだろうか?
仮にククリカが犯人だったとして、その事実を隠したままでいるのも不自然だ。
アクトが時間遡行に気付いており、それとなくその事実を周囲にアピールしている以上、アクトに隠し続ける理由がない。
アクトが彼女の立場なら確実に裏で接触を図るだろう。
異世界人ですらないマナトやシュナはひとまず除外するとして……ならば、時間遡行が人為的なものではなく現象だった場合は? 強引に仮説を立てるのであればアクトの死がトリガーである可能性はあるが、サンプルが一度しかない以上、それは仮説未満の当て推量だ。
まさか検証の為に自ら命を断ってみる、なんて真似が出来る訳もない。
「……ダメだな。疲れていると碌に頭が回らない。今日は早めに寝ておくか……」
思考が凝り固まってきたのを感じ、アクトはそう呟いて意識して目を瞑る。
そうすると、今更になって己の中の疲労と眠気を強く自覚する事が出来た。
時間を巻き戻した何者かの目的は分からないが……ひとまず今は、明日以降考えるべき事柄を整理する事が出来ただけ良しとしよう。
と、そろそろ寝入ろうとした矢先、個室の扉が控えめにノックされた。
真夜中、皆が寝静まったこのタイミングでの接触。まさか、アクトのアピールに気付いた時間遡行の実行犯が――
「――は、入っても……いい?」
そんなアクトの予感を裏切るように、どこか張り詰めた少女の鈴の音が耳朶を叩く。
「……あ、ああ。シュナか。俺は別に構わないが……」
アクトは若干の肩透かし感を覚えつつも、気を取り直して、
「こんな時間に一人か? マナトはどうした? 寝れないのか?」
……ン、と答えになっていない曖昧な返事をしながら、遠慮がちに少しだけ開けた扉の隙間からそそくさと、薄いピンクの寝間着に着替えたシュナが室内に入ってくる。
身体を起こしベッドに座り直すと、扉の前でもじもじと所在なさげに身を縮めているシュナに目線で隣に座るように促す。
思いのほか素直に応じ、シュナはアクトの隣に腰かける。
「え、っと。その、わ、私。昼間のこと、を……その。あなたに、謝りたくて」
「昼間のこと?」
「うん。私、あなたに酷い事を言ったでしょう? だ、だからその……ご、ごめんなさいって、言おうと、思ったの。それで……」
シュナは蒼い瞳に涙を溜め、俯きがちに、恐る恐ると言った調子で言葉を紡いでいた。
昼間の態度が噓のようなしおらしさで、まるで闇に怯える迷子のように。
「森で、私を怪物から守ってくれたでしょう? なのに、お礼も言わないで、私あんな事ばっかり言っちゃったから。だから、本当はもっと。もっとちゃんとしたくて……」
謝りたくて、お礼を言いたくて、もっと上手に話したくて。そして彼女はそれ以上に――
「――……嫌いに、なったわよね? 私の、コト……」
身体の横で握りしめた拳を震わせ、蚊の鳴くような小さな声で、けれど彼女は確にそう聞いた。怯え、恐れ、躊躇いながらも、そう確かめずにはいられなかったから。
何よりも切実で、人間らしく浅ましいその問いに、アクトは咄嗟に言葉を返せない。
そんな反応を問いに対する肯定であると受け取ったのか、シュナはプラチナに輝く前髪に隠した瞳をますます曇らせて――ああ、そんな顔をさせてしまった自分がアクトは許せないし、力の限りぶん殴ってやりたくて堪らなくなる。
「……俺は馬鹿だな」
だけど、そんな事をした所でただの自己満足にしかならない。
アクトが自らの傷を広げて悦に入った所で、目の前の傷ついた女の子を癒してやる事は出来やしない。
ならばそんな正義は偽善だろう。意味のないポーズであり、ただの嘘だ。
ならばアクトが取るべき行いは。
もっと、きっと、単純で。
「え、」
アクトは、戸惑う少女をそっと優しく抱き締める。
「そんな訳ないだろうこの馬鹿め、と言ってやりたい所だが――アーマナイトが子供にそんな顔をさせたらお終いだ。不安にさせてすまなかった。ブレイヴ失格だな、俺は」
どれだけ元気に見えても。気丈に強気に振る舞って、酷い体験から立ち直っているように思えても。人なんて怖くないと嘯き強がれても――結局の所、彼女の本音はそこにある。
他人と関係を築く事を、関わる事を恐れている。
記憶を失い、両親を失い、全てを失った彼女には、確固たるものが何もない。
縋れるものが何もないから、強い自分を偽って纏って、そんな自身の虚像に縋るしかない。
けれどそんな鎧の内側に、シラト=シュナは変わらず抱えているのだ。
嫌われる事への恐怖を、要らない子だと捨てられる不安を、存在を否定される苦しみを、孤独になる事の絶望を、蔑まれる悲しみを、拒絶の痛みを、未だ癒えぬ心の傷を。
「ど、どうして? ごめんなさいって言ったのは私よ? どうしてあなたが謝るの?」
悪いのは私なのと困惑するシュナは、抱きしめられている自分を拒むように首を振る。
「ああ、確かにそうだな。俺とした事が、謝るよりもっと大事な事があるのを忘れていた」
それは、自らの存在が肯定される事への懐疑であり不信であり否定であり罪悪感。
邪魔者として存在を否定され続けてきた事実は棘となって深々と、呪いのように少女の心に突き刺さり、未だに彼女を蝕み縛り続けている。
――シラト=シュナは、自らの手で自らを肯定してやる事が出来ないのだ。
だからアクトは確信する。この子の傷は全く以て癒えてなどいなくて――……なあ、マナト。お前は気付かなかったのか? この子を救うと決意し引き取って、懸命に愛を注いだお前でも、この傷を癒してやることは出来なかったのか? おかしいだろう、こんな事。お前という男が共に在りながら、どうしてこの子はこんな悲しい目をしているんだよ。
この子の為に出来る事がアクトにあるのかは分からない。
それでも、彼女のこんな悲しい在り方をカミシロ=アクトは絶対に認めたくなくて。
「大丈夫だ、安心しろ。お前の大好きなブレイヴはお前を――シラト=シュナを嫌いになったりなどしない。絶対にだ、約束する」
「ち、違うわ、違うの。私が、言いたかったのは……そうじゃ、なくて」
縋るようにアクトの胸に顔を埋め、けれどシュナは抗うように狼狽する。アクトはそんな彼女の頭を優しく撫で続ける。
「昼間の事だって、おかしいわよ。世界を救うなんてきっとできっこない。辛くて苦しくて死んじゃうだけ。なのに、どうして――」
『――今からおよそ一年間前、今代の勇者だったシュゼリカ=クリム=シャンデルフィールは二人の魔王を相手に戦い、うち一人を討ち取ったがもう一人に敗れ命を落とした』
シュナの嘆きに思い出すのは、昼間のククリカの言葉だった。
『彼女を……勇者を失った私達には、魔王の蹂躙に対して打つ手がない。幸い、これまでは魔王が大きな動きを見せる事もなく被害は最小限で済んでいたが……貴方の前に現れた魔王の言葉を信じるのなら、仮初の平穏も終わる』
アクト達は異世界の人間で、端的に言ってしまえばこの世界とは無関係な存在だ。
『イナミ=マナト。ユウキ=ハルト。異世界の人間である貴方達に、こんな事を頼むのが筋違いだという事は分かっている。厚顔無恥で傲慢な酷い押し付けである事など百も承知だ。それでも、頼む。どうか、魔王を倒し絶望に沈み往くこの世界を救って欲しい――』
シュナの言う通り、アルカ・デアなどどうでもいいと吐き捨てる事だって出来た。
むしろ理不尽な召喚に怒っても誰もアクトを責められない。その権利がアクトにはあったのだ。
「別に、おかしい事はない。マナトも言っていただろう? 元の世界に帰る方法を探すにせよ、協力者の存在は必要不可欠だ。なにせ、ここは右も左も分からない異世界だ。ククリカの協力がなければ、明日食べる物や今日の寝床にだって困ってしまうからな」
「でも、あなたはそんなこと、少しだって気にしていなかったじゃない」
……ああ、確かに。それはシュナの言う通りで、仮にククリカからの提案がなくとも、アクトは世界を救おうとする事を迷わなかっただろう。
だって、それはアーマナイトとして、あまりにも当然の選択で。
カミシロ=アクトにとっては、迷う理由を探す方が難しい事なのだから。
「何も分からないのに……ねえ、どうして? こうしてると、すごく……ホッとする」
抱き締められる事を拒むように強張っていたシュナの身体から、次第に力が抜けていく。
「……ずっと、分からないのは、怖かった。のに……だから私、いつも。独りで、寂しく、て……なのに……分からないのに、わたし、は……」
緊張の吐息が緩やかな寝息へと変わっていくまで、そう時間は掛からなかった。
きっと、疲れていたのだろう。心への負担はこの子が人一倍に大きかったはずなのだから。
「……。お休み、シュナ」
シュナをベッドに寝かせ、寒くないよう布団を掛けてやる。
青みがかった白髪を、そっと優しく撫でつけてから、アクトは窓際へと歩み寄る。
異世界の空は、ビルの明かりに霞む現実の夜空よりも美しく幻想的で、浮かぶ大きな月と星々とが煌々と瞬いて、窓に映り込むアクトの顔を柔らかな光で優しく塗り潰す。
「世界を救ってくれ、か……」
窓に掌を押しあてて、あまりに壮大過ぎてまるで現実味のない言葉を口にした。
そうすれば噓のように虚構めいたこの現実を、真に心から信じる事が出来る気がする。
カミシロ=アクトは単なる役者で、所詮は虚構の主人公を、ブレイヴに変身するユウキ=ハルトを演じている紛い物に過ぎないけれど。
『魔王を、ディスペランサーを名乗るあの男を止められるのが俺達しかいないのなら』
やはり迷いはなく、ククリカに尋ねられたあの時とアクトの答えは変わらない。
「俺は勇者として……いや、アーマナイト・ブレイヴとして、あの男を倒す」
何度繰り返してもあまりに壮大で、身の丈に合わない話だ。その自覚はある。
けれどどの道、他に選択肢なんてなかったのだろう。
アクト達は魔王へのカウンターとしてこの世界に召喚された。
ならきっと、元の世界へ帰る為には召喚の原因となった『魔王』を、この世界から取り除かなければいかなくて。
「待っていろ、ディスペランサー。アーマナイトを魔王へ貶めるお前を、俺は絶対に――」
だからアクトは、マナトと二人勇者として魔王を倒して世界を救い大団円を勝ち取って、誰一人として欠ける事無く守るべき少女を――シュナを元の世界へと連れ帰るのだ。
「だから、頼むぞ。もうしばらく、俺に力を貸してくれよ」
テーブルのベルトを一瞥してから、アクトはしばしの間窓越しに夜空を見上げ続けた。




