会遇③
*
「お前を護衛として雇うにあたり、条件がふたつある」
ロレンツォの傷が治るやいなや、早速街に連れ出された。高級ブティックが並ぶ一角で、カリーナはふらりと紳士服の店に入る。
そうして適当に服を選ぶと、ロレンツォへと当てながら難しそうに眉根を寄せた。
「ひとつ、構成員として最低限のマナーとルールを遵守すること。ふたつ、絶対に嘘をつかないこと。それにふれない限り好きに振る舞え」
「おかしな条件だな。嘘はダメだが、てめえを殺す計画はたてていいってか?」
「条件ひとつめ」
「は?」
「今のは目を瞑ってやる。だが次に破ったときは容赦しないぞ」
ギロりと睨む目は本気だった。この女の目的が読めないうちは、逆らうべきではないだろう。
ロレンツォは溜め息をつき、ふてぶてしく両手をあげる。
「かしこまりした、カポ。それで、どなたにお願いすれば貴方を殺す許可をいただけるのでしょうか?」
「ふふ、可愛い奴め」
そう言って笑うカリーナには、もはや冷酷な雰囲気はない。ロレンツォの言葉を咎める様子もなく、彼女が示すルールの最低ラインはかなり低いようだ。
「私を殺したければ勝手にしろ。ただしお前に武器等は渡さない。銃や毒の類いが欲しければ自分で調達するんだな」
「武器もなくどうやってカポをお護りすれば?」
「ロレンツォはそんなことをしなくていい。お前は私の可愛いペットだ。ただ愛くるしく隣にいてくれれば十分だよ」
ロレンツォの顎を真っ赤な指先がなぞる。嫌悪に顔を顰めれば、おかしそうにクスクスと笑われた。
カリーナはどうやら、本気で自分を気に入っているらしい。どういった理由であるかは判然としないが、殺したい女に好まれても気分のいいものではない。いっそ不快なばかりだ。
だがカポであるカリーナに近づける立場はありがたかった。彼女の隙をつくまでの間、この状況を利用しない手はない。
「信頼できない奴を隣に置くつもりはなくてな。護衛は普段、ベルナルドかカルロにやらせている。ベルナルドと面識は?」
「テレジオファミリーについて調べたとき、お名前だけ」
「あれはまだまだ子供だが、腕もたつし勘が鋭い。お前もあいつに学ぶことは多いだろう、早めに挨拶をしておけ」
「かしこまりました」
「ふむ、ロレンツォは色が白いからな。赤の方が似合うだろうか。だが瞳とあわせたグリーンも捨てがたいな」
ロレンツォにジャケットをあてると、ああでもないこうでもないと悩まれる。その様子は人形遊びをする子供のようだった。
「なあ、カルロ。お前はどっちがいいと思う?」
「俺はこっちの方が好きだな。色がいいし、これからの季節はいろんなスタイルに合わせやすそうだ」
「むっ、確かにそうだな……仕方ない、これも全部もらおうか」
その言葉に、にこやかな店員が手際よく対応する。
カリーナが選んだ服はすでに二十着を超えていた。これだけでいくらになるのかと、金持ちの道楽に辟易とする。
「カポ、お気持ちは嬉しいですが、俺には過ぎたものばかりです」
「遠慮するな、私がただ買ってやりたいだけだからな」
「ですがそれは、ドラッグや荒事で稼いだ金でしょう? ドブ川から出てきた金で着飾っても気持ち悪いだけです」
真顔でうたえば、ピシッと空気が凍る。変わらぬ曲調で流れるクラシックが滑稽だった。
店員は顔を青ざめ、カリーナを見つめている。カルロも素知らぬ顔をしていながら、ロレンツォに対する憤怒が溢れていた。
だがカリーナはひとつだけ笑い、新たな服へと手を伸ばす。
「汚い金だろうが、使われなければただの紙切れだ。もしファミリーが崩壊して国に回収されるより、こうして街に還元した方がいいだろう」
「まっとうに稼いで散財するという発想は?」
「私達は確かに犯罪組織だが、真の弱者から金を巻き上げたことは一度もない。私達の手元にある金は、本当の意味で汚い金だよ」
皮肉げに笑われ、さらに問い詰めようとする。だがカリーナはこれ以上話すことはないとばかりに、店員へ会計を求めた。
店を出るとすぐ、「全て同じブランドだとつまらんだろう」とさらに数店舗連れ回された。挙げ句の果てには「仕立て服もないと威厳が足りんな」と仕立て屋にまで足を運び、帰りついたのは日がどっぷりと沈んでからだった。
散々連れ回されたせいで、疲労が果てしない。すぐさまベッドに沈みたかったが、敵の屋敷でそんな無防備なことはできなかった。
ロレンツォに与えられた部屋は、屋敷の奥にある客間のひとつだ。屋敷ではカリーナやカルロが住んでいる他に、何人かの構成員も日周りで常駐しているらしい。
ソファに腰をおとし、チラリと視線をすべらせる。クラシカルな内装で統一された部屋には、今や服や小物が山のように積まれている。これを片付ける労力を想像し、またも溜め息がもれた。
これまでのロレンツォの稼ぎでは、一生かかっても買えないようなものばかりだ。こんなものをポンっと買い与えるカリーナは、頭がおかしいのではないか。さらにはその金だって、誰かを不幸にして手に入れたものだ。この山を見るたびに、──自分がやってきたことは棚にあげ──、カリーナの醜悪な顔を思い出してしまう。
イライラとする気持ちを落ち着けようと煙草を探す。だがジャケットの中から出てきたのは空の箱だけで、ことさら苛立ちがつのった。
すでに夜がふけているが、どこかあいている店を探しに行こう。ついでにこれからの計画を練り直すべきだと、ジャケットを羽織り部屋を抜け出た。
薄暗い廊下は、昼間と違い殆ど人の気配がしない。
カリーナを殺すためカジノに潜入し、間抜けにもそれがバレながら生き延びたロレンツォの噂は、ファミリーの中ですでに広がっていた。しかも何故かカリーナのお気に入りとなった男を、構成員達は複雑な目で見てくる。
懐疑、嫉妬、怨嗟、憤怒。
だがそれを直接ぶつけられることがないのは、殆どをカリーナと行動していることと、女王様のお気に入りへ下手な態度をとれないせいだろう。それでも遠巻きに向けられる感情を、ロレンツォは一切気にしてはいなかった。
自分がこのファミリーにおいて異物であることは理解している。カリーナの目を盗み、殺される可能性だってある。それでもやはり、兄の為にも、自分の為にも、逃げ出すことは許されなかった。
長い廊下をゆったりと歩いていれば、前方から小柄な人影が近づいてきた。
眩い金色の髪と、空を思わせるブルーアイズ。大きな目や小さく丸い顎は、まるで夢見る乙女のようだ。その中で不機嫌に結ばれた唇が、近寄り難い雰囲気を放っていた。
「誰だ、てめえ」
すれ違う間際で、そう問いかけられた。
歳は二十過ぎくらいだろうか。遠目では少女と見間違えたが、よく見れば男であるらしい。可憐と形容するに相応しい彼は、それでいながらこの屋敷にいる男達と同じように、荒々しい気配をまとっていた。
「こんばんは、シニョーレ。俺は一応カポのペットでね。そういうわけだからあまり絡まない方がいいぜ」
「カリーナのペット? ……ああ、お前がアルベルトの弟か」
カリーナのペットで通じるのも複雑だが、ひとまず青年は納得いったように頷く。
テレジオファミリーのカポであるカリーナを、名前で呼ぶ構成員は少ない。さらに言えば、彼の顔は何度も写真で見たことがあった。
「お前は幹部のベルナルド・スコッティだよな?」
ベルナルド・スコッティ、二十二歳。僅か十九歳でカポ・レジームとなった青年で、カリーナが信頼する側近の一人だ。
そもそもテレジオファミリーの組織図はトップにカリーナがおり、その下にアンダーボスのカルロ、そうして数名のカポ・レジームと、彼らの下にソルジャーと呼ばれる構成員がいる。カポ・レジームとは、この二次組織をまとめあげる立場にいた。
マフィア組織ではカポに顧問という、老獪な弁護士や相談役がつくが、これには先代から継続してパネッタという老人が就いている。この男は保守的な男で、未だカリーナを認めておらず、またパネッタ自身が持つ権力のせいでカリーナも迂闊に手をつけられないでいた。
ベルナルドはカポ・レジームの中でも穏健派で有名だが、その代わりに小賢しい男である。彼は任されているカジノや酒場で、どのカポ・レジームよりも高い利益をあげていた。カルロと並びよくカリーナの相談にも乗っているようで、構成員からの信頼もあつかった。
だがこの不機嫌な態度を見ていれば、そんな前情報を疑いたくなる。睨めつけるような視線は、嫌悪と懐疑に満ちていた。
「うるせえ、クズ。下っ端が気安く呼ぶんじゃねえよ」
「悪いが、敬愛すべきカポ以外に頭を下げるつもりはないんでね。ペットのおいただと思って見逃してくれや」
飄々と答えれば、ベルナルドは一瞬だけ面食らった顔をし、すぐさま何かを偲ぶように瞳を細めた。その反応は意外で、ロレンツォの方が警戒してしまう。
「こんな時間になにしてたんだ。夜のカリーナは機嫌が悪いからあまり近づかない方がいいぜ」
「へえ、それは良いことを聞いたな」
「本当にやめとけ。明日お前の死体を片付ける労力を考えるだけで面倒くさい」
かぶりを振られ、そんなにも彼女の機嫌が悪くなるのかと思った。しかも夜になると、というのが気になる。
だがベルナルドはこれ以上話すことはないとばかりに歩みを始めた。その背中を見つめる。
「ひとつだけ聞きたいことがあるんだが」
「ネズミ相手に教えることはねえよ」
「いや、そうじゃなくて、近場で煙草を売っているところを教えて欲しいんだ」
ほとほと困ったと肩をすくめる。そうすれば、間抜けな顔をしたベルナルドが振り返った。
翌日、いつもの古びたスーツを着てカリーナの執務室へ行けば、あからさまに嫌そうな顔をされた。
「昨日のスーツはどうしたんだ」
「言ったでしょう、俺には過ぎたものです。恐れ多くもカポにいただいたものですし、家宝として大事にしまっておきますよ」
「本気でそう思っているなら今すぐ着替えてこい。私の隣に立つ男が、そんなくたびれた格好をしているなど許さん」
不機嫌に言われ、面倒だなと首をかく。この様子では昨日のスーツを着ない限り、機嫌をなおしてくれそうになかった。
だが仇に与えられた服を大人しく着るのも癪に障る。カリーナに黙って従えないほどの、小さなプライドくらい存在するのだ。
「それでしたらカポをエスコートする、特別な日の装いとさせてください。今はまだ新入りですし、この立場にふさわしい格好を致します」
「……うちの奴らになにか言われたのか?」
「そういうわけではありませんが、なにか心当たりでも?」
疑問形に疑問形で返せば、カリーナはむっつりと唇を結んだ。ペンを握り、手元の書類を見つめる。彼女の机には、サインを待つ書類がいくつも積まれていた。
「明日の昼はスタンフォード市長へ会いに行く。ベルナルドと共に護衛としてついて来い」
「かしこまりました」
「今日はお前を連れ歩く予定もない。今晩までにはその汚いスーツは捨てておけよ」
それだけ言うと、チラリとも顔をあげなくなった。無心でペンを走らせるカリーナに溜め息をつく。
「ところでカポ、出過ぎたことかとは存じますが、少々顔色が悪く見えます」
「は?」
「初めてお会いしたときから思っていましたが、今日は化粧でも隠せていないようですね。睡眠はきちんととられているんですか?」
不遜な態度で言えば、渋さを増した顔があげられる。
実は昨夜、この執務室に明かりがついているのが見えた。煙草を買いに出かけたついでに、周辺でテレジオファミリーの聞き込みも兼ね、少しだけ飲んで帰った。日付が変わる時間だと言うのに、執務室は変わらず、煌々と輝いていたのだ。
「お仕事熱心なのは構いませんが、少しくらい休まれるべきです」
「ペットがでしゃばるな」
「ペットだからこそ、大切な主人のお体を案じているんです」
カリーナは面倒くさそうに額を抑える。その仕草が重苦しく見えるのは気のせいだろうか。
「……睡眠障害があるんだ。酒や薬を服用しているが、どうしても夜になると寝つけなくなる」
「それなら夜這いは難しそうですね」
「やめておけ。ロレンツォ相手だろうが、癇癪を起こして殺してしまうかもしれないからな」
苦笑され、ピクリと眉が動く。
ベルナルドも夜のカリーナは機嫌が悪いと言っていた。どこまでもロレンツォに甘いこの女が、自分を殺す可能性があるほどに。
そこまでカリーナが変貌する理由とはなんだろうか。
「用事がすんだのなら出ていけ。あまりお前と二人きりでいると、カルロの機嫌が悪くなるんだ」
「まあ、貴方を殺すと宣言していますからね、俺は」
「そうでなくとも、私が男と二人でいることを嫌がるんだよ、あいつは」
そのとき初めて、カリーナの目じりが柔らかく下がる。
カリーナとカルロは、それぞれカポとアンダーボスという立場にいる。だが父方の血が繋がった従堂兄妹であり、ようは遠い血縁同士なのだ。
幼いカルロが抗争によって両親を亡くし、先代のカポに引き取られたことは、島民なら誰でも知っていることだ。それからカリーナとカルロは兄妹のように育ち、今では深い信頼関係の築かれた主従になっていた。
カリーナがカルロを信頼していることも、カルロがカリーナを溺愛していることも、僅か数日で理解出来た。その関係が歪であることは、他所から入り込んだロレンツォだからすぐにわかったのかもしれないが。
「カルロはカポの情夫なんですか?」
「可愛い質問だな」
クスリと笑いながら言われた言葉は、質問を肯定しているようでもあり、これ以上踏み込んでくるなと拒絶しているようでもあった。
「ベルナルドは昨夜戻って来ている。あいつと明日の打ち合わせをした後、カルロのところに行け」
それで本当に話は終わりだと、唇をつぐまれてしまう。
ロレンツォとしてもこれ以上この部屋にいる理由などなかった。小さく頭を下げ退室する。