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会遇①


 おどろおどろしい雷の音がした。

 窓の向こうでは、閃光が重い闇夜を彩っている。そのたびに腕の中の女がビクリと震えた。

 常は威風堂々と背筋を伸ばし、女王のごとき尊大さで他人を見下している女が、今ではロレンツォにすがりついている。

 この女に怖いものがあることも、雷が苦手なんて可愛らしい一面があることも、全てが意外だった。


「ロレンツォ、カーテンを閉めろ。窓もだ」

「閉めてますよ。こんな嵐の日に開けるバカなんざそういないでしょう」


 彼女──カリーナの頭を撫でながら鼻で笑う。一瞬文句を言おうと、カリーナの頭が持ち上げられた。だがカーテンの隙間から稲妻が見え、小さな悲鳴とともにロレンツォの胸に潜り込んでくる。

 なんとかなだめようと、彼女の背中を撫でてやる。

 細い肩にひどく驚いた。殺しても死ななそうな女なのに、ロレンツォの胸にすっぽりおさまるほど小柄だったのか。

 これならば、今ならば、殺してやれるのではないか。

 カリーナを、憎い仇を、マフィアのカポを、殺せるのではないか。

 遠くから嵐がやって来る。懐にいれている銃を意識すれば、心臓が早鐘をうった。


「ロレンツォ」


 不意に、カリーナが言う。

 嵐の音にかき消されそうな、弱々しい声だ。

 ただのか弱い女が、小さな拳でロレンツォのスーツを握りしめた。


「お前だけは、私に嘘をつかないでくれ。カルロみたいに、お前だけは、私を裏切るなよ」


 カリーナの顔が、チラリとだけ覗いた。青ざめた頬を、一筋の滴が流れている。

 その刹那、一際大きな雷が落ちた。

 ピカッと世界が眩く発光する。

 嵐はとっくに、彼らを包み込んでいた。





 殺してやりたい程憎い奴がいる。

 その女は、カリーナ・テレジオという。

 冷酷無情な彼女は、ステラルクスという島の女王様だった。

 イタリア半島から遠く西南に位置する、人口四百万人程度の小さな島だ。島という閉鎖的な空間ゆえか、その風土が特殊であるせいか、よそ者に排他的な風習があった。その昔にこの世ならざる生き物の流刑地となっていたという伝説も、他の島との交流や観光客が滅多に来ない理由のひとつかもしれない。

 この小さな島には世界中のあらゆるものがあった。同じくらい、島の外にはないものもあった。

 そのひとつが、二十世紀末葉(まつよう)にしてもなお、根強く残るマフィアの権威だ。

 カリーナは百年以上島を支配するテレジオファミリーの直系で、六年前に亡くなった先代の父からカポの座を引き継ぎ、今では三百人に及ぶ構成員をまとめあげている。

 年齢は二十五歳。短い黒髪と切れ長の瞳が印象的な、気の強い美人だ。カルティエとクリスチャン・ルブタンが好きな女で、いつも真っ赤な口紅を引いている。

 洗練された容姿は、近寄ることすら躊躇う雰囲気を放っていた。その麗しさに惹かれ安易に近づけば、たちまちに食い殺されかねん恐ろしさがあるのだ。

 ロレンツォが彼女を憎んでいるのは、マフィア相手にはありふれた話だ。

 二十二のとき、六つ離れた兄が殺された。マフィアなんてものとは無関係の兄が、拷問の末殺されたのだ。

 ロレンツォにとって兄は、憧れの存在だった。

 兄は警察官で、正義感溢れる優しい彼は誰からも好かれていた。ロレンツォも兄にはよく懐いており、彼だけがロレンツォの理解者だった。

 あの日のことはよく覚えている。

 無惨な死体が家に届いた。【|Regalo per teプレゼント】と書かれたメーセージカードを首にかけた兄の死体が、玄関の前に横たわっていたのだ。

 兄に施されていた死化粧はテレジオファミリーが見せしめとしてよく使うもので、どうして優しい兄が無惨に殺されたのかと絶望した。

 絶望して、悲しんで、怒り狂った。

 腹の底で渦巻く怒りが、ロレンツォの気を狂わすばかりに。

 それからの四年間は、兄を殺した人間へ復讐するためだけに生きてきた。相手がマフィアで、自分に危険が迫ることなんて関係ない。兄が奪われた尊厳を、ロレンツォ以外に誰が取り戻せるというのか。

 覚悟を決めると、名前と経歴を変えて街を出た。マフィアに近づくため、あらゆるツテをあたり、犯罪すらおかした。

 憎いテレジオファミリーと同じことをしているという発想は一切なかった。兄の仇を討てるならば、全ての人間は等しく首を差し出すべきだ。兄の平穏なる眠りの助けになるのだから、人々だって喜ぶはずだと本気で思った。

 そうしてようやく、目的に近づいた。

 殺してやりたい仇が、ロレンツォの目の前にいる。


「面白い冗談だな、レグッツォーニ署長」


 カリーナが薄く笑う。その言葉に、彼女の前に座る男がビクリと震えた。

 高価な調度品で飾られた応接室は、テレジオファミリーの栄華を物語っている。初めに訪れたときは、他者からむしり取って飾られた屋敷に反吐を覚えた。

 座り心地の悪そうなアンティークソファに腰掛けているのが、カリーナとレグッツォーニという警察署長だ。後頭部が禿げあがった彼は、哀れなほど血の気が失せた顔で、テーブルをじっと見つめている。

 ロレンツォはカリーナの後ろに佇み、レグッツォーニを観察し続けた。カリーナに問い詰められるたび、彼の寿命が削り落とされていくのがわかる。


「つまりお前は、この数ヶ月起きている婦女行方意不明事件がうちの仕業であり、攫ってきた女達を島外(とうがい)に売り飛ばしているのではと疑っているわけだな?」

「と、とんでもないです! シニョリーナ・テレジオがそのようなことをされるだなんて、露ほども思ってはおりません!」

「私の個人的な思想は関係ない。テレジオファミリーは殺しも、麻薬も、密輸も仕事にしている。だがただ一つ、ステラルクスの守護者として、売春だけは決して許さない。それがファミリーの掟だ」


 カリーナは細い指で顎を撫で、悩ましげにレグッツォーニを見上げる。「その掟を、お前まで侮辱しようと言うのか?」と問いかける声は、表情とは裏腹に威圧的な感情が滲んでいた。

 レグッツォーニは何かを言おうと、大きく口を開けた。だがカリーナに見つめられ言葉が出ないのか、金魚のごとくパクパクさせるだけだ。そんな彼が哀れになり、ロレンツォは大きな溜め息をつく。


「あまりレグッツォーニ署長を責めるべきではないでしょう。彼だって立場上、仕方なく俺達を調べる必要があるだけです。彼がカポの親愛なる友人である事実は揺るぎませんよ」


 ロレンツォの言葉に、レグッツォーニはわかりやすいほど顔色を明るくする。この場に自分の味方をしてくれる人物がいるなど思ってもいなかったのだろう。

 突然現れた救いに、レグッツォーニが瞳を輝かせる。その変化にカリーナが鼻を鳴らした。


「ロレンツォは人を(たぶら)かすのが上手くてな。あまりこいつの言うことは信じない方がいいぞ、レグッツォーニ署長」

「心外ですね、カポは俺のことをそんな風に思ってたんですか?」

「私もお前に誑かされた一人だからな。でなければ自分の命を狙う馬鹿者を、側に置いておくわけがないだろう」

「それはカポが変わり者なだけでしょう」


 悪びれることなく肩をすくめる。カリーナはおかしそうに口角をあげた。

 ロレンツォがカリーナのお気に入り(・・・・・)となったのは、三ヶ月前のことだ。テレジオファミリーが所有するカジノにスタッフとして潜り、カリーナに近づく隙を伺っていた。

 名前や経歴は完璧に変えたが、それでも小さな島であるせいか、四年前に殺された男の弟だとバレてしまった。カビ臭い地下室でいたぶられているときに、ロレンツォを助け出したのがカリーナだったのだ。

 彼女はロレンツォの前に現れると、「どうしてうちのカジノに来た」と問い詰めた。

 喋ることすら億劫だったロレンツォは、それでも殺意だけは消し去ることをできなかった。「てめえを殺すためだよ」と血反吐を吐きながら答えれば、カリーナは何故か、嬉しそうに笑ったのだ。

 目的を達成することなく殺されると覚悟したが、ロレンツォはすぐさま解放された。それどころか、「今ここで死ぬか。私の護衛として隣に立つか。どちらかを選べ」などと言われたのだ。

 「殺してやりたい奴を守る屈辱が、お前のような愚か者にはお似合いだろう」という言い分は、どこまでが本心であるか判然としなかった。

 とにかくロレンツォが選んだのは、当然生き残る道である。だが彼は無条件にこうべを垂れることは選ばなかった。

 「お前の盾だろうが銃だろうが、なんにでもなってやる。お前を殺していいのは俺だけだ」と睨めば、やはりカリーナは、ひどく嬉しそうに笑ったのだ。


「ロレンツォが庇うなら仕方ない。レグッツォーニ署長の不敬には目を瞑ろう」

「あ、ありがとうございます……!」

「それに例の行方意不明事件も、署長に言われずとも気になっていた。愛するべきステラルクスの住人が、下劣な犯罪者どもに怯えているというなら、島の代表として私が対応するべきことだからな」

「はは、下劣な犯罪者ですか。クソ以下のカポが言うなんて、厚顔無恥(こうがんむち)にもほどがありますね」


 乾いた笑いと共に口を挟めば、レグッツォーニの顔色が変わる。輝いていた顔を青黒くし、瞳を開いてカリーナとロレンツォを交互に見つめた。

 だがカリーナは、気にするなと言わんばかりに喉で笑う。


「こいつの態度は今さらだ。それが気に入って側に置いているわけだしな」

「はあ……」

「お前の不敬を咎めながら、こいつは許すことが納得いかないか? だがな」


 カリーナは腕をのばし、ロレンツォのスーツを掴んだ。襟を引かれ、彼女に顔を寄せる。

 息がかかる距離に、美しい顔が現れた。美しくもおぞましい女だ。血の色をした唇を曲げ、禍々しく笑われる。


「自分の男に甘くなってしまうのは、仕様がないことだとは思わないか? なあ、愛らしい私のペット」

「……もちろんです。いつか貴方を殺すためなら、どんな屈辱にも耐えましょう」


 甘く囁き返せば、カリーナの瞳が歓喜に震える。

 その瞳に、変態女がと、心中で舌打ちした。

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