月下の君、狂うことなかれ
悲しい夢をみた。
夕暮れとき、公園の片隅で僕は泣いていた。些細なことで友人と喧嘩をしたからだ。
誰もいない公園でうつむき涙をながす。きっと友人は僕のところには帰ってはこないだろう。
いつだって大切なものはこの小さな手からこぼれていく。
「目が覚めたようだね。ずいぶんとうなされていたけど、嫌な夢でもみていたのかい?」
「う……んんん!?」
凛とした少女の声に反応して、朦朧とした意識が次第にはっきりとしてくる。どうやら僕は気を失っていたらしい。
校庭を照らすいくつかの外灯。光が弱いせいか星々がよくみえる。あれだけ厄介だった霧はみる影もなかった。
見慣れない少女の眼差し。星のような瞳、緋色の長い髪と桃色の唇、整った顔立ちに見惚れてしまう。甘くせつない吐息に咄嗟に視線を外した。
「き、君は?」
「声でわからないかな?」
「……君が…………あのときの女の子?」
「この姿で会うのは初めてかな。幼いボクでは会話もろくにできなかったからとても嬉しいよ。死線の狭間でしか話せないなんて窮屈だからね」
「お、幼い女の子と君が同一人物とは……にわかには信じられないよ。口調もぜんぜん違うし、姿形だって……姉妹なら納得できるけど…………」
「力を失っていて子供の姿になっていただけさ。前にも説明したはずだけど、信じられないなら別にいいさ。君が無事なら些末なことだよ」
「……そのう、いまいち状況が飲みこめてないというか、問題が山積みしていたような、魔物と戦っていたような、赤い竜がいたような、頭が妙に柔らかい感触で気持ちいいような?」
「野ざらしの校庭に君を寝かせておくわけにはいかないからね。本当は体育館に避難しようかと思ったけど、ボクの力では君を担ぐこともできないし、色々と考えてこのままでいいかなって。そ、そのう、ボクの膝枕では不服かな?。極上のソファーとまではいかないけど……」
「い、大丈夫です!!。とてもすばらっ、です!!」
慌てて僕は飛び起きた。これ以上少女と接近したままだと頭の血が沸騰しそうになる。女の子の免疫がない自分にとって、美少女は毒、猛毒だ。
落ち着け、落ち着くんだ。高鳴る心臓をおさえて深呼吸した。女子と手をつないだのは幼稚園の運動会以来、すでに十年ちかくご無沙汰している。女人の肌に触れた感触などとおの昔、どうしてもっと味わなかったのか、悔やみきれない。
後ろ髪をひかれるようちらりと覗くのは悲しいかな男の性である。平静を取り繕う間もなく呼吸が止まった。こんなことが許されるのだろうか、いや許されない、いや許して欲しい。
一糸まとわぬ少女の姿がそこにあった。
「……すっぽんぽん」
「この肉体に戻ったときに衣服が破けてしまってね。布切れ一枚の粗末なものだったけれど、そのう、あまり見ないでくれるとありがたいのだが……すこし恥ずかしい」
少女は頬をほんのり赤らめて両手で裸体を隠した。細身ながらも均整の取れた裸体、月下に照らされていっそう際立つ。
「ご、ごめっ!!」
「ふふっ、君も似たような恰好だし、おあいこかな?」
「ふぁぁっ、僕もすっぽんぽん!!」
慌てて大事なところを隠した。
僕の痴態に少女は苦笑すると、静かに立ちあがり空を見上げた。月光にあてられた少女の柔肌に息を飲む。まるで天女がが舞い降りたのかと錯覚するほど艶めかしく美しい。緋色の髪が少女の恥部をうまく隠した。
「今宵は満月、誓いの契りをするにはぴったりな夜さ」
「え……」
僕は返答に窮する。少女の言葉にいけない妄想しか浮かばない。今は思考する間が惜しい。少女の裸姿を一生のメモリアルとして目に焼きつけようと眼を見開き、すべてのリソースを両目に集中している。
この機を逃したらいけない、本能が語りかけてくる。
「ボクと交わり、この世界に久遠の安寧を希求する」
「……そ、それは……どう、すれば?」
「至高の域へと己を研鑽し、誰よりも強くならなければならない。奴ら、士爵級の魔物に後れをとってはこれからの戦いが窮屈になってしまうからね。悪しき魔族を一掃し、不滅の邪神を打ち倒すまで、ふふっ、妖刀"八咫烏"を棒きれ扱いでは困るのさ」
「……す、すいません」
「責めているわけじゃないさ。輪廻の歯車はまだ動き始めたばかりさ。ようやく見つけたんだ、優しく丁寧に君を導いていくさ」
「て、手取り足取りって、こ、こと?」
「今にわかるさ……」
「い、いまっ、まだ心の準備が……うっ…………!?」
不意に僕はえずく。急激な悪寒と突発的な片頭痛、胃から熱いものがこみ上げてくる。心臓が早鐘を打ち、発作のような症状に加えて全身がきしむように痛い。
「あぁぁぁ……」
のたうちまわり僕は泡をふく。少女の裸を楽しんでいる場合ではない。尋常ではない劇症に意識が混濁する。
「だめ、気を失っては"再誕"は成就しない。苦痛こそが君に与えた強さの源、例え心を蝕みあらゆるものに憎悪の念を抱いても、その痛みに耐えてほしい」
少女は歩み寄り、僕の体を抱き寄せる。
「ボクの名は"キルシェ"。三女神の末妹が一人、"キルシェ"。共に仕組まれた世界を壊そう」
どこまでも暗い瞳が覗きこむ。
膝枕をしてくれるのに、怖い、ただ怖い。骨がきしむように痛みのなかで僕の額に軽く口づけをする。
「その苦悶の表情……たまらないよ」
キルシェの黒い微笑に僕は発狂した。




