人助けと命を天秤にして
その姿は見る者を恐怖におとしいれた。
灰色の逆立つ毛、発達した四肢、成人男性の腕ほどに太く長い尾が特徴的だ。金色の双眸は獲物を鋭く捉えており、カメレオンのように左右非対称に動いている。狼のような顎から獲物を捕食しようと涎をまき散らしていた。
僕を含めて五人は金縛りにあったかのように動けない。現実を直視できずに呆然としてしまった。
「……に、に、にげー!!」
数秒後、口下手の僕が声を張りあげた。それに釣られて女子生徒たちが悲鳴をあげた。
「キャァァァァァァァァァァァァ!!」
金切声の三重奏。その声量に鼓膜が裂けるほどだ。
パニック状態のまま各々が駆け出す。理性も吹き飛び、仲良く列を成して避難する防災訓練とはわけが違う。なりふり構わずに我先にへと突き進む。
一番始めに抜け出したのは、強引にも扉を突進して破壊した呉妻聖菜だ。野生の勘なのか廊下に一番近い場所に陣取り迅速に対処する。騒ぐこともなく沈着冷静に対処しているのは場数の違いだろうか。その後を暮林藤也もついていった。
「No way!?。なんなのよ!!」
「キャアアァッ、は、早く!!」
藤浪レイラと山田日向も叫び声を上げながら脱出する。硬直したままの春日井菖蒲は、強引に山田日向に腕を掴まれて、連れ出された。
一番不運なのは僕こと青海蓮太郎だ。呉妻聖菜たちとは対角線上のポジションに魔物とは目と鼻の先だ。真っ白になった頭で後退りするが、それでもこの至近距離はつらい。
「び、ビーフジャーキー……じゃダメかな?」
唐突に、訳がわからない言葉をいった。なにをいっているのか、自分でも到底理解できていない。
長い赤舌がぺろりと頬を舐めた。
──ガウ゛ゥッ──
魔物が噛みつこうと真っ赤な口を開く。
「う、嘘、ごめんよぉ!!」
餌付けに失敗した僕はつかさずショルダーバックを投げつける。かつあげされたときに使う技のひとつだ。
運良く鼻筋にヒットして魔物は体制を崩した。
「……よし…………役に立つじゃないか!!」
思わず喜びの声をあげる。
身を翻して全力で職員室から飛び出す。今はただ逃げるしかない。
勢いのついた僕は転がるように廊下にダイブして最後尾で体育館に向かう。疲弊しきった体で動きが怪しいが弱音を吐いている暇はない。真後ろに聞こえる無数の咆哮に否応なく急かされて、先を走る女子たちとかなり引き離された。
体育館は校舎のすぐ隣にあり、一階の職員室から比較的近い。せいぜい数十メートルほどの距離で目と鼻の先だ。また校舎と体育館を結ぶ渡り廊下があるが、そこから校庭にそのまま緊急避難用として出ることも可能で、魔物が先回りするには恰好の場所である。
逃走経路を無意識に考えてしまう悪い癖で、僕は必死に振り払おうと走ることに集中する。渡り廊下に差しかかり、要らぬ不安を払拭しようと叫んだ。
「うぅぉぉぉぉ、あぁっ、ゲハッ、い、息がぁ……」
学年屈指の肺活量最下位は伊達じゃない。勢いをつけようとしたが逆に咳きこんでしまった。我ながら情けない、運動不足を後悔した。
希望ともいえる体育館の入口がみえてきた。先回りした魔物の姿はない。
このままなら間に合う。僕は心の中でガッツポーズをする。
「しゃあっ、勝った!!」
「だぁ……うぅぅぅ…………」
「えっ!?」
空耳だろうか、女の子のすすり泣く声が聞こえた。
「ちゃぁぁぁ……まぁ…………うぅぅぅ」
「ウ……ソ…………ダロ?!」
僕は絶句した。幻聴ではない、校庭の方を目を向けると蠢くものがあった。
その姿は幼い女の子にみえた。白い霧で背格好しかわからないが、こちらに向かってゆっくりと近づいてくる。
こんな非常時で、なんてことだ。心底後悔したがすでに時すでに遅し。魔物はまだ気づいてはいなが、いずれ餌食になるだろう。
「クッ、この偽善者っ!!」
僕は啖呵をきり、上半身を強引に捻じ曲げて少女の方に走った。
いまさら人助けか、我ながら理解不能だ。ほんのすこし前、地震があったときは悲鳴をあげていた人達をおいて逃げたじゃないか。震えて声も出ずに別の誰かが救助にいくだろうと、楽観視したじゃないか。都合のいい言い訳を考えて自分を肯定しているじゃないか。
今、少女を見過ごせば必ず殺される。
凄惨な未来を否定する。
弱い心が拒絶した。
無我夢中に僕は少女の元にいき、無言のまま抱きかかえる。つぶらな瞳をした少女は目に涙をうかべて、"あーうー"といっている。
このまま体育館の入口まで突っ走るか、それとも校庭を突っ切ってどこか遠くにいくべきか。僕ならできる、できる、やってやる。必ずこの子を守って生き延びてみせる。
希望をつかみ取ってみせる。
魔物が僕に噛みつくその瞬間までは──。




