魔物注意報
命からがら学校に着いたものの心中穏やかではなかった。
逃げきれたものの、叫び声をあげていた人たちがどうなったのだろうか。高鳴る心臓音を抑えながらあれこれと思考を巡らせる。ほんの一瞬垣間見えた異形の姿、金色に光った相貌が恐ろしく鮮明に思い返された。あのまま助けに行っていたら──とてもじゃないか無事では済まないだろう。
火照った体が一瞬にして冷えた。
「視界ゼロか…………参ったなぁ、なにも見えないや」
険しい声で僕はいった。
白い蒸気は霧となってあたりを覆いつくす。あれだけ眩しかった夕陽も遮られてしまい、真夜中になってしまったかと錯覚するほどだ。
無骨な鉄製の校門を通過して両側に植えられた花壇を頼りに進む。目印が無ければすぐに迷子になってしまいそうだ。ここまで来ると悲鳴や叫び声も霧に掻き消されたのか、まったく届いてこない。そのまま進んでいくと正面玄関があり、すでに半分が閉じられていた。生徒のほとんどが帰ったのだろう。
「……まあ予想はしていたさ」
自嘲気味につぶやく。自分の下駄箱にあるはずの上履きが入っていなかった。代わりに大量のゴミが詰まっていた。こんなものだと自分に言い聞かせるのだが、滅入る自分に苛立ち下駄箱を思い切り叩いた。仕方なく靴下のまま職員室に向かうことにした。
廊下に人の姿は無く不気味なほど静寂に包まれている。この時間であれば教室内に残った生徒の談笑がすこしは聞こえてきても良いはずだ。なのに生徒がいる気配すらない。窓越しに見える校庭は普段だったら部活動に励む生徒たちがいて、そろそろ片づけを始める頃あいだ。運動部の掛け声もここには届かずに、濃霧のせいで完全にシャットダウン、自分の貧相な顔がうつった。
「……早く終わらせて帰ろう」
向かった先の職員室の前で僕はいった。
「…………しゅ……し、失礼します」
二三度弱々しく扉をノックした。。すこし緊張したせいかどもる。ここに来るとどうしても全身が強張ってしまう。注意されるか、怒られるか、ここに来る理由はそれしかないからだ。
「あん、誰だてめえ!?」
突然視界が揺さぶられる。鬼のような形相をした金髪の大男にいきなり胸倉を掴まれた。
「へ……あ、あ、あ、青海、青海蓮太郎で、で、です」
「青海だぁ……てめえまだ退学してなかったのかよ」
「し、進路相談、先生と、く、苦しっ、よ、呼ばれて……」
「進路相談って……クハッ、ハハハッ、お前が将来どうするって、笑えるぜ」
「ハ、ハハッ、グゥッ………………た、確かに笑えるよね……」
「ハハッ、すでにくたばったと思ってたぜ。サンドバックがいないと体がなまってな。ストレス発散がてら相手してもらおうか?。ちいとばかり付き合えやぁ!」
「もう止めなさい。弱い者虐めするなんてダサいわよ」
「藤浪は黙ってろ!!。チッ、やる気が失せたぜ。いつもへらへらしやがって胸糞悪いな。お前を見ているとムカついてイライラするぜ。目障りなんだよ!!」
大男は吐き捨てるようにいった。腕の力を抜いて僕を軽く突き飛ばした。
「ゲハッ……グゥゥ……」
押された勢いで尻もちをつく。喉が圧迫されたせいか咳きこんだ。金髪の大男は軽く舌打ちにをするとその場から退いてくれた。
僕はゆっくりと立ち上がり制服の埃をはたいた。気を取り直して喧嘩腰の視線に目を合わさぬよう警戒して周囲を見回した。整然と並んだ机。雑然と置かれた教科書や書類の山。その先にはいつかどこかで見た面々がいた。
「……山田さん?」
「オッスー、青海君も元気してた?」
軽く手を振ってくれたのは同級生の"山田日向
やまだひなた
"だ。黒髪の活発そうな女の子で同じクラスの人気者だ。運動が得意なくせに手芸部に属していることが未だに信じられない。小学生の頃から知っている唯一のクラスメートだ。
「ちょっち文化祭の出し物で熱くなってね。帰りが遅くなっちったよ、テヘッ」
「そ、そうなんだ。地震凄かったからね」
「携帯も繋がらなくて大変なんよ。テレビも映らないし、これじゃあ電車も動いてないのか。青海君なにか知らないの?」
「外は、き、霧がひどくて大変かな。もうすこし落ちついてから帰った方がいいかも。あ、で、でもじきに良くなると思うよ」
「そっかー、もう少しだけここで待ってようかな」
八重歯の見える笑顔に緊張の糸がほぐれた。誰に対しても分け隔てなく接してくれるのが彼女の美点で、性格の良さを物語っている。
「……ほ、他の人たちもそ、そんな感じかな」
ちらちらと目線を送る。
「うん、みんな帰宅難民ってやつだよ。私の後ろにいるのが"春日井菖蒲
かすがいしょうぶ
"ちゃん、でんと教頭先生の椅子に座っているのが我らがお姫様の"藤浪レイラ
ふじなみれいら
"様なのだ。理由は色々とあると思うけど乙女に詮索は無しってことでオーケー?」
「ど、どうも…………です……」
「お姫様って止めてちょうだい。一つしか歳が違わないのだから普通にレイラって呼んでくれても構わないわ」
大人しそうなおかっぱ頭の小柄な女の子と、グラビアモデル顔負けのプロポーションをした縦ロールの金髪の女の子がいた。特にお姫様と呼ばれた藤浪レイラは学校で知らない者はいないくらい有名人で、"皇国のお姫様"、"絶世の令嬢"、"妖艶の天女"、"学園一最胸の女"、"傾国のホルスタイン"、等など卑猥な表現が散見しつつも男子生徒にとっては神のように崇
あがめ
められ奉
たてまつ
られる存在だ。
実際にモデル業もやっていて、母親が有名な下着ブランドの社長ということもあり、レイラの下着姿が載ったファッション誌は男子生徒にとって天からの授かりものである。最近ではテレビやラジオにも度々顔を出すこともあり、全国の女子高生の中でカリスマ的存在となっている。小生こと青海蓮太郎も密かに収集している。
普段は取り巻きも多く近寄ることもできない為、はるか彼方、草の茂みに隠れながら眺めることしかできなかった。しかし今回は違う。間近に、しかも至近距離で、正々堂々と眺めることができる。震えるほど感動に、ただ、ただ感謝。ああ、お母様、僕を生んでくれてありがとうございます。
「…………変わっている子ね」
「まあ……ちょっと青海君、人の話聞いているかな?」
「今、人生の頂点を満喫しているところです。多分僕はこの日の為に生きているのかもしれない」
「はぁ……男の子って本当にどうしようもないなぁ。こんなにも扱いが違うと私はやるせなくなってしまうよ。そういう露骨な態度は出しちゃいけません!」
「あぁ……申し訳ない。嬉しさのあまり解脱しそうで……」
「んもぅ、しっかり私の話聞いて欲しいよね。そしてあれですよ、後は……まあ、うん、私が説明しなくても分かるよね」
ちらりと山田日向は目線をうつす。部屋の隅でくだを巻いている男子生徒がいた。
「先生に呼びされたみたいでね。みんなは停学処分じゃないかって噂してるよ」
「呉妻聖菜と暮林藤也…………」
忘れようとも忘れることはないだろう。1ミリたりとも顔を会わせたくない、虐め主犯格の二人である。ピアスを顔中につけた未開の部族長のような大男こと呉妻聖菜。のっぺりとしたワカメ頭、太めの体形、三白眼が特徴の暮林仙也。どちらも異様なまでに暗い雰囲気を漂わせている。圧倒的な暴力で僕を踏みにじる呉妻聖菜。陰湿な虐めを繰り返す暮林仙也。僕の下駄箱の件も彼がやったものと推測される。
「……」
現実に引き戻された僕は無言のまま彼らと距離を置く。不幸なことに暮林藤也とは同じクラスメートなので、引きこもる前はなにかと衝突を繰り返してきた。それに乗じて呉妻聖菜も恫喝やかつあげをしてくるのだからたまったものではない。引きこもりになった主原因はこの二人といっても差し支えない。
昔馴染みの山田日向も、おろおろするばかりで手を差し伸べることはついぞなかった。まあ女の子だし、もしも僕を助けたことによって、彼女が虐めの標的になるぐらいならこのまま方が断然良いが……。
「それに女の子に助けられたのでは情けないし……」
男の矜持として最低限は死守したい。
虐められた記憶がフラッシュバックして喉奥から熱いものが逆流しそうになる。それにしてもずいぶんと異質な生徒が集まってしまったものだ。
互いに気が許せないのか、特に不良の二人組がいるせいで女子の表情はかなり固い。牽制をしつつ、誰も口を開こうとはしなかった。
しばし沈黙が訪れた。
──ピピピピンポパッパンパンポポポポーンンンンンン──
五人組のにらみ合いを断ったのは壁面に設置してあるスピーカーだった。故障寸前なのか、音割れた校内放送のチャイムが鳴り響き、アナウンスが流れた。
『校舎内に残られている生徒諸君!。君たちは選ばれました!。至急体育館まで集合してください!校舎内に残られている生徒諸君!。君たちは選ばれました!。至急体育館まで集合してください!』
十歳にも満たない、幼い少女の声だった。しかし子供のいたずらにしては妙に凛としているというか、真剣味が感じられる。
「体育館?。この時間で?」
つと僕は二者面談のことを思い出す。担任の禿げ爺はそこいるのだろうか。まさか教師が集まってなにかサプライズでも起こすのだろうか。
息つく間もなく、少女の伝達は一気に不穏な空気をはらんだ。
『なお、校舎はこの時をもって破棄します!。なお、校舎はこの時をもって破棄します!。魔物の急襲に気をつけてください。魔物のきゅうしゅうぅぅぅぅ……ブッツッ』
「急襲?。まものって……なんのこと…………」
脳裏にあの恐ろしい金色の相貌が甦った。この世にない、醜悪で異質までの強烈な視線。
いち早く僕が声をあげるより、職員室の窓ガラスが粉々に砕け散った。甲高い不快な音が職員室いっぱいに鳴り響く。
黒くおぞましい"魔物"が女生徒の悲鳴と共に姿を現した。




