第4章8話 文化祭2日目の朝
短めー
姫乃の過去を聞き終えた後、姫乃は「ごめんね」と言って僕の部屋から出て行った。あのまま帰らせてはいけないと理性が訴えかけてきていたにも関わらず、姫乃を引き止めることはできなかった。色々な感情が渦巻いて眠れなかった。
気がつくと夜が明けて、あっという間に次の日──文化祭2日目の朝がやってきていた。
スマホを確認すると、姫乃から『朝ご飯そっちで食べてもいい?』というメッセージが届いていた。どんな顔をして合えばいいのかわからない、でも一刻も早く姫乃の顔を見たい。そんな矛盾した感情を抱えながら『いいよ。待ってるね』と返信する。すぐに既読がついた。
洗面所で顔を洗っていると、父さんが部屋から出てきた。
「環、おはよう」
「おはよ」
「随分と早いんだね」
「朝ごはん作ったり色々忙しいから。もう慣れたよ」
そう答えると、父さんは嬉しそうに頷いて言った。
「環はちゃんと自立しているんだね……」
何度も何度も頷きながら、感心したように「偉いなぁ」という父さん。それを聞いていると何だか照れくさくなって、僕はタオルで顔を拭くふりをして「……うるさい」と小さく呟いた。
キッチンで炊飯器のスイッチを入れながら、「あお姉と姫も来るって」と言うと、父さんは「わかった。何か手伝うよ」と答えてキッチンに入ってきた。
「父さん料理なんてできたっけ?」
「一通りはできるさ」
「じゃあ出汁とっておいて」
「うん、任された」
自信ありげに言って出汁をとり始めた父さんは、確かに手際が良かった。そのおかげでいつもより早く朝食を作り終えることができた。
姫乃とあお姉がやって来たタイミングでもう一度味噌汁を温め直してお椀によそう。姫乃はいつも通りだった。いや、いつも通り振る舞っていた。
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「父さん今日帰るんだっけ?」
「うん、午後の新幹線で帰る予定だよ」
「そっか……」
姫乃との今後について父さんと話したかったけれど、それはできそうになかった。どうしたらいいのか頭を抱えていると、静かに箸を置いた父さんが姫乃に言った。
「姫乃さん」
「……はい」
姫乃は話しかけられる心当たりなんてなかったようで、父さんの呼び掛けに首を傾げて応じた。そんな姫乃に父さんは優しく微笑みかけて言った。
「昨日は話してくれてありがとう。辛かっただろう?」
「いえ……もう終わったことですし」
「そうか……」
父さんはそこで一呼吸置いた。そして姫乃の顔を真正面から見つめて、こう言った。
「僕も寝ながら色々考えたんだ。環や葵に“親”として何ができていたんだろう、と。そして何もできていなかったという結論に至った。褒められたことではないよね。だから僕はこれからやり直すつもりだ。そこで、なんだけどね」
「…………はい」
「君のことも、“娘”として扱わせて欲しい」
「…………え?」
姫乃は何言われたのかよくわからない、そんな顔をしていた。
「と言っても僕にできることは限られるわけなんだが……とりあえず、何か困ったことがあって周りに頼れる大人がいない、もしそんな状況に陥った場合は遠慮なく僕を頼って欲しい。可能な限り力になることを約束しよう」
「で、でも……」
「君の父親の代わりになるなんて烏滸がましいことは言えないけれど、君にとって父親のような存在になりたい。そう思っているんだよ」
それを聞いた姫乃の頬を、一筋の涙が伝った。姫乃は流れ落ちる涙を拭いながら、震える声で、とぎれとぎれになりながらも、抱え込んでいた思いをぶつけてくれた。
「私、ずっと言うのが怖かったんです。重い過去なんて告げたら、皆に嫌われるんじゃないかって……」
3人全員が、姫乃の言葉を聞き逃さないように集中していた。
「でも……環くんもあお姉さんも、そんな私を優しく受け止めてくれて、すごく嬉しかった」
昨日の夜、僕のいない所であお姉が姫乃に何を言ったのか、それはわからない。だけど少なくとも、姫乃にとって楽になれる言葉だったんだろう。
「こんな私でもいいのかなってずっと不安だったけど…………私は私でいいんだって言って貰えたような気がして。これ以上望んだらバチが当たるんじゃないかって…………」
「大丈夫だよ、姫乃さん。君は今まで頑張ってきたじゃないか。だからもっと甘えてもいいんだよ」
「…………っ!」
父さんのその言葉を聞いた姫乃は、堰を切ったように声を上げて泣き始めた。何というか、さすが父さんだな、そんなふうに思った。
「それに、このまま行けば姫乃さんは僕の“娘”になるんじゃないか? それに備えて心の準備もね」
意地悪な笑みを浮かべてそうつけ加えた父さん。その瞬間、姫乃の顔が一気に真っ赤に染まった。何を言われたのか漸く僕も理解して、顔が熱くなる。
「と、父さん! さすがに気が早いよ!」
「おや? 『気が早い』ということはいずれそうなる予定があるということかい?」
「ああもう! 父さんはちょっと黙ってて!」
「じゃあ私が言うわね。ひーちゃんが“義妹”になるのかぁ。楽しみだなぁ」
「あお姉ェェェェ!」
もう朝食どころじゃなかった。
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結局姫乃を落ち着かせるのに1番時間がかかった。というか、照れて暫く口を聞いてくれなかった。
姫乃が無言で食器を洗ってくれている間に制服に着替えて部屋を出ると、姫乃はもう学校に行ける準備が完了していた。
「ちょっと早いけど行こうか」
そう言うと、姫乃は小さく頷いて僕の袖をきゅっと握った。
「行ってらっしゃい、気をつけてね」
「うん。あ、父さん」
「なんだい?」
「鍵だけど、閉めたらポストに入れておいて」
「わかった」
父さんは午前中はこの街を観光していくらしい。何もないから大して面白くもないと思うんだけど、父さんが楽しそうだったので何も言えなかった。
「あお姉さん、昨日はありがとうございました」
「お礼なんていいわよ。何かあったらまた話してね」
「はい!」
そして僕たちは扉を開けて外に出た。昨日と同じく、爽やかな秋晴れだった。絶好の文化祭日和ってやつだ。
「それじゃあ行ってきます」
「行ってきます」
文化祭2日目が始まった。
それにしても、今日は何も起こらないはずだったのに、まさかあんな事件が起きてしまうとは………………
この時の僕はそんなことも露知らず、昨日の忙しさを思い出して少し憂鬱な気分になっていた。




