第4章6話 文化祭1日目終了後③ ──柏木家と姫乃 ⅰ ──
さすがに暇になってきました。
2時間ほどカラオケに滞在したあと、大悟たちと別れた僕と姫乃は、途中で見つけたスーパーで夕飯の材料を買って家に戻った。駅前のスーパーより安かったので、遠回りになるけど今後はこのスーパーを使うことになりそうだ。
エントランス前で掃除をしていた管理人さんに「おかえり」と声をかけられ、「お疲れ様です」と返す。すぐに「お父さんが来てるらしいな」と言われて現実に引き戻された。体をビクッと跳ねさせた僕と姫乃を見て、和正さんは面白そうに笑った。
エレベーターのドアが閉まる直前、「明日お邪魔するわ」と言われた。
3階に到着し、廊下を歩いて自分の部屋の前に立つ。彼女と父親を合わせるのはさすがに緊張する。深呼吸をして、扉を開けた。
「ただいま」
「お、お邪魔します」
「おかえり」
「おかえりなさーい」
おかえり、という声が2つ聞こえた途端、嫌な予感がした。そしてその予感は的中する。バタバタと玄関に現れたのはあお姉だった。
「何であお姉がいるんだよ」
「ご飯食べさせてよ」
「焼きそば食っただろ」
「今家にシュウさんいないのよ」
「はぁ!?」
「賢治さんとご飯食べに行ってるの」
「聞いてないよ!」
「言ってないもん」
そんな言い合い(一方的にあお姉のペースだった)をしていると、奥から苦笑しながら父さんが歩いてきた。
「葵はもう少し連絡をしないとね」
「はーい」
「反省してないよね」
そんなツッコミを入れてから父さんの顔を見る。姫乃は緊張しているのか僕の後ろに隠れて様子を伺っていた。僕の制服をぎゅっと握っているのが可愛くて、何となく“守りたい”と思ってしまう。
おどおどしている姫乃を見て、父さんが笑いながら言った。
「こういう反応をされるのも仕方のないことだね。初めまして、かな? 柏木要次郎です」
「あ、えと……結城姫乃です」
ペコっと頭を下げる姫乃に「そんな畏まらなくてもいいよ」と声をかけて靴を脱いで部屋に上がる。少し遅れて姫乃も部屋に上がった。
ここからどうなるのか心配だ。あお姉が変なこと言わないといいけど。
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あお姉は「ちょっとコンビニ行ってくるね」と言って出ていった。僕は買ってきた食材を冷蔵庫にしまいながら、夕飯を作る準備を始めた。米を研いで炊飯器にセットして調理器具を出していると、とてとて、という可愛い足音で姫乃が駆け寄ってきた。
「姫?」
「バカ!」
開口一番、まさかの罵倒だった。
「えぇ……」
「何で2人にするの!?」
そう言われて納得した。僕がキッチンに来たことによって、リビングには姫乃と父さんの2人きり。姫乃にしても父さんにしても、明らかに気まずい状況だろう。あお姉、この状況になるのを見越して出ていったんじゃないだろうな。
「ごめんごめん。じゃあ手伝ってくれる?」
「うん」
「姫、何食べたい?」
「えっと……何でもいい?」
「もちろん」
「じゃあハンバーグ食べたい」
「ん、了解」
姫乃がスーパで挽き肉を見つめていた時点で、この答えは予想できていた。素通りした時はすごく残念そうな顔をしていたし。買わなかったのは家にあるからなんだけど。だから冷凍庫から挽き肉、冷蔵庫から卵、牛乳、玉ねぎ、パン粉を取りだし、塩と胡椒も用意する。この時点で姫乃は目を輝かせていた。
玉ねぎをみじん切りにして炒めている間に、挽き肉をこねるよう姫乃にお願いする。美少女が肉をこねている画って何か艶かしい、そんなどうでもいいことを考えている間に玉ねぎを炒め終わった。すぐに挽き肉が入っているボウルに移し、そのまま他の材料と一緒に手早く混ぜ合わせる。
「何か変な感触」
「こればかりは慣れだよね」
そしてハンバーグ作りに重要な空気を抜く作業に入る。楽しそうに空気を抜く姫乃にアドバイスをしながら、真ん中を凹ませて楕円形にまとめ、熱したフライパンの上に並べる。すぐに肉の焼けるいい香りがしてきた。
その間にスープとサラダを用意していると、炊飯器からピーっと音が鳴った。丁度米も炊けたようだ。
何故か狙っているとしか思えないタイミングで大きな袋を抱えたあお姉も帰ってきたので、あお姉に頼んでできた料理を机に並べてもらった。というか、何でコンビニ行っただけであんな大荷物になるんだ?
フライパンやボウルを洗い終えて僕が席に着いたところで、全員で手を合わせて食べ始めた。
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「何で私の作るやつより美味しいのよ」
「毎日作ってるから」
「私だって毎食作ってるわよ!」
「えっ!?」
「何よその顔……」
「いや、てっきりスーパーの惣菜で済ましてるのかと。ごめん」
「バカにしてるんじゃなくて本心からそう言ってるっていうのがむかつくわ」
あお姉とそんな会話をしながら食べ進める。父さんも姫乃も、まだ何も喋ってしない。だから何となく気まずい空気が流れている。あお姉もそれを察しているからこそ、僕とのくだらない話に参加してくれているんだ……と思う。
ふと袖が引っ張られたので姫乃の方を見ると、何かを決心したような表情の姫乃が僕を見上げていた。言いたいことがあるんだろう、そう思って軽く頷くと、姫乃は父さんの方を向いて言った。
「……あの」
「何かな?」
優しい声で対応する父さんに、姫乃も少し安心したんだろう。しっかりと父さんの目を見詰めて話し始めた。
「環くんと私が付き合うこと、どう思っていますか?」
「もちろん賛成だよ」
即答した父さん。姫乃は安堵のため息をついていた。
そして、急に真面目な顔になった父さんが口を開いた。
「姫乃さん」
「はい」
「僕はずっと貴女に謝りたかった」
「…………え?」
自然と、全員の視線が父さんに集まった。
「幼い頃に2人の仲をを引き裂いてしまったことをずっと謝りたかった。あの時妻が亡くなり正常な思考ができなかったとはいえ、僕がしたことは決して許されることではないはずだ。本当に、謝っても謝りきれない……」
言葉の節々に後悔を滲ませながら語る父さんから、目を離すことができなかった。僕も姫乃も、あお姉も、全員が静かにその言葉を聞いた。
そして姫乃がそれに答えた。
「謝らないでください。確かにあの時は悲しかったし、寂しかったです。でも、環くんに再会できて、今付き合っているのも事実です。だから私は恨んだりなんかしてません」
「いや、しかし……」
「むしろお父様と環くんが反発し合っていたから再会できたんです。だから、こう言うのはおかしいかもしれないですけど……ありがとうございます」
「……っ」
その言葉を聞いた父さんの目尻に、涙が滲んだ。
父さんはその涙を拭おうともせずに、微笑みを浮かべて言った。
「こちらこそ……ありがとう。こんなことを言える立場ではないけれど、どうか環を、よろしくお願いします」
「はい。えっと……これからもよろしくお願いします!」
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本当の意味での和解が終わり、全員が清々しい表情になった。
しかし、夕食を終え僕と姫乃で食器を洗っている時、あお姉が突然こんなことを言った。
「ねえ、ひーちゃん」
「はい」
「私もひーちゃんの所に泊まってもいい?」
「ふぇ?」
あまりに唐突で、姫乃も動揺していた。
「あお姉……?」
「だってこの時間から帰るのもアレでしょ? お父さんだって今日はここに泊まるんだし」
「葵、あまり無茶を言っては──」
父さんがあお姉を諌めようとした丁度その時、姫乃の嬉しそうな承諾の声が聞こえた。
「いいですよ」
「「……え?」」
「ホント?」
「私も色々話したいこともあるので、大歓迎です!」
まぁ、姫乃がそう言うんだったら僕は反対しない。だけど色々不安の種は尽きない。というか、さっきコンビニから帰ってきたあお姉の荷物って……?
「あお姉、まさかとは思うけど……」
「何よ」
「さっきコンビニ行った時に買ったのって……」
「正解! いやぁ、コンビニって便利よねぇ。パジャマとかまで買えるんだもん」
「つまり、最初から泊まる気だったと」
「まぁまぁ、細かいことはいいじゃん」
「…………姫、何かされたらすぐに呼んでね」
「あ、うん。大丈夫だと思うよ?」
そのまま楽しそうに話し始める姫乃とあお姉を見て、何となくモヤモヤした気持ちを抱えながら空き部屋に布団を敷きに行った。




