第3章20話 あの場所でもう一度君と
お待たせです。
軽めのイチャイチャ、お届けします。
「姫……ちゃん…………」
「うん!」
「…………っ!」
「えぇっ!?」
姫乃と目が合って僕が最初にとった行動は、逃亡だった。
何の心の準備もできていないし、言うべき言葉も見つかっていないのに、姫乃に会う資格なんかないと、変な所で消極的になってしまった。
当然姫乃は追いかけてくるわけで──
「待っ……うわっ」
──ただ、姫乃がドジであることを忘れてはいけない。
小さく可愛らしい悲鳴が耳に届いた。嫌な予感がする。それでも振り返ると、姫乃は何に躓いたのか、派手に転んでいてちっとも動かない。そんな姿を見てしまっては駆け寄らずにはいられない。あの時姫乃が足を取られたのは側溝だったけれど、今回は何が原因なんだ?
というか、最初にこの公園で会った時も同じようなことになっていた気がする。
「……大丈夫?」
おそるおそるそう尋ねると、姫乃は笑って立ち上がり、制服に着いた砂を手で払ったりしながら言った。
「足、挫いちゃった」
その言葉で姫乃が何を望んでいるのか瞬時に理解した僕は、逃げようとしていたことも、全力疾走したことによる疲労も忘れて、姫乃に背を向けてしゃがむ。そして今まで言ったこともないようなキザなセリフを口に出した。
「お姫様、どうぞお使いください」
姫乃は一瞬きょとんとした表情を浮かべたと思ったら、すぐに笑顔に戻って僕の背中に飛びついてきた。足挫いたんじゃなかったのか?
あまりの勢いに僕も盛大に転んでしまったのはここだけの話だ。
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姫乃を背負い直して立ち上がると、姫乃は僕の首にぎゅっとしがみついてきた。何か覚悟を決めたような、それでいて僕の首を絞めつけない強さで。
「…………捕まえた」
「え?」
「もう離さないから」
そう言って、僕の背中で小さく丸まる姫乃。その体は震えていた。
相変わらず、軽く華奢な姫乃を背負いながら、彼女が不安に押し潰されそうになっていたんだと思う。最初に会ってから、ずっと僕のことを待っていてくれたことも。
自然と、僕が言うべき言葉は定まった。
「ごめんね」
「…………許さない」
「うん。それと……」
「……?」
「ありがとう」
待たせてごめん、待っていてくれてありがとう。そんな気持ちを込めての言葉だったのに、帰ってきた言葉はなかなか辛辣なものだった。
「……Mなの?」
「へぁ?」
思わず間抜けな声が出てしまった。
よく考えると、今の会話は「許さない」という言葉に対して「ありがとう」と答えたようにも取れてしまう。姫乃が僕にMの烙印を押す前に慌てて否定する。
「違っ……ていうかわかって言ってるでしょ!」
その叫びで、漸く姫乃が笑ってくれた。
「環くんだ。いつもの、環くんだ……」
「僕は僕だよ」
「うん……」
姫乃が僕の肩に顔を乗せたのがわかった。綺麗に手入れされている黒髪が首にあたってくすぐったい。避けるようなことはしない。その代わりに、いつもの調子で姫乃の名前を呼んだ。
「姫乃」
「んー?」
甘えたような声を出す姫乃が可愛くて、ニヤけそうになる。それを必死に堪えて姫乃に尋ねる。
「部屋に湿布は──」
「ないよー」
「言うと思った。じゃあ僕の部屋で手当するよ」
「んー」
姫乃らしい反応に苦笑して、僕は少し歩くスピードを落とした。少しでも長く、姫乃とこうしていたかったから。
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僕たちが住むマンションに到着した。エントランスを通ってエレベーターを使おうとした時に姫乃が一言、「階段でー」。
その言葉に逆らわず、一歩一歩、ゆっくりと階段を上って3階へ。
さすがに姫乃を背負ったまま鍵を取り出すのは難しかったので、一旦姫乃を下ろしてポケットから鍵を取り出す。そしてドアを開けて部屋の中へ。
「…………ただいま」
誰もいないのに、そう口にする。
後ろに立つ姫乃が答えてくれた。
「おかえり!」
数日放置していたせいで埃が溜まっているだろうと思っていたのに、部屋の中は清潔に保たれていた。首を傾げていると、姫乃が思い出したように言った。
「んーとね、和正さんに合鍵で開けてもらって掃除してたの」
「そうなんだ。ありがと」
「うん」
そんな会話をしながら姫乃に湿布を渡した──のはいいんだけど、どうしてこうなる。というか、以前と全く同じ状況だ。狙ってやっているのか?
というのも、ソファの上で胡座をかいているものだから、まぁ、不可抗力というやつだ。
「あの、もしかしてわざとやってる?」
「何を?」
「だから、その……見えてる」
水色。
あの時はまだ恋愛感情を抱いていなかったから何とも思っていなかったけれど、今こんな事態に直面するといたたまれない。見ないように目を逸らす。
「変態!」と罵倒されるのも仕方ない、そう(というか姫乃ならそうするだろうと)思っていたんだけど、返ってきた反応は予想だにしないものだった。羞恥で頬を赤らめて静かに座り直す姫乃。以前の反応と全然違う。…………何でだよ。
「あー…………ごめん」
気まずい静寂が部屋を支配する。そうなると余計にいたたまれなくなってしまうので、勇気を振り絞ってそう口にする。
するとあろうことか、姫乃は赤い顔のままこう言い放った。
「うん。でも……環くんになら…………」
「ぶっ!? いや、そういうのは付き合ってる人に──」
「私たち付き合ってるじゃん」
そうでした。
「いや、でも……さすがにまずいだろ」
「何が?」
「いや、何がって……その…………」
必死になって言葉を探していたせいで、姫乃がこっちに近づいてきたことに反応できなかった。気がつくと、姫乃の両手は僕の背中に回されて──いわゆる『ハグ』だった。
「…………!?」
突然のことに頭が真っ白になった。
何も考えられないまま、おそるおそる姫乃の背中に腕を回す。初めて正面から受け止めた姫乃の身体は細く、柔らかく、そして温かかった。
姫乃は上目遣いになって、心配そうに僕に訊いた。
「思い出した……んだよね」
何を、と言われなくてもすぐにわかった。
「うん、全部思い出した。忘れててごめん」
「んーん、思い出してくれたなら──」
そう言いかけた姫乃の頬を、透き通った滴が伝った。姫乃は何も言えなくなって、そのまま泣き顔を隠すように僕の胸に顔を埋めた。
「姫……?」
頬を擦り寄せられるくすぐったさを誤魔化すように名前を呼ぶと、姫乃は顔を埋めたまま、「姫?」と繰り返した。
「……皆の前で『姫ちゃん』って呼ぶわけにもいかないし、ただ『姫乃』って呼ぶのも何か味気ないから。………………ダメだった?」
姫乃は首を横に降った。そのまま僕の体の方に体重をかけてきて、何の支えもなかった僕は床に尻もちを着いてしまった。姫乃は僕の背中に回す腕に力を込め、ひたすら「環くん」と繰り返した。
僕が「苦しいよ」と言って姫乃の背中を優しく叩くまで、姫乃の力が緩められることはなかった。
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さて、状況を整理しよう。
今、僕は胡座をかいていて、その上に姫乃が座っている。ハグから解放されたと思ったら、次はいかにも「付き合ってます!」というような座り方。心做しか、姫乃がいつもより積極的な気がする。
とはいえ、時間が時間なのでそろそろ夕飯の準備も始めなければいけない。そう思って立ち上がろうとすると姫乃が腕を掴んできてそれを阻む。既に3度そのやり取りが繰り返されていた。
「あの……姫?」
「離れないで」
4度目のやり取りでそんな会話が発生し、仕方なく座り直す。
「夕飯の準備、したいんですが」
「なら私も……」
「何で……いや、わかったよ。何が食べたい?」
「んー、カレー!」
「了解。じゃあ姫、お米研いでくれる?」
「うん!」
そして僕たちは2人並んでキッチンに向かった。
いつもの、いつも通りの、いつも以上の距離で、また始めるんだ。いつも以上の距離を当たり前にする、新しい生活を。そう思うと、自然と笑みが浮かんできた。隣では姫乃も同じように微笑んでいる。
それだけで十分だった。
それだけで頑張った甲斐があったと、そう思うことができた。
小説のタイトル=20話ですけど最終回ではないですよ?
学校でのラブコメに文化祭は欠かせないでしょ!
あと少し3章を書いたら文化祭編です。お待ち下さい。




