第3章14話 囚われの陽向③
結局、午後はお父さんの監視があって何もできなかった。お父さんが作ってくれた夜ご飯を食べたけれど、緊張のせいで味は感じなかった。お風呂に入り、自室へと戻った時には、疲労のせいでベッドに崩れ落ちてしまった。
「…………疲れた」
でも、休む暇は与えられなかった。
控えめに扉が叩かれ、「陽向」と声がかけられた。そのことに、朝もこんなことがあったと思いながら扉を開ける。当然、扉の前に立っているのはお父さん。
「どうしたの?」
「ん、少し話をしよう。ついて来い」
「あ……」
私の都合なんてお構いなしに踵を返して歩き出したお父さん。『良い子』を演じ続けるためにはついて行くしかなかった。
お父さんについて行った先は、お父さんの部屋ではなく、居間だった。
「…………?」
「座りなさい」
素直に従って椅子に座る。
張り詰めた空気に、自然と背筋が伸びる。お父さんの顔から、目が離せなかった。
そんな私の向かってお父さんは微笑んだ。
「そんな構えなくてもいい。簡潔に聞こう、陽向はどうしたい?」
あまりに抽象的なその問いに、私は首を傾げることしかできなかった。お父さんは微笑みを苦笑に変えて言葉を重ねた。
「さすがに言葉が足りなさすぎたか。今日柏木さんに言われたんだ、『陽向が望むなら婚約を解消してもいい』と」
「………………え?」
「だから陽向の意見が聞きたくてね」
急にそんなことを言われても、すぐに答えが出る訳ではない。
まず頭に浮かんだのは、姫乃さんと楽しそうに話していた環くんの姿だった。環くんの幸せを考えるなら、私は彼との婚約を解消すべきだ。
でも、私は本当にそれでいいのだろうか。2人の姿を見た時の胸の痛みが再来した。そして同時に後悔も押し寄せてきた。
私は、いつもこうだった。
はっきりと、自分の意見を持つことができない。要次郎さんに与した時だって殆どが指示に従っていただけ。自分の意思で行動したことなんてない。
だから私は答えが出せなかった。いや、答えは出ていても口に出してはいけない、そんな風に思ってしまった。
「…………もう少し、考えさせて」
数分後、結局絞り出せた答えは曖昧なものだった。それでも辛抱強く待ってくれていたお父さんはそっと告げた。
「わかった、答えが出るのを待っているよ。今日はもう寝なさい」
「……うん」
この答えは、きっと表に出してはいけない。
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翌朝、朝食を食べ終えて暫く寛いでテレビを見ていた。
お父さんは会社からかかってきた電話に怒鳴っている。何があったのかは知らないけれど、凄く機嫌が悪そう。今日は何もできないだろう。
諦めて立ち上がり自室に戻る。居間を出る直前、「何とかしろ!」と言ってお父さんが電話を切ったのが見えた。相当苛ついている。
そんな時、インターホンが鳴った。
お父さんが足音を立てて玄関へ向かう。相手が誰かはわからないけど、少し可哀想になった。でも、お父さんが怒って追い出したりするなんて恐れていた事態にはならなかった。代わりに聞こえたのは、お父さんの動揺する声だった。
「……なっ!?」
「…………?」
自室からそっと顔を出して玄関を覗く。お父さんが壁になってよく見えなかったけれど、来たのは1人や2人ではなさそう。
そしてお父さんの声とそれに対する返事が聞こえてきて、お父さんの動揺の意味が漸く理解できた。
「こんな朝早くに……些か非常識では?」
「失礼しました。しかし、どうしても橘さんと話したいことがありまして」
要次郎さん?
聞こえてきた声は、間違いなく要次郎さんのものだった。じゃあ、他の人たちは、一体誰…………?
「…………そういうことは事前に連絡を入れてもらわないと。まぁ、幸い今日は予定もありません。どうぞ上がってください」
「ありがとうございます」
お父さんがそう言ってこちらに向かってきた。急いで部屋の中に隠れて、誰も見ていないのに何もなかったように振る舞う。
足音から推測すると、来たのは5、6人? おそらくお父さんが案内したのは客間だろう。それなら自分の部屋にいてもギリギリ音は聞こえるはずだ。
「座っ**ださ*」
案の定声は聞こえた。ただし途切れ途切れなのが少しだけもどかしい。
「柏木さん、当**予定とは異なって***うに思える**すが」
お父さんの声が聞こえる。若干苛ついているのが伝わってきた。
「子供たち*私を正**戻してく***けですよ」
要次郎さんの返答に違和感を覚えた。今までの冷酷な雰囲気が消えている、そんな気がした。お父さんは冷静に振る舞っているけど、内心は色々整理がついていないんじゃないだろうか。
「それは……私たちが間違っていると?」
「ええ、その通りです」
話の続きが気になったのでドアの隙間をもう少しだけ開けると、さっきよりも音が鮮明に聞こえた。バレてはいないみたいだ。
「なるほど。それで、今日は何の用が?」
「話が早くて助かります。単刀直入に言います、陽向さんを解放してあげて下さい」
聞こえてきた言葉に耳を疑った。
でもすぐに喜びに変わる。環くんたちは、要次郎さんの説得に成功したんだ。お父さんは声のトーンを落として答えた。
「……………………勝手な話ですね」
「承知しています」
「それは、そこにいる男の入れ知恵ですか?」
「彼は貴方のご子息では?」
え、お兄ちゃんもいる?
だったらこうしてはいられない。慎重にドアを開けて、音を立てないようにお父さんの部屋へ向かう。ゆっくりと中に入り、置き場所が変わらない写真を持って部屋の外に出る。
バレないように、ゆっくりと慎重に歩いて客間へ向かう。
そこで、こんな声が聞こえてきた。
「僕のことは、本当にどうでもいいんですか…………」
「言ったろう、息子などいない」
落胆したようなお兄ちゃんのため息が聞こえた。
これじゃあ、お兄ちゃんもお父さんも……誰も報われない。だったら今行くしかない!
「それは、違う!」
私は勢いよく客間に乗り込んだ。すぐに環くんがいることに気づいた。でもそれを喜んでいる暇なんてない。
お兄ちゃんは驚いたように私を見つめて呟いた。
「…………………………ヒナ?」
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「お兄ちゃん、言いたいことがあるなら言った方がいいよ。ん、違う……言わないと、伝わらないよ?」
そう叫んで、お兄ちゃんの元へ歩み寄る。誰も言葉を出さなかった。出せなかったのかもしれない。
そんな中、環くんが私に尋ねてきた。
「…………陽向、痩せた?」
「かもね」
環くんに向かって微笑んでから、私はお兄ちゃんに写真を見せる。
そう、私とお兄ちゃんとお父さん、3人で笑い合っている写真を。
イチャイチャ不足。




