第3章8話 出来損ないだとしても
突然扉を開けて入ってきた陽真さんに全員の視線が集まった。
誰も何も言わなかったので、仕方なく僕が口を開くことにする。
「陽真さん……陽向は?」
「……父さんに捕まってる。僕は邪魔者扱いだよ」
「邪魔者って……息子じゃ──」
「父さんにとって僕は家族でも何でもないんだよ」
吐き捨てるような陽真さんの言葉に、全員が動揺した。
僕の父さんでさえ、僕を見捨てることはしなかったのに。だから余計信じられなかった。
でも、当の陽真さんは全く気にする様子もなく自嘲気味に言った。
「その方が僕にとっても都合がいいんだけどね」
飄々と、何とも思っていないように笑って言った陽真さん。その表情がどこか苦しげに見えたのは僕だけなんだろうか。
刹那の沈黙、それを破ったのは姉さんだった。
「それが……父親のすること、なの?」
「そういう家庭もあるんです」
諦めたように、他人事のように答えた陽真さんを見て、姉さんはそれ以上何も言い返せなかった。
誰も何も言わなくなったのを見て、陽真さんがもう一度頭を下げた。
「お願いします。出来損ない扱いされていても、僕が陽向の兄であることに変わりはないんです。父さんが変わらない以上、陽向の味方は僕しかいないんです。だから、だから…………」
1滴の雫が、床に落ちて染みを作った。その雫が陽真さんの涙であることに気づくまで、そう時間はかからなかった。
陽真さんにとって、唯一とも言ってよかった家族が陽向だったんだろう。それは陽真さんと陽向のお互いに言えること。それなのに陽真さんは陽向を残して家を出ていった。
家に残した陽向のことがずっと気がかりだったんだろう。だけど、家に戻ることはできなかった。その後悔が涙となって零れ落ちた。陽真さんの言葉が本心からのものであることは疑いようがなかった。だったら僕は──
「陽真さんの気持ちがわかるなんて、そんな偉そうなことは言えません。でも、僕だって陽向に迷惑をかけた責任はあります。だから僕は僕なりにその責任を償いたいんです」
「……環くん」
「陽真さん、僕からもお願いします。陽向を助ける手助けをさせて下さい」
──協力する以外の道はない。陽向を助けたい気持ちは僕だって同じなんだから。
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「僕が言うのもなんだけど……家庭の事情に巻き込んでしまってごめん」
申し訳なさそうにそう謝ってきた陽真さんに、僕と姉さんは顔を見合わせてから答えた。
「いや、こっちのセリフですよ」
「最初に巻き込んだのはウチだしね」
その答えに、陽真さんは顔を上げて漸く微笑んだ。まだ力のない笑だったけれど、それは確かな微笑みだった。
「ありがとう」
そして陽真さんは僕の父さんを見た。ゆっくりと、落ち着いて口を開いた。
「柏木要次郎さん、今までの非礼、本当にすみませんでした」
「こちらこそ、妹さんの件では謝っても謝りきれないよ」
そんな素直な返答が帰ってくるとは思わなかったのか、陽真さんが目を丸くした。やがてその顔に笑みが浮かんだ。けれどすぐに真剣な表情に戻って言った。
「虫のいいお願いだとは十分承知しています。ですが……たった1人の妹なんです」
父さんは小さく頷いてから答えた。
「僕もつい昨日、ここにいる息子に目を覚まさせてもらった。君の父親もそうであることを願うよ。微力ながら、力にならせてもらおう」
「…………ありがとうございます!」
すると今まで沈黙を保っていた修さんが前に出た。そして少し迷ったように目を泳がせてから腰を折って言った。
「その……すまない」
無愛想な、小さな謝罪だった。後ろから賢治さんの「どうしてそんな上から目線で……」という愚痴が聞こえてきたけれど、修さんは言葉を続けた。
「謝って許される問題ではないのは理解している。だからこそ僕にも協力させて欲しい。もう二度と裏切るような真似はしないと誓う」
「…………その言葉を信じるに足る根拠がない今、どうしろと──」
「陽真さん」
声を荒らげる陽真さんに、思わず声が出た。陽真さんは僕をちらりと見てからため息をついて言った。
「だから僕は環くんと貴方を許した先輩を信じます。貴方の行動をしっかりと監視させてもらうのでそのつもりで」
「…………結局、葵たちに救われてしまったな」
そう呟いて振り返った修さんが、バチッという衝撃と共に床に座り込んだ。
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一瞬何が起きたのか理解できなかった。
当の修さんは何が起きたのかわからないという顔で、赤く腫れた頬に触れながら目の前に立つ人物──賢治さんを見上げた。
その光景を見て漸く理解する。賢治さんが修さんの頬を叩いたということを。賢治さんの顔からは優しさが消え失せていた。
「父さ──」
「お前は何様のつもりだ!」
「…………は?」
「何をするにも上から目線で、いい加減にしろ」
「何を……」
「お前にピッタリの言葉を教えようか? 『虎の威を借る狐』だよ。お前はただ旦那様の権威を利用しているだけの小者だ。身の程を弁えろ!」
一息でそう言いきった賢治さんに全員の視線が集まった。誰も口を挟まない中、ただ1人、修さんだけが肩を震わせながら反論した。
「アンタこそどういうつもりだよ! 仕事だの一点張りで家に帰ることなんて月に1度あるかないか……なのに俺が大人になったら急に結婚しろなんて、俺に何もかも押し付けてんじゃねえよ!」
姉さんが隣ではっと息を呑んだ。きっとこれが修さんの本音なんだろう。親子の仲が悪くなるのにも色々な形があるんだろう。僕たちのように優しさを通り越して束縛になるケースもあれば、修さんの家のように、親が忙しくてあまり子供に愛情を注げなかったケース。それでも修さんは反抗することなくじっと耐え続けた。それが限界に達した、ただそれだけの話なんだ。
修さんの言った、『似ている』という言葉の真意が何となくわかった気がした。
そんな修さんに、賢治さんは言った。
「だから、ケジメをつけるんだよ」
そう言って賢治さんは修さんに向かって土下座をした。自身の犯した罪を噛み締めるかのように、ゆっくりと、言葉を紡いだ。
「お前をそのように育てた責任は私にある。許せとは言わないし、許して欲しいとも思わない。だが、1つだけ頼みがある──」
「………………」
「──相手と同じ立場になって物事を考えて欲しい。ただそれだけだ」
その嘆願に、修さんは泣きそうになりながら答えた。
「……そんなのズリぃだろ。今更父親面してんじゃねえよ…………」
「どんな罵倒でも受け入れる。父親だと思わなくてもいい。一介の社会人として、頼む」
それを聞いた修さんは、やがてゆっくりと、深々と頭を下げた。それを確認した賢治さんも、僕たちに向かって頭を下げた。
「橘さん、葵。…………申し訳ありませんでした」
「この責任は全て私にあります。どうか息子を許してやって下さい」
その謝罪を聞いた反応はバラバラだった。
「貴方も……色々抱えてたんですね」
「何で、修さんが謝るの? 悪かったのは私じゃん……」
いつの間にか、修さんに対する不信感や怒りは消えていた。
「あの、修さん。修さんの気持ちも考えないで色々勝手なことを言ってしまってすみませんでした」
自然とそんな謝罪が口から出た。修さんは真剣な表情になって僕に向かって言った。
「環くんは何も悪くないさ。気に病むことなんて何もないよ」
「でも──」
「本当に僕なんかが義兄でいいのかい?」
「もちろんです」
そう答えると、漸く修さんは微笑んだ。
「ありがとう」
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時間はかかったけれど、漸くこの場の全員が1つになった。今なら何だってできる気がした。
そんな状況で、父さんが陽真さんに尋ねた。
「陽真君、1ついいかな?」
「……はい」
「君が妹を助けようという思いは伝わった。だが、君自身はいいのか?」
「どういうことでしょう」
父さんの疑問の意図はすぐにわかった。僕と同じことを、父さんも思っていたのだろう。
「陽真君が父親に対していい感情を抱いていないのは伝わった。しかし、本当にそれだけなのか?」
父さんの言葉を聞いて、困ったように苦笑する陽真さん。
「その、陽真さんは家族の話をする時、凄く苦しそうな顔をしてます。陽真さん、本当は──」
僕の言葉を途中で遮って、陽真さんは言った。
その顔には、寂しそうな笑顔が浮かんでいた。
「どう、なんだろうね」
いつになったら陽向を助けに行けるんだろう(他人事)




