第2章19話 集合
「ここから」ってお話です。
「お邪魔するね」
そう言って部屋に入ってきたのは楠木修さん。説明は省くけど、とにかく味方だ。
「えっと……お久しぶりです」
「あはは、そんな畏まらなくてもいいよ」
「そうよ、シュウさん相手にそんな態度だと疲れるだけ」
「それは心外だなぁ、葵さん」
「あら、ごめんなさい」
何故自分の家で姉夫婦のイチャイチャを見せつけられているんだろう。そんなことを思っていると、同様のことを陽真さんが口にした。明らかに地雷としか思えない。
「センパーイ、今は控えて下さいよ」
「何を?」
気がついていないとは恐れ入る。でも姉さんにも伝わらなくとも修さんには伝わっているようだった。
「あぁ、すまない」
「あ、いえ……こちらこそ出過ぎた真似を」
「お兄ちゃんのそんな姿初めて見たかも」
確かに、客として美容院に訪れた時も丁寧に対応してくれたとはいえ、ここまで下手に出るような人ではないと思っていたから少し意外だった。と、沈黙を保っていた姫乃がここで漸く口を開いた。
「え、環くん……この人って」
それに応えたのは僕ではなく修さんだった。
「あぁ、君は……駅では助かったよ」
「いえ、こちらこそ……ショートケーキご馳走様でした」
「……駅?」
姉さんはピンと来ていないようだった。それも当然だろう。そんな姉さんに修さんが説明していた。そして段々と姉さんの顔が赤くなっていった。
「ちょっ、あの時シュウさんそんなことしてたの!?」
「葵さんが心配だったからね」
にっこりと穏やかな笑みでそう返した修さんに、姉さんは口を噤んでしまった。それを見た陽真さんがこれ幸いにと修さんに今回の一件について説明をした。
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「なるほど……確かにやりすぎと言わざるを得ないね」
それが修さんの感想だった。
「はい。なので楠木さんにも助力をお願いしたいんです」
「もちろん協力するさ。僕もあの頑固親父に言いたいことがあるしね」
「……賢治さんにですか?」
「うん、そうだよ」
そう答えたあと、暫く考えた様子を見せていた修さんだったけれど、顔を上げるとこう言い放った。
「よし、今夜出発しよう」
「はぁ!? シュウさん正気?」
「え……今夜?」
「心の準備が……」
思いもよらないその提案に、その場の全員が動揺した。修さんは冷静に、僕たちに諭すように言葉を続けた。
「陽向さんの言う通り、心の準備ができていないのも承知しているよ。ただ、それはこちらに限ったことではないはずだ」
「「「「…………っ!」」」」
「僕たちが父親を出し抜ける最大のチャンス……活用しない手はないだろう?」
一理ある、それどころか最適解だ。その場にいた全員がそう感じた。そのまま何も言えなくなった僕たちを見て修さんがニヤリと笑った。
しかし、姫乃だけはどこか納得いっていない様子だった。不安そうな顔で僕の袖を握って、僕にだけ聴こえる大きさの声でこう言った。
「…………行っちゃうの?」
「うん、だから文化祭のことは任せるね」
「あ……そっか」
どうやらこの数時間の内のドタバタで、今が文化祭の準備期間であることをすっかり失念していたようだ。
「亜美ちゃんたちにはどう言えばいい?」
「多分何を言っても無駄な気がするなぁ……アイツら変なところで勘が鋭いし。とりあえず風邪だって言っておいてくれる?」
「ん、わかった」
そこまで言い終えたところで、姉さんが気合を入れるように言った。どこか自分を奮い立たせているようにも聞こえるその声は、その場の全員の心に響いた。
「よし、環の文化祭までには終わらせるよー!」
「「「「おー!」」」」
そう元気よく言ったところで1つの疑問が浮上した。
何で僕が文化祭までに終わらせたいことを姉さんが知っているんだ?
「あの、姉さん…………どこまで聞こえてた?」
おそるおそるそう尋ねると、姉さんはわざとらしく指を顎に当てて「んー……」と考えた。そしてにっこりと笑って言った。
「全部かな」
「ふざけんな!」
部屋の中に僕の絶叫が響き渡った。
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「えっと、じゃあ準備とかもあると思うので私帰りますね」
羞恥に項垂れる僕に微笑んで、姫乃が立ち上がった。
「何もできないけど、環くん、その……頑張ってね」
「……ん、すぐ戻るから」
「うん、待ってる」
姫乃を玄関まで送って(姉さんから逃げる意味も込めて)、「じゃあ……」と言うと、姫乃が僕の手をぎゅっと握ってきた。姫乃は何も言わずに僕の目を見つめてきた。
「大丈夫。絶対戻るから」
「もう、そこは疑ってないよ」
「…………?」
それじゃあ何のために手を握ったのか、そう疑問に思って首を傾げると、姫乃は顔を真っ赤にして恥ずかしそうに呟いた。
「あ、えっと……暫く会えなくなるから、その……全部言わせないでよ」
「あぁ……ごめん」
姫乃の言い分を理解した途端、僕の顔まで熱くなった。陽向が来てから姫乃が少し積極的になった気がする。いったい何があったんだろうか。
そう頭の片隅で考えていると、姫乃が何かを思い出したように「あっ」と言った。
「どうしたの?」
「私がいないからって……陽向さんに変なことしないでよ?」
「しないよ!」
「……ホントかなぁ」
「ホントだって」
「でも環くん、陽向さんに甘いし。ま、負い目があるのはわかるけど」
姫乃が疑いの目を向けてくる。負い目があるのは否定できないから僕は口を噤んで目を逸らすしかなかった。そんな僕を見て姫乃がくすっと笑った。
「……何だよ」
「んーん。葵さんに監視しててもらおうかなーって」
「マジで?」
「マジで」
何となく嫌な予感がした。変な汗が背中を伝う。
でも、それで姫乃の不安がなくなるならまぁいいか。そう思ってため息をつくと、姫乃は声を上げて笑った。
「笑うとか酷くない?」
「ごめんごめん。じゃあ行くね」
「うん」
そして姫乃はドアを開けて、1歩踏み出して言った。
「あ、虹だ」
つられて外を見ると、確かに空には大きな虹が架かっていた。
「おぉ……」
「ん、環どした?」
「窓見て、窓」
姉さんの声が聞こえてきたのでそう返すと、一呼吸置いてから部屋にいる姉さんたちの歓声が聞こえてきた。
「わ、綺麗」
「虹なんて久しぶりに見たな……」
「綺麗……」
部屋から届いた声に頬を緩めていると、後ろから少し困ったような姫乃の声が聞こえてきた。
「帰るタイミング逃したかな……」
「あ、ごめん」
「ん……じゃあ改めて。またね」
「うん、また」
そして扉が閉まった。
その瞬間、突然寂しさが込み上げてきて視界が滲んだ。さすがにこんな顔で皆の前に戻るわけにもいかず、暫くその場に立ち尽くしていた。何秒、いや、何分経過しただろうか、後ろから声をかけられた。
「環くん?」
「ん、ごめん陽向。何か用?」
「あ、いや……用事って程じゃないんだけど。……大丈夫?」
「まだ大丈夫だよ」
『まだ』、というフレーズに違和感を覚えたのか、陽向が少し首を傾げた。でもすぐに微小を浮かべて言った。
「そっか」
「うん」
「環くん、陽向さん、そろそろ準備を始めようか」
「「あ、はい」」
部屋の中から聞こえてきた修さんの声に、2人揃って反応して部屋へと向かう。一歩踏み出す毎に、緊張で体が強ばっていくのがわかった。
隣を歩く陽向も同じく緊張しているようで、震える声で話しかけてきた。
「環くん」
「……ん?」
「絶対、成功させようね」
「……あぁ」
短い会話だけれど、互いの覚悟は伝わったと思う。大丈夫、僕たちは1人じゃないんだ。
そして時は経過して──
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──夜、マンションの前にやって来た修さんの車に全員が乗り込む。そこに会話はなかった。
後部座席のドアを閉める直前、ふと視線を感じて見上げると、通路からこちらを見下ろす姫乃の姿が確認できた。心配そうな顔をする姫乃に頷いて、車のドアを閉める。
各々の覚悟を秘めた、静かな戦いが始まる。
次話から第3章突入です。
2章は少し短かったかな?




