番外編「橘陽向」②
お待たせしましたー
「親の企みを……壊す?」
そんなこと、ただの子供にできるはずがない。あまりに非現実的なその提案を、私は信じられないでいた。
環君は真面目な表情を崩さない。自分が成功することを微塵も疑ってはいない、自信に満ちた表情にも見えた。そんな彼だったからか、気がつくと私は「どうやって?」と尋ねていた。
「まぁ、今すぐできるものでもないよ。決行は僕たちが結婚できる年齢──18歳になった頃」
「え……?じゃあ、それまでは?」
「気が進まないかもしれないけど、恋人の振りをする」
その環君の提案に、いつの間にか私は引き込まれてしまっていた。遅ればせながら、彼が部屋に鍵を掛けたのが誰にも聞かれないようにするためだったと理解する。
「──これが作戦の全部だよ」
「…………凄い」
作戦の全貌を聞き終えた時、私の口からは環君に対する素直な賞賛の気持ちが零れていた。それと同時に、1つの疑問も浮かび上がってきた。
「どうして……」
「ん?」
「どうして環君はそこまでできるの?」
そう問うと、一瞬のうちに環君から全ての表情が消えた。そして、彼の心からの憎しみを込めた答えに体が震えた。
「父さんに、復讐するため」
それ以上の理由を彼の口から聞くことはできなかった。
話が終わった、ということで部屋を出ようとすると環君に呼び止められた。
「あ、ちょっと待って」
「……?」
「呼び方、どうする?」
そんなこと考えてもいなかったから頭が真っ白になった。そして漸く絞り出した答えが──
「──環さん?」
「ぶっ」
環君が吹き出した。結構真面目に考えての答えだったから何気にショック。
「……酷い」
「あ、ごめん。まぁそれでいいんじゃない?」
「適当すぎ」
「真面目に考えすぎたら潰れちゃうしね」
「…………」
その言葉は、実際潰れてしまった人の語り方だった。もう少し環君の話を聞きたいと思ったけれど、とても聞ける雰囲気ではなかった。
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その日から環君との仮初の恋人関係が始まった。と言っても実際に会うのは月に1回程度。しかも両家の親の監視付きで。だから下手な真似はできなかった。
妙な緊張感の中で環君と過ごしていると、不思議と彼の行動を目で追いかけているということが時々あった。親の監視がある中でどのように振る舞えばいいのか、その術を目で見て盗むため。初めはそう思っていた。
でも、半年が過ぎた頃から何かがおかしいということに気付き始めた。
環君が私に笑顔を向けてくれる度に、私の名前を呼んでくれる度に、私の胸が高鳴ってしまうのを実感した。
(あぁ……私、環君のことが好きなんだ)
環君が好き、このことを認めるのに、そう時間はかからなかった。でも、それと同時に、この感情を表に出してはいけないということが私の心に重くのしかかった。
所詮、親を欺くための仮初の関係。そこに本物の恋愛感情が割り込む隙なんて、これっぽっちも存在しなかった。
複雑な心境のまま毎日を過ごす。でも、ただ毎日を過ごしていたわけではない。
もしかしたら、環君の気持ちが変わって私を好きになってくれるかもしれない。可能性が限りなくゼロに近いそんな思いを抱きながら、環君に会う時は特別かわいい服を選んで着て行ったりした。
でも、無駄だった。
環君が私の想いに応えてくれることはなかった。
いつだって──私に笑顔を向けてくれる時でさえ、彼の目には父親への憎しみが込められていたから。
それだけじゃない、環君は変わっていった。ただし、私が望む方向と真逆と言っていいほどに。
「環君」
「……何?」
名前を呼んだ時、その反応に苛立ちが見られるようになった。その時の彼は、まるで、彼の父親と私を重ねているかのような、冷たく感情のない瞳だった。
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環君が私の方を向いてくれることはない。自分はただ環君にとっての道具でしかないんだ。そう思い始めたら、段々と、何もかもがどうでもよくなっていった。
月に2、3回しかない環君への訪問にも、行かなくなってしまった。
お父さんは、そんな私に寄り添うことなく、着々と仕事を進めていく。私に向き合ってくれる人は、ここにはいなかった。
いつしか、環君への想いは歪んでしまっていた──怒り、悲しみ……違う。この感情は、「恨み」でしかない。
環君が父親に復讐するために私を使うと言うのなら、私は私の復讐のために……環君に復讐するために全てを使おう。
そう思い始めたら、環君の道具になることすら厭わなくなっていた。
環君へ復讐するために、私は一計を案じた。と言っても、それを環君に悟られてはいけない。あくまで水面下で進めていく必要があった。
そのためにまず私がしたことは、要次郎さん──環君の父親に気に入られることだった。
「お義父様、少しお話が」
環君がいないことを確認して、要次郎さんに声をかける。これは賭けだった。
「陽向君か、何かな?」
勝った、そう思った。忙しい、と一蹴されることも覚悟していたし、よくて軽く流されるだけだと思っていたから。要次郎さんのこの反応は、いい意味で予想外だった。
「ここでは話しづらいので……。お時間は大丈夫でしょうか?」
「あぁ、幸い今日は1日空いているよ。では僕の部屋へ行こうか」
「ありがとうございます」
要次郎さんの書斎へ移動する。私が扉を閉めると、要次郎さんが重々しく口を開いた。暗い部屋の中で、彼の瞳だけが嫌に輝いて見えた。
「それで、話とは?」
「ええ、実は……」
私は環君の計画を全て要次郎さんに話した。私もその計画の片棒を担いでいたことも含めて、包み隠さずに全てを話した。
話終えるまで、要次郎さんはじっと私の顔を見つめ、時々頷く様子を見せた。
全て話し終えると、要次郎さんは長い溜め息をついて言った。
「なるほど、話は理解したよ。全く……」
「私もその計画に関わってしまったこと、申し訳ありませんでした」
「そうだ、そこで1つ確認したい」
「何でしょうか」
「君が環君を裏切った理由は?こんなことをして君に何の得があると?」
予想通りの質問が来た。私は用意していた答えをそのまま口にした。環君と関わる中で彼に惚れてしまったこと、彼が私を見てくれないことに気がついたこと、彼を裏切った理由が完璧な私怨であること。
「私はこれを裏切りだとは思いません。環君の自業自得だと思っています」
そう言って話を終えると、要次郎さんは笑っていた。
「すまない。私怨、それでいいじゃないか。僕も彼には手を拱いていてね、協力してくれる者がいるのは有難いよ」
「と言うと?」
「簡単な話だ。陽向君、君には僕のスパイになってもらおう」
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私が要次郎さんから出された条件は主に3つ。
・このまま環君の味方の振りを続けること
・環君の動きを逐次要次郎さんに報告すること
・私の動きを環君に悟られないこと
つまりはいつも通りにするだけだった。だから油断したのかもしれない。
中学校を卒業した日、環君が失踪した。
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環君の行方はすぐにわかった。自宅から数駅離れた市にあるマンションで、一人暮らしをしていた。手続きはどうしたのか、とか高校は、とか色々な疑問はあったけれど、それ以上に、私の動きが彼にバレたのかもしれないという恐怖の方が大きかった。
「申し訳ありません!」
「いや、すまない。これは僕の失態だ」
要次郎さんの話によると、環君の進路については、仕事上お手伝いさんに任せっきりになっていた。そのお手伝いさんとの連携が上手く取れていなかった。とのことだった。
「だが、環君が住んでいる場所は特定した。いつでも追跡は再開出来る」
「あの……そのことですが」
「何だい?」
「暫く環君を泳がせるべきでは?」
「何故だい?」
「今、環君は新生活ということもあって警戒を強めているはずです。そんな時期に動くのは些か危険が過ぎるかと」
「確かに一理あるね……」
話し合いの結果、数ヶ月間は環君の自由にさせることになった。
そして夏休み明け、9月。これが運命の日だった。
『陽向君、頼んだよ』
「はい、お任せ下さい」
電話の相手は要次郎さん。最終の打ち合わせをしていた。しかし、打ち合わせを終え、いざ車から降りようとした時に車の窓から見えた環君の姿に心がざわついた。
環君が数人の友人と思しき人たちと、仲良さげに歩いていた。
心の中から、黒い感情が湧き出すのがわかった。
何とか感情を押さえ込み、観察を続ける。そして、気づきたくないことに気がついてしまった。
環君の隣を歩く1人の女子。2人の表情を見て、直感で理解した。2人は、付き合っているんだ。
黒い感情が増幅する。
何で君だけそんな楽しそうな顔をしているの?
私の想いには答えてくれなかったのに。
私の方は向いてくれなかったのに。
もう見ていられなかった。
「出して」
車の運転手に指示を出して、車を出発させる。行き先は決まっている。
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環君が住んでいるというマンションの前で彼を待つ。
事前に要次郎さんに連絡し、計画の修正を伝えた。
そして、彼がやって来た。私には気づいていない様子で、楽しそうに話している。
好都合だ。その友情を、貴方が築き上げたその信頼を、私が全て無に帰してあげる。
環君が顔を上げたタイミングで私は口を開いた。父から、お義父様から学んだ笑顔の仮面を貼り付けて。
「あ、環さん。お帰りなさい」
私の復讐が始まった。
陽向の話が1番書きたかった話かもしれないです。ここから環の過去にも踏み込んでいく予定です。




