第2章14話 予想外①
メリークリスマスです。
「どうして…………」
身の前に立っている人物を認識するには、僕の頭が追いつかなかった。彼女は僕の姿を見つけると笑みを浮かべてこう言った。
「環さん、お久しぶりです。今日は要次郎さんに頼まれて君の様子を見に来ました」
「不審者は……お前だったのか」
「不審者? あー……そんな風に見られていたんですね」
僕の後ろに立っている姫乃たちは何が起こっているのか理解できないようで、僕と彼女を交互に見比べていた。
大悟が何かを感じたのか「要次郎……柏木…………まさか」と1人で呟いている。これはもう隠し通すことはできないだろう。
そんな彼らに、目の前の彼女が話しかける。
「初めまして、皆さん。環さんの婚約者の橘陽向と言います」
「…………え?」
疑問と戸惑いの入り交じった声を上げたのは姫乃。
他の皆も、どういうことだと目で僕に訴えている。そんな中、伊織が口を開いた。
「環、説明しろ」
確かにこればかりは説明無しには始まらない。僕は陽向から目を離さない──離せないまま説明を始めた。
思い出したくもない過去を、記憶の奥底から引きずり出して。
「初めにこれだけ言わせて。僕は皆を騙すつもりはなかった」
「…………おう」
「大悟はもうわかってると思う。僕の父親は柏木要次郎、元外務大臣だよ」
そう告げた途端、皆から驚きの声が上がる。当然だろう。
すると大悟がこんなことを聞いてきた。僕ではなく、陽向に。
「橘さん……だっけ?あんたは?」
「いえ、私の父はそんな大層な人物ではありません」
「じゃあ……」
「私の父は橘陽太、橘食品って聞いたことないですか?」
橘食品は、この地域に住む住民には欠かせない重要な食品会社だ。そしてその会社の社長が橘陽太、目の前に立つ陽向の父親だ。
ちなみに付け加えておくと、僕と陽向、そして姉さんも、要次郎の被害者。簡潔に言うと、政治の道具として利用されていたんだ。
いわゆる政略結婚ってやつだ。僕はそれが嫌で家を飛び出した。
それを皆に伝えると、その場を静寂が支配した。
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「で、他に質問は?」
仕方なく僕からそう尋ねると、伊織がおずおずと手を挙げた。
「環の言ってることが嘘だとは思えない、それは信じる」
「ありがとう」
「だとしても、何で橘さんが?」
その質問に僕は答えることができない。代わりに答えたのは当の本人である陽向。
「最初に言いましたよね?要次郎さんに頼まれたって」
「お義父さま……」
姫乃が『お義父さま』という言葉にショックを受けていたようだけど、今の僕には姫乃を心配する余裕なんてなかった。
確かに父さんならそれくらいのことはするだろう。陽向の言っていることはおそらく事実だ。
だが、そうだとしても腑に落ちないことが1つだけある。
「何で……」
「どうしました?環さん」
「何で僕たちの前に現れた?」
「どういうことでしょうか」
「その話をするだけなら僕だけでいいはずだ。姫乃たちを巻き込む理由がわからない」
素直に疑問を口にすると、陽向の笑みが深くなった。やらかした……そう思ったけれど、言った言葉を取り消すことなんてできない。大人しく陽向の答えを待つしかなかった。
「お義父さまの言葉を皆さんにも聞かせるため……これが理由です」
そう言って陽向は胸ポケットからスマホを取りだした。
そしてそのまま誰か、いや、父さんに電話をかけ始めた。
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「もしもし、陽向です。はい……はい、環さんと合流できました」
そして陽向はそのまま電話に集中する。その隙に逃げることだってできたはずなのに、体が全く動かなかった。
電話に一区切りついたタイミングで、陽向は「ではスピーカーに」と言ってスマホをこちらに向けた。
そしてスマホから流れてくる音声に、体が強ばった。
『久しぶりだね、環くん』
「…………父さん」
動揺を、恐怖を父さんに悟られては負けだ。感情を必死に押し殺し、父さんに対応する。
『陽向くんの話だと君の友人もそこにいるのかな?』
「……うん」
『では先に彼らに話をしよう』
父さんに見られているわけでもないのに、何故か振り向くことができなかった。それでも僕の後ろで姫乃たちが息を呑むのがわかった。
そんな僕たちを無視して、父さんが話を進める。
『初めまして、環くんの父の柏木要次郎だ。息子と仲良くしてくれているようだね』
「…………」
『だが、僕としては別れを勧めざるを得ない』
「なっ……!? 父さん!」
『環くんは黙っていてくれ』
僕の反論は聞き入れて貰えなかった。これはいつもの事だから別に驚きはしない。ただ、今回に限っては引き下がるわけにはいかなかった。言うべき言葉を頭の中で必死に考えていると、父さんが言葉を続けた。
『一方的な話になるのは申し訳ない。が、君たちと環くんは住む世界が違うんだ』
「………………」
あまりに一方的な物言いに、僕だけでなく姫乃たち全員が言葉を失った。ただ1人──陽向だけを残して。
父さんのその言葉に、陽向が補足する。
「環さん、あなたもいい加減お義父さまの元へ戻ってきて下さい」
「…………何で陽向がそんなことを?」
「もちろん、他の誰でもない私自身が環さんに戻ってきて欲しいからですよ──」
そして陽向は姫乃を一瞥して言った。
「──まぁ、そこにいる姫乃さんは納得していないようですが」
「……姫乃」
その言葉に振り向くと、姫乃が唇を噛んで俯いているのが目に映った。しかしそれも一瞬のことで、顔を上げて、震える声で叫んだ。
陽向ではなく、僕に向かって。
「何で!」
「………………」
「何で言ってくれなかったの?」
「………………ごめん」
反論はできなかった。
父親に責められるよりも、気の知れた友人に罵られるよりも、愛する彼女にそんなことを言わせていることが何よりも胸を抉った。姫乃は震える足で僕のところまでやってきて肩を掴んだ。
僕の顔を見据えているのはわかったけれど、僕自身が姫乃の顔を見ることを拒んだ。姫乃がどんな顔をしているのか見たくなかった。見ることが、できなかった。
「私は環くんの何なの!?」
「……彼女、だよ」
「……っ!だったら──」
「ごめん」
僕がそう言うと、姫乃は無言で僕の胸を叩いてきた。弱々しい力で何度も、何度も。軽い衝撃が胸に走る度に胸の奥が痛んだ。
もう、誰の顔も見ることができなかった。
「ごめん」
そう言うしかできない自分が、とても非力で、とても情けなく思えた。
暫くすると、姫乃は僕の胸を叩くのをやめた。しかしその場から動くことはなく、ただただ泣くのを堪えるかのように肩を震わせていた。
いつの間にか、雨雲が空を覆い尽くしていた。
「さて、では行きましょうか、環さん」
そんな僕たちを見ながら、陽向はまるで空気を読んでいない発言をする。俯いたまま「どこに?」と尋ねると、その答えは、目の前の陽向ではなく陽向が持つスマートフォンから聞こえてきた。
『無論、僕の家にだよ』
「…………父さんの? 何で」
『家族での話し合いは必要だろう?』
「もし断ったら?」
この問に対する父さんの返答は大方予測はついたけれど、自分の耳で確かめずにはいられなかった。
そしてその予想通りの答えが返ってきた。
『その時は、取るべき手段を取るだけだ。君ならわかるだろう?』
「…………」
『おや、わからないのかい?君の友じ──』
「姫乃たちには手を出すな!」
『…………出すな?』
「……出さないで…………下さい」
父さんの放つ圧倒的な威圧感に、思わず言葉を言い直してしまう。大悟たちはもはや言葉を挟む余地もないようだった。そんな空気の中、父さんはそのまま淡々と要点だけを伝える。
『ならばどうするかはわかるだろう?待っているよ』
それだけ言って父さんは電話を切った──いや、切ろうとした。父さんが電話を切れなかったのは、『では』と言って電話を切る寸前に、後ろから今聞こえるはずのない声が聞こえてきたから。
「待って!」
聞こえてきたその声に思わず振り返り、驚愕する。
陽向も、彼女がそこにいるのが信じられない、という様子だった。
「…………何で」
「どうして……どうしてお義姉様がここに!?」
「ひーちゃんなら大歓迎だけど、貴女にお義姉様なんて言われたくないわね」
そう、僕たちの前に現れたのは、楠木葵。姉さんだった。
橘陽向、何者なんでしょう。




