第2章12話 変化②
短めです。
「それはなかったと思うよ?」
姫乃のその突き放すような一言に、空気が凍ったように錯覚した。それは僕だけではないだろう。その証拠に、あれだけ盛り上がっていた教室が一瞬にして沈黙に包まれたんだから。
4ヶ月ほど姫乃と関わってきたけれど、ここまで冷たい感情は見たことがなかった。
というか、笑顔のままなのが怖さを倍増させている。
「……姫乃?」
「環くんはちょっと静かにしてて」
「あ、はい」
有無を言わせないその態度に、僕は素直に従う他なかった。
教室中の人間が、姫乃の次の言葉に全神経を集中させていた。
「さっきから『もっと早く行動しておけば』とか言ってるけどさ、そんな「たられば」の話しててもしょうがなくない?」
柿原を含む数人の男子が俯く。図星、というか言い返せることが何もないんだろう。
そんな男子たちを一瞥して姫乃が言葉を続ける。
「私が環くんを好きになったのは、彼が私を助けてくれたから。まだお互いのことをよく知らない時に、普通にそんな行動を取れた環くんに惹かれたの」
「いや、そんなの俺らだって──」
「それが「たられば」だって言ってんの!」
「ぐ…………」
「あの時私を助けてくれたのは環くん、この事実は変わらないよ?」
そう言って姫乃は僕の顔を見てきた。何となく、不安そうな目をしているな、と思った。
だから僕は安心させるために姫乃の肩に手を置いた。姫乃が深呼吸したのがわかった。
「君たちに比べたら、まだ伊織くんの方が可能性はあったかもね」
姫乃が伊織にほほ笑みかけると、今度は男子の視線が伊織に集まった。
当の本人は、急に話を振られたこと──というよりは自分の好意がバレていたことに驚いているようだった。まぁ当然だろう。
「俺?」
「うん。えっと……その…………ごめんね?」
「まぁ姫乃が環のこと好きなのもバレバレだったしな」
大衆の面前で振られたにも関わらず、伊織は爽やかな笑みでそう返した。ただ、その笑顔はどこか寂しそうにも感じられた。
そして姫乃はもう一度柿原たちを見て、言った。
「後悔するのは勝手だけど、それに私や環くんを巻き込まないで。それだけ」
そう言い放って姫乃は僕の手を引いて教室の自分の机へと向かって行った。柿原たちとすれ違った時少し睨まれたような気もしたけれど、姫乃が僕の方に振り返った瞬間勢いよく顔を逸らしたので思わず笑いそうになってしまった。
不憫だとは思ったけれど、自業自得でもあるので情をかけるつもりはない。
そんな空気を感じたのか、呆然とする男子を除いて教室の空気は元に戻りつつあった。
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結局柿原たちはホームルームが始まるまでそのままだった。ちなみにこの後僕と姫乃は栗本を始めとする女子に囲まれて質問攻めにあうんだけど、それはまた別の話だ。
「うぅ…………」
「どうしたの?」
柿原たちを論破してから姫乃の様子がどこかおかしくなった。
調子が悪いのかと心配になって尋ねると、上目遣いになっておずおずとこう答えた。
「環くんにあんな一面見られたくなかった……」
「別に変じゃなかったけど?」
「そういう問題じゃないんだよぉ……」
そういうものなのか、女心はよくわからないな。
「僕は姫乃の新しい一面が見れて嬉しかったけどな」
「え?」
フォローを入れるつもりでそう呟くと、姫乃はどういうことかわからなかったようで疑問の声を上げる。
「姫乃は自分の言いたいことを言える芯があるんだね」
「『芯』……?」
「うん、僕はどうしても直前で気が引けちゃうから……羨ましいよ」
本当に、姫乃を励ますためだけにこう言ったんだ。他意はない。それなのに、姫乃は顔を赤くして俯いてしまった。それだけではなく、何故か周囲からは妙に暖かい視線を向けられた。
「…………環くん、ずるい」
俯いたまま何も言わなかった姫乃が暫くして口にしたのはそんな言葉だった。しかし、そんなことを言われても何のことか僕に理解できるはずもなく、結局答えることができたのは「何が?」という言葉だった。
「……何でもない」
「あ、そう……?」
何かまずいことを言ってしまったのか、不安になって首を傾げていると、後ろから声をかけられた。
「あー……その…………環」
「大悟、おはよう」
「おはよ──ってそうじゃなくて!」
「…………?」
「朝っぱらからナチュラルにイチャつくなっつーの」
「………………はぁ!?」
この男は突然何を言い出すんだ。
他の人に否定してもらおうと周りを見渡したけれど、亜美も瑞希も伊織さえも、僕と目が合いそうになった瞬間僕から目を逸らした。
どうやら僕に味方は1人もいないようだ。
「え……と、そんな風に見えた?」
「そんな風っつーか……なぁ」
大悟が周りに同意を求めると、今度はその場にいた全員が首を縦に振った。何故だ…………。
更に大悟が言葉を重ねようとした時、扉が開いて先生が入ってきた。先生が教室を見渡して放った一言は「……柿原?」だった。
それで漸く柿原も正気に戻ったようで、溜め息をついて自分の席──僕の前に座った。
何となく空気が張りつめるのがわかったけれど、先生がいる以上手を出してくるというようなこともないだろう。
そしてホームルームが始まった。




