第2章9話 環の秘密
大変長らくお待たせ致しました。
打ち合わせが終わったあと、大悟たちの追及を何とか振り切って帰路に着く。もちろん隣には姫乃。
しかし会話が続かない。何かを言いかけても、お互い「「あ……」」と声が被ってしまって、その後には気まずい沈黙が流れるだけ。
その状態が既に4、5回程繰り返されていた。
そしてそのまま家に着いてしまった。
「あー……じゃあ30分後に僕の部屋来てくれる?」
「う、うん」
そんな短いやり取りの後、一旦それぞれの部屋に戻る。
とりあえず制服から私服に着替えて、冷蔵庫の中を確認する。
焼きそばの麺2人前、豚肉、玉ねぎ、キャベツ、人参、紅生姜があることを確かめてそれらを全て出しておく。
落ち着かないまま30分が経過した頃、玄関のチャイムが鳴った。姫乃だった。
ドアを開けて姫乃を部屋に入れる。
「お待たせ」
「いや、待ってないよ。どうぞ」
「お邪魔します」
部屋に入った姫乃が最初に口にした言葉は、「わ、準備いいね」だった。もちろん色んな食材が並んだ台所を見た感想だ。
そんな姫乃が可愛らしくてつい頬が緩んでしまう。そんな僕を見て、姫乃は不思議そうに首を傾げていた。
「じゃ、早速だけど作り始めようか」
「おぉ……いきなりだね」
「ダメだった?」
「んーん、そんなことないよ」
そんな感じで、僕たちの焼きそば作りが始まっていった。
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作り始めてわかったんだけど、姫乃の不器用さは筋金入りだった。30分ほど経つにも関わらず、まだ野菜を切る段階から抜け出していない。何しろ姫乃がこの短時間で3回も指を切っているのだから。
「痛っ」
「ちょ、大丈夫?」
お陰で僕の応急手当スキルも着々と上昇している。1回目に比べると、確実に手際が良くなっているだろう。
姫乃の指を消毒し、絆創膏を巻きながら
(そういえば初めて会った時から不器用だったんだな)
と妙な感慨に浸っていると、何かを感じたのか、姫乃が不服そうに睨んできた。
「何か変なこと考えてるでしょ」
「……別に」
「ふーん?ま、いいや。次は?」
まだ痛みは引いていないだろうに料理を進めていこうとする姫乃。少しは休むことも大切だと言っても「まだ大丈夫」と言って譲らない。
何が姫乃をそこまで駆り立てるのか気になったけれど、それを尋ねることはせずに姫乃のサポートに回る。
漸く野菜を全て切り終え(その間に姫乃は切り傷を2ヶ所増やした)、材料を炒める段階に入る。自室からホットプレートを出して電源を入れる。
「んー……疲れたぁ」
「あと少しだから頑張って」
「少しってどれくらい?」
「どうだろ……半分くらいかな」
「全然少しじゃないよ!?」
そんなくだらないことを話していると、ホットプレートも温まってきたようだ。油をプレート全体に馴染ませて材料を投入する。
「どうしよ、お腹空いた」
「えぇ……じゃあ、はい」
我慢できない、という切実な思いが姫乃の呟きから伝わってくる。こんなこともあろうかと思って用意しておいたものを姫乃に渡すと、姫乃は「これは?」と言って不思議そうにしていた。
「チョコだな」
「チョコだね……ってそうじゃなくて、何で?」
「姫乃が喜ぶかなって。食べていいよ」
「じゃあ遠慮なく────甘いなぁ」
「チョコだしね」
何を当たり前なことを……言ってしまってから姫乃の顔がやけに赤くなっていることに気づく。怒らせてしまったか?
しかしお叱りの言葉が飛んでくることはなかった。それどころか姫乃は顔を逸らして何もない空間を見つめてしまったので更に訳がわからなくなる。
そんなことを考えていると、どこからか不思議な匂いが立ち込めてきた。お世辞にも美味しそうとは言い難い、端的に言えば『焦げ臭い』、そんな匂いが鼻をつく。
「ヤバっ……!」
慌ててホットプレートを覗き込んだけれど、時既に遅し。
ホットプレートの上には黒焦げになった野菜たちが敷き詰められていた。
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「やらかした……」
「そんな気にすることないってー」
部屋の隅にうずくまって頭を抱える僕を見て、姫乃が笑いながら慰めの言葉をかけてくる。でもそれだけで心の傷が癒えるはずもなく──
「父さん、ごめんなさい……」
気がつくとそんな言葉を口にしてしまっていた。
しまった……。
しかし姫乃はそんな僕の言葉を聞いて不思議そうにしている。今なら何とか誤魔化すことができるだろうか。
「お父さんがどうかしたの?」
「いや、何でもない。気にしないで」
「何でもないことないでしょ。大丈夫?」
誤魔化すことは不可能でした。
溜め息をついて口を開く。
「ハァ…………父さんは、失敗を許さない人なんだよ」
「そうなの?」
「うん。失敗すれば比喩とかじゃなくて鞭が飛んでくる。それくらい厳しい人なんだ」
「おぉ……」
姫乃はそうやって相槌を売ってくれたけれど、何故だろう、心なしかその表情はどこか嬉しそうに見えた。
「姫乃、何か嬉しそうだね」
「環くんの秘密が1つ知れたからかな。私は環くんのこと知りたいよ」
その言葉に顔が赤くなるのがわかった。
照れ隠しのために、極力平静を保ってこんなことを姫乃に言ってみる。
「僕だけはずるいんじゃないかな?姫乃のことも知りたいなぁ」
「んにゃ!?」
まさかそんなことを返されるとは思っていなかったのだろう、奇声を上げて動揺する姫乃。驚いた猫みたいで微笑ましい。
姫乃は目を泳がせながら言った。絶対嘘だ。
「わ、私に秘密なんかないよー」
「姫乃、嘘つく時目が泳ぐの気づいてないでしょ」
「え、本当に!?」
「……嘘って認めたね」
僕が誘導したとはいえ、ここまで綺麗に引っかかってくれるとは思わなかった。それがおかしくて、自然と笑がこぼれてくる。
「あ、またバカにしてるでしょ」
「してないしてない」
「ホントかなぁ……」
姫乃といると、自分の犯した失敗が、過去の苦い記憶すらどうでもよくなってくるから不思議だ。
姫乃がそばにいてくれて、本当に良かった。
「姫乃」
「んー?」
「ありがとね」
「どういたしまして」
何に対する感謝かわかっていないだろうに、とりあえずそう返すところが姫乃らしい。
とまぁここまではよかったんだけど……
「これ、どうしよう……」
僕たちは、黒焦げになった野菜を目の前に立ち尽くした。




