第1章4話 環のイメチェン
あんまり長くてもあれなので
短い話を細々とあげるようにします。
「じゃあ環くん、どんな髪型にする?」
陽真さんが話しかけてきたけど、美容院に行くことを全く知らなかった僕としては、何も決めていないから答えることが出来ない。
というかそもそもどんな髪型が自分に似合うのかということすら考えたことがない。
迷っていると、姫乃が助け舟を出してくれた。
「環くんって前髪長いよね。私は短い方がいいなー」
そんなことを言いながら姫乃が持ってきたのは1冊の雑誌。表紙には今話題になっている映画の主演俳優が載っていた。確かにその俳優の前髪は短くて爽やかな印象を受ける。だけどその髪型を僕に求めるのは無理があるのでは……?そんな葛藤などお構いなしに姫乃は言葉を続ける。
「この髪型とか環くんに似合いそう!どうかな?」
「…………っ」
期待を込めた眼差しで見つめられては「嫌だ」などと言えるはずもなく、押しに弱い僕は「じゃあこんな感じで」と答えるしかなかった。そんな僕を見て陽真さんは苦笑しながら「畏まりました」と言った。
姫乃が付き添い専用の席に戻ったのを確認してから陽真さんがハサミを手にする。周りにいるのが全員女性客なので、辺りを見回すわけにもいかずじっと鏡を見据えていると、陽真さんが話しかけてくれた。
「環くんは姫乃ちゃんとどこで知り合ったの?」
美容室は(偏見かもしれないけど)多くの理髪店と違い客とのコミュニケーションも疎かにしない。それは昔連れて行ってもらった美容室で学んだことなので疑問には思わない、むしろこの状況では救いにすら思えた。
「どこって……多分聞いたら笑いますよ?」
「え、何?すごい気になるんだけど」
姫乃には悪いと思ったけれど、会話が続かないのも気まずくなると思ったので石垣での姫乃の状況を事細かに説明する。陽真さんはやはりというか当然というか笑いを必死に堪えていた。さすがはプロの美容師だ。
「それで環くんが助けたんだね」
「助けたっていうか、目の前で怪我されるのって嫌じゃないですか」
「まぁそうだね。でもなかなか行動には移せないよ。環くんはすごいね」
「そうですか?」
「そうだよ」
誰かに褒められることなどそうそうなかったので照れる。
照れ隠しに鏡に映った自分の姿を見ると、自分でも驚くほどに印象が変わっていた。やはりプロの腕はすごいなと改めて実感する。
「じゃあさ、環くんにとって姫乃ちゃんってどんな存在?」
「……え?」
唐突な質問に頭が追いつかなかった。
何を言われたのかを理解した途端、何故か羞恥が込み上げてきた。
鏡に映った自分の顔が少し赤くなっているのを見て、陽真さんがニヤニヤと笑っている。
「別に、ただの友達……だと思います」
接点があの石垣の1件のみだから「友達」と言っていいのか微妙だった。そのせいで断言が出来ず曖昧な返事になってしまった。
「ふーん、そっかぁ」
「……何ですか」
「いや、別に?」
陽真さん、いい人だと思っていたけれどなかなかに侮れないようだ。
その後数分もしない内に髪を切るのは終わったようで、ワックスで髪を整えられた。
姫乃も呼んで、髪型のチェックをしてもらう。
「いいじゃん、かっこよくなってるよ!」
「素材がよかったからね」
と姫乃と陽真さんの2人から言葉攻めにあい、メンタルが死にそうになるのを堪えて何とか「ありがとうございます」と言葉を絞り出す。正直、別人のようだと自分でも思っていた。
ここからは会計の話。
姫乃が「お礼だし私が出すよー」とか言っていたけれど、さすがにそこまでさせると男としてどうかと思ったのでその申し出は断った。財布に入っていた虎の子の1万円のうち3割以上が消えたのには驚いたけど。
「陽真さんありがとうございました。えっと…また来ます」
「うん、待ってるね」
そんな言葉を交わして美容院を出る。
「また来ます」──そんな言葉を使ったのはいつぶりだろうか。何だかんだで陽真さんと話すのは楽しかったし、あの空間を気に入ってしまっていた。ぼんやりとそんなことを考えながら歩いていると、姫乃が袖を引っ張ってきた。
「ちょっと聞いてるー?」
「ごめん、ぼーっとしてた。何だっけ?」
「もう!だいぶ雰囲気変わったねって言ったの」
「そう?」
髪を切るだけで雰囲気まで変わるものなのだろうか。
確かに見た目の印象が変わったことには頷けるけど、雰囲気まで変わるというのは些か認めづらい。
「んーとね、髪切る前の環くんはちょっと暗かったよ。前髪で目が隠れてたからかなぁ」
「本当?」
「嘘ついてどうすんの。でも今は目がちゃんと見えるからさっぱりした雰囲気だね。ていうか環くんの目つきかっこいいね」
「……そんなことないでしょ」
誰かに目つきを褒められる、顔をまじまじと見られるという経験に動揺してしまう。おそらく今の僕の顔は赤くなっているんだろうな。照れを誤魔化すために話をそらすことにする。
「姫乃…さん」
「んー?」
「今日はありがとう。多分僕だけだったらあの場所に行こうとも思わなかったから──」
「何言ってるの?」
食い気味に言葉を重ねる姫乃、続く言葉がまた動揺をもたらすことになる。
「まだまだ終わりじゃないんだなー。だってあそこでお金払われちゃったらお礼の意味ないじゃん?」
「は?」
6月最後の日曜日、この日が過去最高に濃い1日になることを、この時の僕はまだ知る由もなかった。
ちなみに橘陽真さんは23歳くらいの設定で、環たちの学校の卒業生だったりします。




