第1章36話 姉の気持ち(仮)
お久しぶりです、お待たせしました
朝食を済ませて買い出しに行った。
何故か姫乃もついてきた。理由を聞くと、「何回もご馳走になってるから」とのことだった。
理由になっていないように感じるのは気のせいだろうか。勝手な予想だけど、姫乃は理由を上手く説明するのが苦手なのかもしれない。
必要なものを買って、スーパーの前で別れる。
姫乃はこのあと亜美と遊ぶ用事があるようで、そのまま駅に向かって行った。
「じゃあ、またね」
「うん、楽しんできてね」
そうして重い荷物を両手にぶら下げながら家に戻った。姫乃が外出するということで、姉さんは家で留守番をしてくれている。念の為合鍵を渡しているから外出してもいいとは言ってある。
「ただいま」
「……ん、おかえりー」
いつになく眠そうな声でそう答えた姉さんの声に、おや?と思った。昨日は寝れていないのだろうか。
そう思ってリビングに行って、衝撃の光景を目にした。
「こんな時間から酒かよ!」
机の上に無造作に置かれているのはビールの空き缶×2、それだけでなく、姉さんの手には新たなビール缶が握られている。
まだ11時前だと言うのに、3つもの缶を空にしている。
「ん……何よ、悪い?」
それなのに意外と意識はハッキリとしているのだからタチが悪い。というか姉さんが酒を飲んでいるところなんて初めて見たから驚いた。その分意思疎通に苦労しないだけ楽だけど。
しかしそれでも見ているこちらとしては気分のいいものではない。
「寝るならせめて寝室行ってよ」
「あんた用意してくれてないじゃん」
「う……」
正論を言われて何も言い返せなくなった。
まぁ、姫乃にこれ以上迷惑をかけるわけにもいかないし、今日からは家に泊めるつもりだったんだけど。
「今日から家に泊まって」
「あれ、どうしたのよ」
「姫乃に迷惑だろ」
「んー……確かにそうね、ありがと」
溜息をついて机の上に置いてある空き缶をシンクに持っていく。姉さんの「ありがと」という声を背中で聞きながら、朝食の食器を片づけた。
10分ほどして全て洗い終わり、後ろを振り返ると……
「な……」
寝室に行けと念を押したはず、それなのに姉さんは机の上に突っ伏して気持ちよさそうに眠っていた。
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「姉さん、姉さんってば」
そう言って姉さんの肩を揺らしても一向に起きる気配はない。もうこれは諦めた方がいいのかもしれない。そう思って自分がするべきことに集中した。
それから30分ほど経った頃だろうか、突然姉さんがこんなことを口にした。といっても目が覚めたわけではなさそうなので寝言だろう。
「ん、シュウくん……」
その言葉にハッとする。
姉さんは「喧嘩して出てきた」と言っていたけれど、本当はシュウさんと仲直りがしたいんだろう。
もちろん僕としては早めに仲直りしてくれることに越したことはないんだけれど、姉さんの性格上、それはもう少し先になりそうだ。
とりあえず今は姉さんを起こすことが先決だろう。
「姉さん、起き──」
「お母さん……」
その一言に、胸の奥で鈍い痛みを感じた。過去を全て忘れられたなら、そう何度も思ったけれど、家族のことなんて簡単に忘れられるはずがない。それは姉さんも同じようだった。
とその時、突然姉さんが目を開いた。
「ん…………あれ、私寝ちゃってた?」
「うん、ぐっすりと」
姉さんの一言で動揺した心を悟られないように、努めて落ち着いた風を装って答える。それでも内心は姉さんの寝言のことでグチャグチャになっていた。
幸いそんなことに気づいた様子もなく、姉さんは言葉を重ねる。
「ちょっと、起こしてくれてもいいじゃん」
「起こしたら起こしたで怒るじゃん」
「そんなことないわよ」
こんなくだらないことで争っている、そう理解した途端、何故か知らないけれど不意に笑いが込み上げてきた。それは姉さんも同様で、部屋の中は2人の笑い声で充たされた。
「環とこんなふうに笑い合うの、いつぶりだろうね」
「最近は会ってなかったしね」
そもそも僕はよく笑うような性格ではなかったからほとんど初めてのようなものではないか。
久々のことにそんなことを考えていたから、突然鳴ったインターホンに対応ができなかった。
「私が出てくるわ」
酔っているのを微塵も感じさせない動きで姉さんが玄関へ向かった。
誰だろう、ぼんやりとそう考えていると玄関から姉さんの「えっ!?」という驚きの声が聞こえてきた。慌てて僕も玄関に向かう。
そこに立っていたのは……
「や、久しぶりだね」
「……シュウさん!?」
姉の夫、そして僕の義兄にあたる──楠木 修さんだった。
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「どうしてここに?」
「恥ずかしい話、駅前で葵さんを見なかったか聞き込みをしていたら、高校生くらいの女の子がここにいることを教えてくれたんだ」
その女子は十中八九、いや、確実に姫乃だろう。
わざわざ姉さんを探しにこんな所まで来る修さんの行動力に驚いたけれど、姉さんの驚きはそれとは別物のようだった。
「怒ってないの?」
「さすがに2日も帰ってこなかったら怒りより心配の方が勝るよ」
「あっそ……」
「それに僕も悪かったしね。環くん、葵の面倒を見てくれてありがとう」
「いえ、僕は別に」
そう言いながら姉さんを見ると、微かにだけど頬が赤く染まっていた。昨日今日と色々なことを言っていたけれど、修さんが迎えに来てくれたことが嬉しいみたいだ。
修さんもそれを見抜いているようで、微笑みながら姉さんに言葉をかけた。
「葵、そろそろ帰ってきてくれない?」
「わ、私は別に……」
「さっき美味しそうな洋菓子店を見つけたんだ。帰りにそこに寄っていかない?」
「話を聞いてよ!」
姉さんが一方的に押されている。
そういえば姉さんを抑え込めるのは父さんと修さんだけだったな、そんなことを思い出しながら2人の会話を見守っていると、急にこっちを振り返って姉さんが言った。
「環、あんたも来なさい」
「え?」
「葵がお世話になったから、お礼をさせてくれないかな」
修さんがにっこり笑って補足してくれた。まぁ、奢ってもらえるんだったら行ってもいいかな。
「姉さんは姫乃の分も買いなよ」
「わかってるわよ」
「姫乃?」
何のことだかわかっていなさそうな修さんに、2人で姫乃のことを説明する。ついでに姉さんの居場所を教えたのがおそらく姫乃であろうことも。
すると修さんは何度か頷いて言った。
「それはぜひお礼をしなくちゃね。姫乃さんの分も僕が出すよ」
「そ、それはいいわよ」
「え、でも……」
「お世話になったのは私だから!」
姉さんに甘々な修さんを見ていると、姉さんが家出してきた理由が何となくわかったような気がして、思わず苦笑してしまった。
それを姉さんに指摘されて、誤魔化すのが大変だった。




