第5章3話 もっといちゃらぶ①
タイトル通りじゃない気もするけどまだ①なのでご了承ください。
頭の後ろに柔らかく幸せな感触を残したまま目が覚める。視線の先には真っ白な雪に覆われた双丘がある。いや、視線の先という表現は適切ではない。目の前、至近距離、目と鼻の先。腕を伸ばせばすぐに触れられる……って僕は何を考えているんだ。
呼吸にあわせて体が前後に揺れている姫乃、どうやら眠ってしまったようだ。
幸せな柔らかさを惜しみつつ、姫乃を起こさないようにそっと抜け出す。そのまま姫乃の体をソファに横たわらせ、暫く姫乃の寝顔を眺めることにする。せっかくなんだし、今のうちに寝顔撮影会でも開催しておくか。
「……さすがに無防備だよなぁ」
ふと、そんなことを呟いていた。
付き合っている以上異性として見られていることに間違いはないんだけど、それにしても姫乃は油断しすぎだと思う。信用されていることは嬉しい半面──いや、まぁこんなことを考えても無駄だろう。
とりあえず数枚、色んなアングルから寝顔を撮影する。幸せな夢を見ているのか、嬉しそうな微笑を浮かべているのが可愛い。姫乃はカメラのシャッター音に起きることもなく、くぅ……くぅ……と規則正しく可愛らしい寝息を立てていた。
だが、ここまで無防備な姿を見せられると悪戯心に火がつくのも仕方のないことだ。寝たままの姫乃が悪いんだぞ、と心の中で呟きながら、僕は姫乃に悪戯を開始した。
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悪戯と言っても、人の道を外れるようなことはしない。わざわざ嫌われにいくような真似をする意味がないし、そもそも嫌われたくはないから。
だからと言うべきか、何をしようか迷った結果、僕は今、姫乃の頬をつついていた。体温が高めなのか、僕に比べて温かい姫乃の頬をつついていると、姫乃が「……んぅ」と小さな声を漏らした。それでも起きる気配はないので、調子に乗って頬を触っていると、急に伸びてきた姫乃の両手が僕の右手を掴んだ。
そして──
「…………っ!?」
あろうことか、僕の手を包んだままその手を胸の上に持っていった。ゆっくりとした呼吸に呼応して上下する姫乃の胸。柔らかい。
あぁ、空が綺麗なグラデーションを描いているなぁ……。
どうしたらいいのかわからない僕は、諦めて現実逃避をしていた。なるようになるはずだ。…………きっと。
10分ほど経った頃だろうか、姫乃が寝返りを打ってくれたおかげで、漸く僕の右手が解放された。それと同時に姫乃の顔がこちらを向いたことで、何の警戒心も抱いていない、純新無垢な赤ん坊のような寝顔を至近距離で拝めることができた。
どうしても意識してしまうのは、小さくふっくらとした唇。引き寄せられるように自身の唇を近づけていき、あと数センチで唇が重なるというところで姫乃の「ん……」という声が聞こえてきて我に返る。
僕は、何をしようとしていたんだ?
そんな自己嫌悪に陥っていると、姫乃の瞼が半分ほど持ち上がった。
「……おはよぉ」
しょぼしょぼと瞬きをして、まだ眠たそうな声でそう言った姫乃が可愛すぎて、思わず苦笑してしまってから「おはよう」と返す。キスしそうだったことがバレていないか、そんな心配で心臓はバクバクだった。
次の瞬間、寝ぼけ眼の姫乃が両手で僕の頬を挟んで胸に抱き寄せた。
「…………っ!?」
温かいし柔らかくて気持ちいいしいい匂いするし…………とにかく早く抜け出さないと僕の理性が死ぬ。そう思ってもがけばもがくほど、僕を抱きしめる腕に力が込められる。そしてその度に柔らかい感触が顔に押し付けられるわけで、早く目覚めて欲しかった。
だけどその願いも虚しく、姫乃はまた穏やかな寝息を立て始めてしまった。どうやら僕のことを抱き枕か何かだと勘違いしているらしい。そういえば姫乃の部屋に大きなぬいぐるみがあったなあ。
「ちょっ、姫! 起きて!」
理性が死ぬ前に脱出しないと。そう思って声を出すんだけど、がっちりホールドされた状態ではくぐもった声しか出てこない。それでも暫く続けているうちに姫乃には何とか伝わったようで、「んぅ…………環くん?」という声が聞こえてきた。やっとお目覚めのようだ、そう思った途端、「ふぇっ!?」という叫び声も聞こえてきた。あ、状況を把握したんだな、そう理解したと同時に顔面からソファに突っ込むことになった。姫乃が急に飛び退いただけなんだけど、気まずいな。
「わっ! な、何で……?」
「ぶふっ……」
「あ、ごめん」
顔を上げると、目の前には服に乱れがないかを確認している姫乃がいた。誓って何もしていない、というか被害者は僕なんだけど、とりあえず弁明するとしようか。
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「……姫乃が僕を抱き寄せたんだよ」
「うぅ……何かそんな記憶がある」
事情を説明すると、顔を真っ赤にした姫乃がソファの上で足をバタバタさせた。僕としてもあの感触を忘れるために頭を壁に打ちつけたいところだけど、姫乃に心配をかけるわけにはいかない。考えた結果、煩悩をはらうために頭の中で元素を唱え続けることにした。すいへーりーべーぼくのふね…………。
「と、とにかくごめんなさいっ」
「いや、僕の方こそ……すぐどけなくてごめん」
何というか、柔らかくて気持ちよくて抜け出したくなかったんです。そんな正直なこと言えないよなぁ、なんて考えていると、姫乃から「うぅ…………」という声が聞こえてきた。何事かと姫乃の方を見ると、突然胸をぽこぽこと叩かれた。痛くはなかったけれど、僕にとってはそのあとの言葉の方に全意識を持っていかれた。
「変態! すけべ! えっち!」
「………………聞こえてた?」
「ばかばかばかぁ!」
頑張って元素を唱え続けていたというのに、煩悩がダダ漏れになっていたようだ。あ、終わったな。そう悟るのに時間はかからなかった。とりあえず足りなかったようなのでもう1度、今度はちゃんと復習しておこう。
水素 ヘリウム リチウム ベリリウム ホウ素 炭素 窒素 酸素 フッ素 ネオン ナトリウム マグネシウム アルミニウム ケイ素 リン 硫黄 塩素 アルゴン カリウム カルシウム…………
数分くらい叩き続けていただろうか、姫乃が急に叩くのをやめて、僕に抱きついてきた。態度の急変に面食らってしまう。
「あの……姫乃さん?」
「ぎゅってして」
「どうしてですか?」
「してくれないと許さな──」
「仰せのままに」
そんな風に脅されてしまえば逆らうという選択肢はなくなる。僕は姫乃を抱き上げて僕の上に座らせた。そのまま姫乃のお腹に手を回し優しく力を込めると、姫乃は「えへへ……」と小さく含羞んだ。その笑顔は、ずるい。
どれくらい寝てしまっていたのか、そう思って時計を確認して頭が真っ白になった。帰ってきたのが午後4時頃だったはず。それに対して今の時間は午後7時半、家に帰ってから色々あったことを含めても、2時間近く眠っていたことになる。それに今から夕飯の準備をしても明らかに8時をすぎてしまうだろう。
「あの、姫……」
「んー?」
幸せそうな笑顔が眩しい。きっと僕が作る料理を楽しみにしてくれていたんだろうな。そう思うと非常に申し訳なくなるけれど、事情が事情なので許してください。
「夕飯なんだけど、ピザでも頼もうか」
一昨日くらいにピザ屋のチラシが届いていたはず。そう思って提案すると、一瞬だけ姫乃の顔が曇った気がした。でもすぐに時計を見て納得したのか、「これはしょうがないね」と答えてくれた。
姫乃、ごめん。明日は最高のおもてなしを用意するよ。チラシを取り出してそこに書かれた番号に電話をかけながら、僕はそう反省した。
環くんのなけなしの理性、まだ残っております。
元素が読みづらかったのでスペースを設けました。
というか覚え方ってすいへーりーべーに限らないですよね。僕はそれで覚えたんですが、皆さんの覚え方ってどんなのですか?