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ピュグマリオンの匣庭  作者: 勿忘草
3/10

◆2◆

 今日もマリオンはなかなか来ない。

 とっくに帰ってきているはずだけど、私のところへ来るまでは時間がかかるの。

 私はひとり、お部屋でマリオンを待っているのよ。


 このお屋敷には、私以外の子供はいないのかしら? このお屋敷では大人しか見たことがない。私がこの前までいたところは子供しかいなかったから、子供が一人もないのはちょっとだけ寂しいわ。

 私はテーブルの上のジュエリーケースを開けてみた。私でも名前を知っているような宝石のアクセサリーが詰まってる。これがかわりばんこに私を彩っていくの。

 バトラーたちによるトワレット(人前に出るための身支度)が終わった後、きらきらした私はマリオンを待つ。私はマリオンのためだけに用意されたお人形だから。

 お人形としての暮らしのほうが、昔の暮らしよりずっとずっとましだった。

 ああ、マリオン、はやく帰ってこないかしら。


 ――がちゃっ。


「やあ、キャンディ」

「おかえりなさい、マリオン。今日は何して遊ぶ?」


 マリオンが疲れた顔で部屋に入ってきた。ソファに座ってきゅうりのサンドイッチを食べていた私は、にっこり微笑んであげる。するとマリオンは、私の姿を見てぱちんと手を打った。


「素晴らしい。キャンディ、新しいドレスはとても君に似合っているね。パリで人気のデザインを作らせただけあるな」

「ええ、そうでしょう、マリオン。キャンディもこのドレス、とっても気に入ったのよ」


 今回マリオンが作らせた新しいドレスは、白地のレースがいくつも折り重なっているもので、バラの刺繍があちこちにあしらってあった。髪飾りは青い宝石で出来ていて、私の三つ編みを頭の後ろでとぐろを巻くように一つにまとめてある。

 マリオンは蝶ネクタイを取ると、白いシャツのボタンを二つくらい外した。


「ああ、それに比べてこの服は窮屈すぎる。まったく、何が楽しくて自分の首を絞めなきゃいけないんだ。中身が飛び出なきゃいいんだが」


 そうぼやきながら、私の隣に座って、自分の頭をくしゃくしゃかいた。


「先代のお館様はいつも正装をしておられたが、わたしには信じられないよ。こんな格好じゃとても寝られやしない」

「おやかたさま……」

「ああ、わたしの先代の領主だ。わたしの父上ということだよ」


 そう言うと、マリオンもきゅうりのサンドイッチをほおばった。

 ええマリオン、知っているわ。

 そうね、父上。パパ。私の、パパは……。

 私はサンドイッチを持ったまま、ちょっと考え込む。


 工場がいっぱいできて、私のパパは仕事がなくなった。

 仕事がなくなると、パパは仕事を探してあんまり帰ってこなくなった。

 時々帰ってくるパパはいつも酒くさかった。


「キャンディ、今日は何をする?」


 マリオンが私の顔を覗き込んだ。今日は何をして遊ぶ? って友達に聞く子供みたいで、私はちょっとおかしくなってしまう。


「そうね、マリオンは何をしたいの?」

「わたしは……そうだな……ダンスはどうだろう。わたしと踊るかい、リトルレディ?」

「いいえ、ダンスは嫌よ。だってサンドイッチを食べたばかりなんですもの。せっかく食べたサンドイッチが出ていっちゃうわ」

「それもそうだ。うぅん、それではどうしようかな」


 マリオンが顎に手を当てて考えている。

 ダンスが嫌っていうよりも、私はダンスが躍れないの。あれは貴族のお遊びだから、私みたいなスラム出身の貧乏人にできるものではないのよ。

 今、私を丸ごと誰かに売ったら、いくらするのかしら。

 ドレスと、髪飾りと……私そのものって、この二つより安いのよ。ううん、たぶんどっちか一つと比べたとしても、私のほうが安いんだわ。


 そのうちパパはずっと帰ってこなくなった。

 だからママと私が働きながら三人の妹たちのお世話をした。

 一番上の妹が大きくなって彼女も工場で働き始めた。


「そうだ、キャンディ、ノアの方舟を使って遊ぼう」


 そう言うと、マリオンは立ち上がった。チェストから木のおうちみたいな方舟と動物たちのおもちゃが入った箱を出してきて、床に置いた。

 私もソファから立ち上がって、マリオンと向かい合って座る。ドレスがチューリップを反対にして置いたみたいに、じゅうたんの上に広がった。

 マリオンが動物たちのおもちゃを箱から出していく。


 一番上の妹は機械に食べられて半分くらいになっちゃった。

 二番目の妹はおじさんと手をつないでどっか行っちゃった。

 三番目の妹は町にいる動物と遊んでてエサになっちゃった。

 私とママは工場でずっと働いていた。


「まずはブタさんから乗り込むのよ。とっても可愛いから」


 私は方舟の中に、二匹のブタを入れる。マリオンがその様子を静かに見守っている。次はどの動物を助けようかしら。


「次は、ええと、ウシさんにするわ。ミルクティーが飲めなくなったら、私困るもの」

「バターつきのパンもね」


 マリオンがささやくように言った。私はマジックでも見たみたいに驚いて見せる。


「そうね。本当にそうだわ。じゃあ、パンを作るために必要な子も助けなくちゃ」

「それならニワトリだよ。ほら」

「ええ、ありがとうマリオン」


 私はニワトリを方舟の中に入れる。このゲームって、みんな助けなくちゃいけないのかしら? おもちゃはたくさんある。ごちゃごちゃ入れれば全部入るだろうけど、みんなが立つように入れるなら、全員は入らないんじゃないかしら。

 きっと誰かが助からないのよ。

 みんなが助かるわけじゃないのよ。


 あるときママは病気になった。

 薬を買おうと思ったけど、私の住んでいる町じゃまともな薬がなかった。

 お金持ちの人たちの町から盗もうと思った。

 困っていたら、町の子供の一人が助けてくれた。

 その子と二人で何日もかかって薬を盗み出した。

 帰ってきたらママは家からいなくなっていた。

 ベッドの上にかたまりが転がっていた。

 それを何人かの痩せた少年たちが食べていた。

 私はひとりぼっちになった。

 私は工場で働くのをやめた。

 私は子供がたくさんいるところに行った。

 薬を一緒に盗み出した子の仲間に入れてもらった。

 私たちは大人を襲って、お金や服を手に入れた。

 時々そのまま捕まって帰ってこなくなったり、売り物になる子もいた。


「キャンディ、どうしたんだい」


 動かなくなった私を見て、マリオンが私の肩にそっと触れた。

 私はママのベッドにいたかたまりを思い出しながら、マリオンに笑いかけてあげる。


「マリオン、私、ケーキが食べたいわ」

「わかった。アロルドを呼ぼう」


 マリオンは扉の方まで歩いていくと、ノックをした。アロルドの返事が聞こえる。そのまま一言二言命じると、マリオンは私のところに戻ってきた。


「ついでにティータイムの用意をするよう言っておいたよ」


 穏やかな声で言うけれど、相変わらず顔は彫刻みたいに何の感情も表さない。

 どうやって育ったらこうなってしまうのかしら。

 マリオンは私に昔のことを話してくれない。

 私もマリオンに昔のことを聞かないでいる。


 人形のキャンディはマリオンの昔の親友。だから、キャンディは、マリオンの子供の時の話は当然知っている。

 なら、今そのキャンディである私も、マリオンの子供の時の話は当然知っているはず。

 私がマリオンに昔の話を聞くのは、キャンディになる魔法を解く行いなの。


 私がノアの方舟に動物たちを並べていると、それをマリオンが頬杖をついて見ていた。


「……やっぱり大好きなものはずっと閉じ込めておくのがいい……」


 マリオンはひとり言のようにつぶやいた。


「もう燃やされるなんてたくさんだ」


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