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残酷表現は「残酷な情景を連想する表現」にとどまっています。
また、一部些細ではありますが暴力表現がございます。
初出……大学の文芸部誌
こちらに修正を加えた改訂版です。
評価・ご感想・ブックマークなどして頂ければ幸いです。
燭台の炎が、部屋の中の一部を暗いオレンジに染めている。
分厚いカーテンの閉め切られた部屋はちょっと蒸し暑い。
石でできた白い暖炉の上にはグラス・ケースが乗っていて、中にはミニチュアの柱時計が入れられていた。毎日毎日飽きもせず、チクタクチクタク、時を刻んでいる。
ねえ、時計さん。毎日同じことばかりやってて、嫌にならないの?
私だったら腕を毎日ぐるぐる回しているだけなんてごめんだわ。ケースの中に入れられるのは別にかまいやしないのよ、私もそうだから。
私はソファからぱっと立ち上がって、部屋の奥の方へ行く。
壁に取り付けられた大きな鏡の隣には、天井にまで届く天蓋つきベッド。フリルのついたカーテンが引いてあって、中を誰にも見せないようにしているみたい。でも、私知ってるのよ。あの中にはこんもりしたベッドと、女の子の人形たちがひしめいているの。
私はカーテンをシャッと引いた。ほうら、やっぱり。みいつけた。一人ひとり、名前のついた人形たち。アンにエリザにビビ、シルビアにクロエ。
ねえ、あなたたち、マリオンはいつ帰ってくると思う?
私はくるっとふりむいた。テーブルの方へ行って、バトラー(執事)が置いていった白地にピンクのバラと緑のツタが描かれたティーポットを手に取った。これ、ちょっと重いのよ。でも、私は紅茶を注ぐときの音が聞きたいから、がんばるの。とぽぽぽぽ、湯気が上がる。
ミルクと砂糖をたっぷり入れた紅茶を飲むと、少しだけバラの香りがした。
あつうい紅茶もおいしいけれど、私はちょっとぬるいくらいの方が好き。マリオンもそうなのよ。
私はティーカップをそっとテーブルに置いて、私の体よりうんと大きいベッドに身を沈ませる。ベッドを埋めつくす人形たちを壊さないように気を付けて。
茶色の縮れ毛で、ブルーの瞳のアンは、布でできていて柔らかいけれど、ふわふわの金髪で白いヘッドドレスをつけたエリザは脆い蝋で出来ているから、壊したら大変だわ。
ああ、それにしても、マリオンはまだかしら?
私はドアの方をちらっと見た。チョコレートみたいな色の扉に、金色のドアノブ。どっちもぴかぴかに磨いてある。
まったく、もう! 今日はマリオン、遅すぎやしないかしら? キャンディ、待ちくたびれちゃうわ。
私は紅茶にもう一個角砂糖を入れようと思って、ガラスでできた角砂糖入れに手を伸ばした。
――がちゃっ。
「やあ、キャンディ」
紅茶が冷たくなってきた頃、扉が開いて、マリオンの声がした。やっと帰ってきたんだわ。私はむくれてみてもよかったんだけど、今日はそうしたくない気分だったから、飛び起きて、にこっと笑ってあげるの。
「おかえりなさい、マリオン。今日は何して遊ぶ?」
私とマリオンの時間は、必ずこのやりとりから始まる。それが決まりなの。大切な大切なお約束。
マリオンが扉の鍵を閉めて、静かにお部屋に入ってくる。足音はしない。だって、ぶどう酒みたいな色のじゅうたんがとってもふわふわで、足が沈みこんじゃうから。
「今日は……そうだな、キャンディが決めていいよ」
「ほんと? 嬉しいわ。キャンディね、今日もマリオンとしたい遊びがたくさんあるの。ああ、どれにしようかしら!」
マリオンは蝶ネクタイを取ってから、ベッドに腰かけた。私はぬいぐるみの山の中から、時間をかけて、ボードとダイスを取り出した。最近流行ってるのよ。雑誌に書いてあったの。
「今日はボードゲームをして遊びましょう、マリオン」
「いいとも。でもその前に、リトルレディ、君のバラと真珠の髪飾りを直してもいいかな」
「ええ、いいわ。早くしてね」
私はマリオンに背中を向けた。マリオンの手が私の髪に触れる。ちょっとだけ頭皮に触れたマリオンの指は、陶器みたいに冷たい。
「ああ、キャンディの髪はつやつやだね。シルクみたいだ。この髪飾りがよく似合うよ」
私の髪の毛を引っ張らないように注意しながら、マリオンが髪飾りを付け直してくれた。
「ふふ、ありがとう、マリオン」
「わたしがしたかっただけだよ。さあ、ボードゲームをしようか」
マリオンは人間じゃないみたいに見える。ガラス玉みたいなエメラルドグリーンの目と、短い黄金の髪。時々触れる肌はいつもヒンヤリしていて、笑顔もどこか作り物。
でも、マリオンがこんなにしゃべってくれるのは、キャンディにだけなんだって。普段はむっつりしてて、笑顔なんかフットマン(使用人)の誰にも見せないんだって。だから私は、マリオンの特別なんだって。
それにね、マリオンのことを『マリオン』って呼べるのは、キャンディだけなのよ。
他のみんなはマリオンのこと、『おやかたさま』とか『ご主人様』って呼ぶわ。マリオンはお屋敷の持ち主なんですって。いつもお仕事ばかりしていて、お屋敷をよく留守にしているんだけど、お仕事から帰ってきたときや、どこにも行かない日なんかは、よく私のところに来るの。
いいでしょ?
キャンディと遊ぼうって決めたとき、マリオンは一番にキャンディに会いに来て、キャンディとお茶会をしたり、ヒミツのお話をしたり、ご本を読んだりするの。
私はマリオンの選んだ服を着て、マリオンが望むとおりのお友達ごっこをするのよ。マリオンのお人形ごっこは、いつもこの部屋でだけ。お屋敷の外の人はだあれも知らないの。
キャンディは、この部屋から出ない。
ここにいればお腹いっぱいお菓子が食べられる。ここにいればお腹いっぱいの愛を注いでもらえる。ここにいれば温かいお部屋とお洋服がもらえる。あのとき望んでいたものがぜぇんぶ手に入るの。
マリオンはキャンディのことが大好きよ。
キャンディもマリオンのことが大好きよ。
「キャンディ、降参だ。君はとっても強いんだね」
マリオンが大げさに肩をすくめた。私、マリオンが手加減してるの、知ってるのよ。マリオンったら私を喜ばせたくて、わざとこういうことをするんだわ。
でも、私も大げさに喜んであげるの。マリオンがわざと負けてるって気づいてるけど、わざと大喜びしてあげるの。マリオンもきっと、私がわざと大喜びしていることに気づいてるけど、わざと気づかないふりをするの。それがマリオンの望んでいることなの。マリオンが望んでいることが私のやるべきことなの。
「キャンディ、マリオンに勝てて嬉しいわ。それにこのゲーム、とっても楽しい」
「そうだね、わたしはキャンディとする遊びならなんだって楽しいよ」
「ええ、そうね。キャンディもそうよ。マリオンはお友達ですもの」
マリオンはベッドに寝そべって、隣でドレスをふんわり花びらみたいに広げて座っている私を、じっと見つめた。
「キャンディ、君は本当に完璧だ。君は何よりも美しい。世界で一番、花とドレスが似合う。君が来てからというもの、わたしはずっと、君に今度は何を着せようか――そればかり考えてしまうんだ」
「嬉しいわ、マリオン。キャンディにたくさんお洋服を着せてくれるのね。キャンディは、リボンも、フリルも、シルクも、宝石も、真珠も、サンゴの飾りも、みんな大好きよ」
私は、今来ているお洋服が、町で働く大人たちの給料何か月ぶんになるかは知らなかった。でもきっと、私が今でもあそこに居続けたら、一生をかけても稼げなかったお金だってことくらいはわかっていた。
ドレスはぽんぽん買えるものじゃない。子供だって知ってるわ。一着買ったら、何度も仕立て直して着るの。それくらい、ドレスを買うのにはお金がかかるのよ。
「今度仕立てさせるドレスはね、パリで今一番人気のあるデザインなんだ。君ならパリにいる誰よりも愛らしく着こなすだろう。わたしは楽しみでたまらないよ」
マリオンはにこりともせず、詩を暗唱するように言った。
「まあ、なんてすてきなのかしら。私も楽しみだわ」
私はゆっくりとカップを傾けた。マリオンがその様子を相変わらずじっと見ていた。
『私』はマリオンのお人形。
鍵のかけられたシアターで、ビスク・ドールを演じるの。
完成済み過去作品です。
章ごとに分けて定期的にアップしています。
明言はしていませんが、1880年代のイギリスのイメージです。