七節 脱出
その時だった――。
「――――――ッ⁈」
「きゃっ!」
何かが崩れ落ちる様な音が辺りに響く。同時に僕の目の前を橙色を帯びた火の粉が横切った。
その音と火の粉が何を意味しているのか、理解するのに大分時間が掛かった。しかし、状況を把握した途端、血の気が引くのを感じる。
先程の出来事に対してあまりにも必死だった所為で、この家が燃えている事をすっかり忘れていた。それが原因で、家の骨組みや柱等が黒ずんだ瓦礫と化し、轟音を響かせながら崩れ始めている事も。
音のした方に目を向けてみると、やはりそこには大きな木片が紅い炎を灯しながら転がっていた。その周りを多量の火の粉が宙に舞い、パキパキと火の燃える音が耳に届く。
このままではまずい。いつしか家を支える物が全て燃え尽きて、三人纏めて下敷きになってしまう。
「まずい、早く逃げないと……」
他の二人に掛けた筈のこの言葉は、再び響いた瓦礫の落ちる轟音と、序でに僕等の周りに上がった土埃によって視界と共に遮られてしまった。
僕は日野子を抱き寄せ、その小さな身を護ろうと天井に背中を向ける。
「………………」
かなり長く響いた轟音が止んだ。僕は瞑っていた目を開け、日野子を腕から解放する。そして、とりあえず状況を確認しようと辺りを見回してみるが……。
「……閉じ込められちゃったね」
「……くそっ」
あまりの苛立ちに、頭を強く掻きむしった。
僕等の周りには、先程落ちてきたのであろう瓦礫が、僕等を閉じ込めるかの様に囲んでいた。瓦礫は、どれも立派に太い骨組みばかりで、僕等三人の力では持ち上がらない様な物だった。
今の瓦礫の落下でチャックと逸れてしまったみたいだし、日野子は疲労困憊だろうし、頼れるのは己の頭だけ、という事か。
「超えていこうにも、まだ火が付いてるから危ないしな……。一体、どうすれば良いのか……」
「シルク、ちょっと退がってて」
「……え? 退がるって言っても何故――」
訊き終わるより先に、日野子の身体から魔力の強い反応を感知した。それと同時に彼女はその右手を前に向け、ほんのりと赤光を纏い始める。……何をしようとしているのか、大体察しがついてしまった。
「止めておけ、日野子。さっき魔力を暴走させたばかりじゃないか。ただでさえ、その多くを消費しているのに、これ以上使ったら――」
「いいの。これは私が決めた事だから。それに、この事態を作ったのは私だから、最後くらいはけじめをつけないと」
日野子がそう言うと同時に、赤光を灯していた右手から小さな火球が生成される。火球は徐々に魔力を蓄積し、その直径を大きくしていく。
やがて、バスケットボール位の大きさになった所で、彼女は目の色を変えた。
「…………いけっ!」
彼女の叫びと共に、火球が前方へと真っ直ぐに放たれ、そのまま瓦礫の壁に着弾する。すると、大きな爆発音を響かせると同時に、着弾点に黒煙が上がった。
黒煙が晴れた所で目を凝らすと、瓦礫の壁は見事に消し炭となり、人が通れる範囲の道が作られていた。
「……凄い、よくやったぞ! 日野――」
途端、目の前の日野子がふらりと体勢を崩し、パタリと呆気なく倒れた。どうやら魔力の使い過ぎで力尽きたらしい。
「だ、大丈夫か?」
「え、えへへへへ……。ちょっと無理し過ぎちゃったみたい。もう身体に力入らなくて、立てないや」
黒ずんだフローリングで倒れたまま起き上がれない彼女は、そのまま力無く笑った。
「……全くもう、お前って奴は」
僕は呆れ気味で溜め息を吐く。しかし、その時に若干口角が上がってしまったのを感じた。
でもまぁ、無理の無い事だ。あんな膨大な魔力を抑えようと苦しんでたんだし。魔力量や体力的にだけでなく、精神的にもダメージが蓄積されているだろう。
そう考えると、彼女は本当に芯の強い女性だなと実感してしまう。特にさっきの笑顔を見れば尚更だ。
「とりあえず僕の肩を貸すよ。日野子、これで行けるかい?」
「うん、頑張る。ありがとね」
僕は日野子に寄り添うと、彼女が肩に捕まりやすくなる様にその場に屈んだ。そして、彼女が僕の肩に捕まった事を確認すると、彼女の肩を支え、ゆっくりと立ち上がった。
そのまま、日野子が作ってくれた道を使って瓦礫の檻から脱出する。
「マスター、御無事で何よりです」
瓦礫の檻から出た所でチャックが待機していた。
「あぁ、また心配を掛けてしまったね」
「いえいえ、お気に為さらず。それはともかく、瓦礫の落下による影響で、逃げ道が塞がれています。先程使用した扉も、瓦礫が塞いでしまっていますし」
チャックの言う通りだった。僕がリビングに入る時に使っていた扉の前に瓦礫が山の様に積まれていた。多分、落下した時に重なってしまったのだろう。とりあえず、もうあの扉は使えない。
「そうか……。そうとなると……」
他に脱出口が無いか辺りを見回した所、僕の目に大きな窓が止まった。
その向こうには緑色の草が生い茂るベランダが広がっていた。見た所、火も燃え移ってないし、付近に瓦礫が散乱している訳でもない。ここからなら脱出出来るかも知れない。
「チャック、窓から外に出よう。ここからなら、無事脱出出来るかも知れない」
「名案だと思います、マスター。リスクは十分高いですが、やるしかないでしょう。可能な限り、安全なルートに誘導致します」
「了解、頼む」
僕の短い返事を合図に、チャックは速くも遅くも無い速度で進み始めた。火柱を上げる瓦礫の山を避ける様に、ジグザグとスムーズに進んでいく。その道中で、何度目になるかも解らない轟音が空間中に響いた。
その上、今まで薄々としか感じなかった灼熱が、じわじわと肌に染み付く様になっていた。
身体中が熱い……。肌が焼け付く様に、痛い。
「ぐ……ッ!」
「大丈夫ですか? マスター」
「あ、あぁ。何とか、な」
「まずいですね。どうやら加護の効果が薄れてきたようです。効果が切れるのも時間の問題でしょう」
「やっぱり、か」
何となく察しは付いていた。〝精霊の加護〟を付与してもらってから大分時間が経っているし、そろそろ切れてもおかしくないとは感じていた。
「とりあえず、先を急ぎましょう。このままではマスターの身が………、ッ!」
……突然の事だった。
チャックが突然、何かに感づき、冷静だった表情を一変させた。一体何があったと言うのか。
「どうしたんだ? チャ――」
「マスター! 今すぐこの場から離れて下さい!」
僕の掛けた言葉をチャックの叫びが搔き消す。
しかし、その叫びが、目の前に焼き付いた最悪の状況を物語っていた。いや、目の前、というには大分上の方を見ていたと思う。
真上から――。
瓦礫が落ちてきていたのだ。
「――――――っ!」
目を疑った。
突然の出来事だった上に、灼熱の所為で頭が回らず、脚が動かなかった。もう、何をしようと手遅れだろう。
だけど、だけどせめて――。
せめて日野子だけは、何があっても護らなければ……!
「頼む…………ッ!」
空白の時間は、僅か3秒。
咄嗟の判断で、僕は身体中に魔力を巡らせた。
そして、もうすぐで僕達が瓦礫に押し潰される、という時だった。
「……………!」
僕の魔力によって呼び起こされた強い白光が、金属音の様な耳を劈く高音を響かせて、落ちてきた瓦礫を跡形も無く吹き飛ばした。
僕は目の前の光景に、驚きを隠せなかった。
しかし、目の前の白光が精霊である事だけは確認出来る。その精霊の姿も。
目の前の精霊は、明らかにチャックや騎士の精霊とは別物だった。何というか、神々しさや感じる魔力の膨大さが桁違いなのだ。
長い髪を下ろした女性の様な姿をしており、何処か温かくて、懐かしい感じがした。いや、女性と言うよりは、〝女神〟と称した方が近いのかもしれない。
その身体には、僕の中の女神のイメージ通り、布地の様な物を纏っていた。
彼女は一体何なのか。彼女もまた、チャックや〝騎士の精霊〟の様な精霊で間違いないのだろうか。
「あ、貴方様は……大精霊ヴェルシャール様ですか⁈ どうして貴方様が……!」
チャックが珍しく動揺していた。こんなに彼が必死になる所は初めて見た。想像すらつかない。
ヴェルシャール……。聞いた事のない名前だった。精霊である事は正しかったが、〝大精霊〟と言っていたな。僕にはよく解らないが、とにかく凄い存在である事は確かだろう。
目の前の大精霊は、僕やチャックの姿を見ると、優しく、見惚れてしまいそうな微笑みを浮かべ、白く眩い靄の様な光に包まれながら、霧の如くうっすらと消えていってしまった。
「い、今のは一体……」
大精霊が消えていくのを見届けていた僕だったが、さっきまでの状況をまるで理解出来ず、ただ呆然としていた。
しかし、現在置かれている状況が脳裏に蘇り、やがてハッとする。
「……今のうちだ! 急いで外へ!」
何があったかはよく解らないが、危機を脱したのは確かだった。このチャンスを無駄にする訳にはいかない。
慌てて手が小刻みに震えながらも、目の前の窓のロックを解錠し、思いっきり横に開く。そして、緑が映える草地に向かって飛び込んだ。
その後、間も無く――。
家の方から今までで一番の轟音が響いた。
バキバキと木が折れる音、炎の燃え滾る音、そして一連の終わりを告げるかの様な、家が崩れ落ちるのと共に響いた轟音。次々と響いた音から察するに、あと数秒でも遅ければ、命は助からなかったと思う。
間一髪、何とか全員脱出に成功したようだ。
「助かった……の?」
「……あぁ、間一髪だったよ」
「……やりましたね、マスター。脱出成功です」
「…………はぁ」
チャックの言葉を、僕は無意識に、今までの一連の疲れを吐き出すかの様な、深い溜め息で返してしまった。
◆◇
その後、燃え尽きた一軒家の前が、歓喜と安堵の声に包まれたのは、言うまでもない。日野子は無事、お母さんに保護され、お互い再会を喜んでいた。
二人はこの後暫くは、近くの祖父母の家で生活するそうだ。幸い、火災保険に入っていたそうなので、生活に不備が生じる訳でも無さそうだ。
そういえば、日野子のお父さんはどうしたのだろうか。家の中にも、あの人混みの中にも居なかったけれど。今度暇な時にでも、日野子に訊いてみる事にしよう。
「……マスター」
「ん? どうしたんだい、チャック」
その帰り道、横で浮遊していたチャックは不意に口を開いた。
「私は、魔力に目覚めたばかりの貴方様に、魔力に対する偏見のある世界を貴方様なら変える事が出来る、そうお伝えしましたね」
「……あぁ、もちろん覚えてるよ。でも、それがどうしたの?」
「実を言うと、貴方様と出会ったばかりの頃は、貴方様の事が全く解らず、今後の事に関して不安を抱いていました。『この方に、〝精霊〟の魔力者としての役目を果たせるのだろうか』、と」
「……まぁ、無理も無いね。あんなみっともなく突っかかったんだから」
「しかし、今回の一連で、私の発言は間違っていなかったと、そう実感しました」
「……え?」
僕はチャックと目が合う。彼の顔には、かつて僕に見せたその優しい微笑みを浮かべていた。
「本当に貴方様の力ならば、世界を変える事が出来ると、そう確信出来ました。私は、一生貴方様の元に、仕えさせて頂きます」
「一生は困るけど……。でも、今回の件も、チャックが居てくれたから成功した事だし……」
そうだ。今回の件で、チャックには本当にお世話になった。彼がサポートしてくれたからこそ、日野子を無事救出させる事が出来たのだ。
だから、多分その〝世界を変える〟という目標も、彼無しでは達成出来ない。これからも、確実に彼に頼る事になるだろう。
そう考えながら、僕は次の言葉を彼に伝える。
「……だから、改めましてこれから宜しくね。チャック」
今回の火事の件をきっかけに、魔力者としての使命を果たす事を改めて誓った僕は、これから頼り甲斐のある掛け替えのない相棒になるであろうチャックと並んで、星々が瞬く静かな夜道を歩き続けた。
御精読、有難うございます!
これで物語が一区切り付いた、と言える様になりました。シルク君やチャックを始めとする、彼等の勇気の物語を、是非とも最後までお楽しみ下さい。
今回は文が長くてすみません……。付け足そう、付け足そうと考えてたら、予想以上に長くなってしまいました。深く反省。
次回から様々な人物が新たに登場します。敵役の人も顔を出す、かも。