二十二節 決断
「…………、うーん……」
「……お、目を覚ましたようだな」
漸く妖夢が目を覚ました。彼女が眠りについてから、およそ三十分程の時間が経っていた。外の夕焼けも、気付けば消え掛けていた。
「……すみません、ねてしまっていたようですね。ところで、ここはどこですか?」
「僕の部屋だけど」
「…………えっ⁈」
ベッドから飛び降りるかの勢いで、妖夢は上半身を起こした。……仕方がないだろう。あのまま放置する訳にはいかないし、妹のベッドを勝手に使ったら逆鱗に触れる事になるんだから。
「……まさか、わたしがねていることをいいことに、わたしの体をもてあそんでいたんですね⁈ なんてひわいなかたなんですか、〝精霊〟の魔力者さんは!」
「まだ純粋であるはずの子供が〝卑猥〟という言葉を覚えるんじゃない。そして、変な勘違いはしないでほしい。僕は何もやってない」
「……信用できません。そういう趣味であることなんて、おみとおしなんですからねっ」
「どういう趣味だよ」
実際、彼女の身を犯してなんかいない。この三十分間、この状況を打破する方法を考えたり、コイツをここに運んだりと、かなり多忙だったのだ。
そんな中で少女の身体を弄ぶなど、出来る筈もない。というか、まずそう言った趣味もない。
「……そういえば、妖夢」
「なんですか、へんたいさん」
「まだ疑ってんのかお前は。真面目な質問なんだけどさ……」
「……なんですか?」
……これに関しては、名を名乗ってきた時からずっと頭から離れなかった事だった。その問いを投げ掛ける事が出来るタイミングは、どうやら今しかないようだ。
「……君は何故〝豪腕〟についたの?」
「なぜって……」
どうしてそんな事を訊くんですか、と妖夢は首を傾げる。その呆けた表情から察するに、惚けている訳では無さそうだ。
「いや、だって君はまだ幼いのに、あんな組織の言いなりになって、魔力を覚醒させて……。何が君をそこまで動かしているのかな、って」
「……わたしを子どもあつかいするのは、やめてください」
呆れ顔でわざとらしく溜め息を吐く妖夢。とろんとしたその透き通った瞳は、何故か先程より大人びて見えた。
「……わたし、この魔力に目ざめたとき、家族や友だちに見すてられたんです。『とてもあぶない人だ』とか、『あなたみたいなかいぶつ、わたしの子どもじゃない』とか言われて」
「…………」
「だいたい一年前ぐらい、ちょうど八才のときだったと思います。……そんな顔しないでくださいよ。悲しくなるじゃないですか」
「……ごめん」
無意識で顔に出ていたようだ。なんだか申し訳ない。
ただ、さっきの言葉を思い返すだけで胸が締め付けられ、何処かで苛立ちを感じる。
……こんなにも小さな少女が、望んでもないのに勝手に目覚めた魔力が原因で、家族にまで差別を受けたというのか。
「それからずっと、だれにもたよれない一日をすごしてきました。いちおう、おばあちゃんがわたしを引き取ってくれたのですが、あまりめいわくをかけるわけにもいかなくて……。その時だったと思います、主さまと出会ったのは」
妖夢が言うには、〝豪腕〟は彼女の魔力の噂を聞きつけて、突然彼女の元へ来たそうだ。魔力が原因によって、偏見や差別を受けてきた妖夢を〝救済する〟という形で、組織への勧誘を勧めてきたそうだ。
「その時の主さまは、とてもこわそうな見た目でしたが、とても優しい言葉をかけてくれたんです。『きみは何も悪くない』とか、『いっしょに、魔力者が安全にくらせるような世の中を作っていこう』とか。あの方の言葉にひかれ、わたしは〝豪腕〟に入りました」
「そうだった、のか」
彼女にとっては、これが救いなのかもしれない。今まで自分の存在が認められなかった世の中で、生きていく術を見出す事が出来たのなら、妖夢にとってはこれ以上にない〝救済〟になるのかもしれない。
「それから今まで、わたしは主さまの命れいに、たくさんしたがってきました。そしきのほかの人たちも、とても親切な人ばかりでしたし、それに、わたしたち魔力者のための世界を作るのが、とっても楽しかったんです。……こんなわたしでも、だれかの役に立つことができるんだな、って」
妖夢は笑顔でそう語った。言葉だけ聞けば、本当に救われたんだなと安堵する所だったが、残念ながらそうもいかなかった。
何故なら彼女の顔には、かつて響から見られた様な表情を浮かべていたからだ。
彼女が抱える心情。
まだ、何か裏に隠しているのかもしれない。
「……その命令って、例えばどんな事?」
「知りたいですか?」
僕の問いに、妖夢はその眼差しを此方に向ける。これ以上は踏み入れてはいけない話題だ、と警告する様な、そんな目だった。
しかし、迷う事無く頷いた。
彼女の心情を知りたい、という一心で。
すると彼女は、「わかりました」と溜め息混じりに言葉を返す。
「……まぁ、しいて言うなら、わたしがさっき、あなたにしようとしたことです」
「僕にした事って、眠らせたりとか?」
「そんな感じです。主さまに指示された場所にむかい、魔力を使って、そこにいる人たちをねむらせるんです」
「眠らせて、それで?」
「……ほかの魔力者さんに、殺してもらうんです」
「⁈」
……聞き間違いだろうか。
今、この子は『殺してもらう』と言った気がしたのだが。
「……それって」
「えぇ、わたしはウソなどついていません。魔力者が安全にくらせる世界を作るには、そのジャマものをはいじょするほかありませんから」
「――――ッ」
……何の感情も持たない表情で、妖夢はそう淡々と語った。
まるで当然の事かの様に、日常的な会話をするかの様に、平然と。その態度に、僕は血の気が引いていくのを感じた。
確かにまだ子供かもしれない。それでも彼女は、雷鬼とか、〝豪腕〟の仲間である事には変わり無かった。その表情と態度、言葉で深く実感した。
ただ、それでも。
彼女の目の中で、僅かだが仄かな光が揺らめいていた。
「……たにんごとのように聞いていると思いますが、あなたも対象なんですよ? 〝精霊〟の魔力者さん」
「…………」
「対象どころか、指名手配はんのようなものですよ。あなたは、わたしたち〝豪腕〟のしゅくてきです。あなたの存在そのものが、わたしたちの計画をくるわせるんです」
妖夢は目を逸らしつつそう言った。
……やはり〝豪腕〟の狙いは僕自身だったか。理由はまだ謎だけれど。
「……殺さないのか?」
「はい、わたしはもうかなりの魔力をしょうひしていますし、ここであなたと戦ったところで、勝てないことぐらいわたしにもわかっていますから」
「…………」
「今回のにんむは失敗に終わったので、今日のところは手をひきますよ。もう質問がないのであれば、わたしはこれで失礼します」
「……待てよ」
僕はそう言って妖夢を引き止める。
無論、まだ話は終わっていなかった。
「……やっぱり、〝豪腕〟のやり方は間違っているよ。こんなんじゃ逆効果だ。人に怒りを植え付けて、余計に偏見されるだけだ。もっと他のやり方があるはずだよ」
「…………はぁ」
呆れた様な小さい溜め息を返された。
「……そりゃあそうですよ。わたしたちはてきどうしですから、意見が合わないことなんて当たり前です」
「…………」
「それに、わたしは少なくともまちがっていないと思っています。というか、これしか方法はないんですよ。魔力者が安全にくらせる世の中を作るには、こうする以外――」
「そんな事、ないよ」
自然と手に力が入る。
彼女の言う事も解らなくはない。だけど、こんなやり方に反対する気持ちにも変わりはない。
「……そんなやり方じゃあ、〝救済〟とは言えない。むしろ、今までの行いに対する〝復讐〟みたいな物じゃないか」
「…………」
「一緒に考えようよ、他の方法を。きっと、誰も傷つかない様な方法が見つか――」
「じゃあどうしろと言うんですかッ!」
突然の怒鳴り声が僕の言葉を遮った。
一瞬誰が発したのか理解出来なかったが、声の主は他でもなかった。
「わたしだって……っ! わたしだってできることならだれも殺したくないんです! たとえ自分の手でやったことでなかったとしても、これ以上人をきずつけるようなことはしたくないんです!」
「――――ッ」
「でも……ッ! それでもこれ以外……思いつかないんですよ……。みんな、わたしたち魔力者のことを差別する。化物だとか、そう勝手にさわいでさける。そんな人たちとわかりあうなんて、そんなの……」
「……やっぱり、人を殺める事に対しては、間違いだと感じてたんだね」
「……うっ、うぅ……」
「全く、嘘を吐くのが下手くそなんだよ。まだ君は幼いんだ。無理に感情を殺さなくても良いのに……」
そう言って、僕は妖夢の頭を撫でる。
その度に、彼女の瞳から大粒の涙が溢れる。
妖夢は、魔力者としてとても辛い道を歩んだ。
周囲に拒絶され、居場所を失い、絶望した。そんな先の見えない迷宮を彷徨う辛さは計り知れない物だろう。
そんな中で漸く見つけた目的も、手を黒く染める物だ。その上、他の選択肢も用意されていない。
それでも彼女は、自分に用意された方法を、最後まで貫き通す事を決意したのだろう。唯一、自分を救ってくれた人の為に。そして何より、自分自身の為に。
彼女を動かしていたのは、そんな覚悟の一心だったのだろう。
「言っただろ? 一緒に方法を考えようって。僕だって、今の状況からは何も思いつかないよ。だけど、きっと、何かしら方法があるはずなんだ。だからさ、一緒に考えようよ」
「……結局は……ノープランじゃないですか」
「そりゃあそうだよ。僕だってまだ魔力に目覚めて間もないわけだし。それでも……」
「でも?」
「……仲間が居るから、きっと大丈夫なんだろうなって、どっかで思っちゃってる。なんだか綺麗事を吐いてるだけなんだけどね」
そう、正に綺麗事だ。
この上なく無責任な綺麗事だ。
それでも、真っ先に頭に浮かんでしまうのは、やはりそんな一言なのだ。
仲間が居るから、一歩を踏み出せる。
仲間が居るから、今の自分に自信が持てる。
それはきっと、妖夢も例外ではない筈だ。
「妖夢もそう思ってるんじゃない? 今のやり方を信じて貫き通してこれたのも、その主さまや他の仲間のお陰だって」
「……かも、ですね」
そう涙を拭う妖夢。
先程までの昂奮はすっかり収まり、どこかすっきりとした様な表情を浮かべていた。
「……とんでもなくお人よしなんですね、〝精霊〟の魔力者さんは。さっきのお話といい、てきであるわたしを助けたことといい」
「うるさいわ。さっきの話に関しては、自分でも言ってて恥ずかしかったし、それにお前を助けたのは、これ以上お前の辛い表情を見るのが苦しかったからだ」
「……ぷぷ、てれかくしですか。そういうのをお人よしと言うんですよ」
そう言って妖夢は、肩を震わせながら笑った。
羞恥心とちょっとした憤りで頭がいっぱいになったものの、初めて見せた子供っぽくて愛らしい笑顔を見せられて、それらがすぐに薄れるのと共に、心のどこかでホッとする。
……なんだ、やっぱりどこにでもいるような、可愛らしい女の子じゃないか。今までの彼女に抱いていた印象が、全て水に流されるかの様に感じた。
「はぁ〜あ……決めました。わたし、しばらくは〝豪腕〟からはなれることにします」
「え? ……僕から切り出した話だけれど、本当にそれで良いのかい?」
「もちろん〝豪腕〟をぬけるわけではありません。ただ、わたしもその、ほかの方法とやらを考えてみたいんです」
……これが、妖夢が自分で下した決断なのだろう。
自ら悩んで、思いをぶつけて、泣いて、最善の方法を選び抜いた結果なのだろう。
「だから、しばらくはまた、おばあちゃんにお世話になります。きっと、魔力をおさえるきっかけにもなりそうですし」
「……そっか。良いと、思うよ」
僕は強く頷く。
彼女の選んだ道だ。僕がどうこう言う筋合いはないし個人的にも良い考えだと思う。
だから、彼女の選んだ決断が、正しい方向へと導く事を、心から願う事にしよう。
「さて、魔力もだいぶ回復しましたし、わたしそろそろ帰りますね。……そういえば、モモちゃんは?」
「モモちゃん?」
「さっきまでわたしがだっこしていた、くまさんのことです。大きさがこんぐらいの……」
「……あぁ、あのテディベアの事か。あそこの棚の上に置いてあるよ」
そう言って、棚の上を指差す。
「あ、それですそれです。よかったです、魔力のしょうげきで、炭になってしまったかと思いまして」
「……お前の魔力にそんな威力はねーだろ」
しかも炭になるって……。
発想が中々容赦なかった。
ベッドから降りた妖夢は、とことこと棚へ向かい、テディベア改めモモちゃんを優しく抱き上げる。そして、ジト目をこちらに向けた。……何で?
「……モモちゃんを使って、なにかいやらしいことしていませんよねぇ……?」
「お前は僕を何だと思ってんだ。そして、テディベアなんかでどういやらしい事をしたって言うんだ」
「あなたをどう思っているか、という質問に答えるならば……へんたいさん?」
「酷い言い様だなオイ」
随分と疑い深い少女だった。
というか、本来お前ぐらいの容姿の少女が言う台詞ではない。
……僕って、そんなに変態に見えるのかな……。そうだとしたら、物凄くショックなんだが。というか、本当に何もしていないのだけれど。
「……じょうだんですよ。遊んでみただけです。ですので、そんなに落ちこまないでくださいよ」
「冗談でも止めろ馬鹿。結構グサッときたぞ」
「あははは、けっこうせんさいな方なんですね。〝精霊〟の魔力者さんは」
再び笑みを零す妖夢。
とことこと半開きの扉へと向かい、部屋から出ようとした。と思ったのだが、扉の前で立ち止まり、後ろを振り向いた。
「そうそう、〝精霊〟の魔力者さん。ひとつあなたに言いたいことがあるので、お伝えしておきます」
「言いたい事? 一体何だ?」
そう問うた所で、妖夢が再び口を開く。
その顔には笑みを浮かべていたものの、目の色が先程と違った気がした。
「あなたが信じている〝仲間〟。その存在が、時にあなたを苦しめることになるということを、くれぐれもキモにめいじておくようにしてくださいね」
「…………ッ」
「それでは、お世話になりました。何かあったらまたうかがおうと思うので、その時はまた、よろしくお願いしますね」
そう言い残して、妖夢は部屋を後にする。
小さくなっていく足音を聞きながら、ただ呆然としていた。玄関まで送っていくべきだったかとも思ったが、その気力すら遠退いていく。
僕の頭の中では、先程の彼女の一言が離れず、ずっと木霊していた。
妖夢の台詞は、彼女自身が覚えているであろう漢字以外は平仮名表記にしています。かなり書きにくかったです笑
次回は幕間が入ります。予定では二話ぐらい。