二十節 白煙
あれから数日後――。
地獄の様な定期テストの日々が無事終了し、帰宅すべくいつもの通学路を歩いていた。
この日、テスト自体は授業で言う二時限程で終わったが、全校集会や掃除当番、図書室に用があったのでそれを済ませていたら、帰りが遅くなってしまった。気付けばもう辺りが橙色に染まっている。
チャックはここ最近、魔力者を捜す為に飛び回っているからな。テスト期間はずっと一人での帰宅が続いている。彼と出会う前は普段と変わりない物だったのに、今は何処か寂しく感じる。
――そういえば、チャックと出会った日も、何だか似たような感じだったな。今思い返してみると、懐かしく思えてくる。あれからまだ一ヶ月と経っていない筈なのに、不思議な物だ。
「マスター!」
噂をすると、だ。
丁度住宅街に入り、自宅まであと三分程度になった所で、いつもの聞き慣れた声が背後から聞こえてきた。
背後を振り向いてみると、案の定チャックが此方へと飛んできていた。本当、タイミングの良い奴だ。進捗があったか、訊いてみるとするか。
「チャック! 何か進捗はあった……」
――訊いてみようとしたのだが、彼の表情を見た途端、言葉が突っ掛かってしまった。
何やら様子がおかしかった。
彼が何者かに襲われた、という訳では無さそうだった。何せ、身体に傷を負ってはいなかったので。
ただ、何か焦っている様子は伝わった。普段はあまり表情を変える事の無い彼だ。彼が表情を変える時なんて、何か危険が迫ってきている時か、アップルパイを頬張っている時ぐらいである。
あの表情から察するに――。
何かあったと言うのは、誰が見ようと解る事だった。
「……どうした? チャック」
「マスター……、大至急家へ向かって下さい。今、貴方の家が魔力者による襲撃を受けています」
「しゅ……襲撃だと?」
遂に、来てしまったか。
僕は状況を察し、全速力で家へと向かった。
◆◇
「……なんだ、これは」
目の前の状況に、唖然としてしまった。
何せ、我が家がこんな姿になるなんて、全く想像もつかなかったからだ。少なくとも、この人生で一度も眼前にした事の無い光景だった。
目の前に映る我が家は、薄い桃色を帯びた白煙に覆われており、まるで霧の様に丸ごと囲まれていたのだ。
その光景は何にも例え難い、何とも異様な物だった。
……何なのだろうか、あの煙は。火災による物にしては色が違い過ぎるし、煙幕、だとしても薄過ぎてすぐに認識される物だと思う。
あの白煙の正体や特徴は見当もつかない。しかしまぁ、魔力者による物というのは一目瞭然だろう。
「……とりあえず中に入ってみるか。チャック、念の為、加護を付けてもらっても良い?」
「承知しました。少々お待ち下さい」
そう言ったチャックは目を瞑り、もごもごと呪文の様な物を唱え始めた。すると、段々と体内の魔力が活性化され、若干温もりを感じる様になった。
身体が何かに包まれているかの様なこの感覚、正に火事の件でかなり世話になった〝精霊の加護〟による効果の現れである。
どうやら、加護の付与を終えた様だ。
「よし、じゃあ行こうか」
僕はチャックに合図すると、そのまま家の中へと入っていく。そのままドアを開け、煙を掻き分けながら進んでいく。
――入った途端から異変を感じた。
玄関に足を踏み入れた途端、何やら蕩けてしまう様な甘い香りが鼻に入ってきた。
お菓子の匂い、ではなさそうだ。恐らく、この煙による物なのだろう。
そう考察しながら最初の角を曲がり、いつも母がテレビを見ているリビングに入る。
すると、足下で仰向けに倒れている人影の様な物が目に移った。煙が濃くなっている所為で、顔は認識出来なかった。僕は目を凝らしてみる。
倒れていた人物は――。
「…………! 母さん!」
僕は倒れていた母の元で屈み、状態を確認する。
怪我はしてない。だけどどんなに揺さぶっても目を覚まさない。
とりあえず心臓の鼓動は聴こえるし、息もしている。命に別状は無いみたいだけど気を失っている様だ。もしかして、魔力者に襲われたのか。
――いや、待てよ?
僕は母の呼吸の状態を確認しようと、耳を澄ました。
意識が無い、にしては呼吸が安定し過ぎている。というか、呼吸が深い。もし身体に異変があるとしたらここまで心が落ち着いているかの様な呼吸が出来る訳がない。
――まさか。
「……寝ている、のか?」
多分、この深い呼吸は寝息だろう。道理で、気を失っているにしては様子が変だと思った。
でも、どんなに揺さぶっても起きないのだ。僕の母はここまで眠りが深い人ではない。
やはり魔力者によって、〝眠らされた〟と解釈するのが自然だろう。だとしたら、この煙は催眠ガスの様な物なのか。加護を付けてもらって大正解だったようだ。
「しかし、ここに放置してたら危険だな。とにかく安全な所に運ぼう」
「マスター、妹さんの姿が見受けられません。誘拐された可能性が――」
「心配するな、妹は今外出中だよ」
「そうでしたか。そうとなれば、急いでお母様を……グッ!」
言葉が突然途切れた。
「チャック?」
直後、背後で地面に何かが落ちた様な音が聞こえた。僕は恐る恐る後ろを振り向く。
そこでは、チャックが横たわっていた。
「チャック! どうした、何をされた?」
「マス、ター……。申し訳御座いません、私とした事、が……」
そう言い残すと、彼はそのままパタリとひれ伏してしまった。
僕は一応呼吸を確認する。
……やはり眠らされたようだ。
「精霊さんがねむっちゃったから、あなたはもううまく戦えない。抵抗はやめて、おとなしくわたしに従ってください」
声、キッチンの方からだ。
僕は後ろを振り向く。
そこにはピンク色のネグリジェを身に纏った、八歳ぐらいの少女が立っていた。テディベアを大切そうに抱え、眠そうなとろんとした二重の瞳で此方を見ている。
外見だけであれば、普通の可愛らしい女の子なのだが、見た目に反して彼女からは強力な魔力を感じる。どうやら犯人はあの子で間違いないようだ。
「……君は一体何者なんだ?」
「わたし、ですか?」
少女は首を傾げる。
そして、そのゆったりとした話し方で再び語り始めた。
「わたしは妖夢といいます。〝睡眠〟の魔力者、です。わたしの主さま、〝豪腕〟の命によって、あなたをたおしにきました」
「ご、〝豪腕〟だと?」
俄かには信じ難い事だった。
こんなに小さい子供が〝豪腕〟の組織の一員だなんて――。
「用はすみましたよね? では、さっそくですが、ねむってもらいますね」
妖夢はそう言うと、テディベアを抱えていた右手を此方へ向けた。白煙がプロペラ状に形作りながら右手の中心へと凝縮され、やがて雲の様な塊が作り出される。
それをそのまま此方に向かって放出した。
やはり白煙の正体は魔力だったか。
一つの疑問が肯定され、更にもう一つの疑問に見事に結び付く。
あの魔力は〝催眠ガスを操る物〟だ。となると、あの空気砲を一発でも受けたら眠ってしまう。加護の効果があるので、もしかしたら無効化出来るかもしれないが、保証はない。なるべく受けないようにしなければ。
そう考えつつ、魔力を解放する。
「〝騎士の精霊〟!」
そして合図と共に〝騎士の精霊〟を現界させ、空気砲を防いだ。防がれた空気砲はドーナツ状に波紋を作りながら散っていき、そのまま消えていった。
――さて、どう立ち回るべきか。
役目を終え靄の様に消えていく〝騎士の精霊〟を視界に移しながら、僕は思考を巡らせた。




