八節 支えるという事
あの火災から、早くも三日が経った。
廊下の窓に映る雨上がりの青空は、明け方まで降っていた雨がまるで嘘みたいに晴々としており、少し暑いくらいの日差しが徐々に近づいてきている夏を感じさせた。
しかし、まぁ、この三日間は、かなり疲れが溜まる日々だった。
「おぉ、君が噂の……」
……噂をすれば、と言った所か。
この先生、多分初めて声を掛けてきた。
「火事の件、聞いたよ。本当に凄い活躍をしたねぇ、君は」
「あ、その……、ありがとうございます……」
「君みたいな人が、この学校に増えてほしいものだ。それじゃあね」
「あ、はい。……さようなら」
先生は、そのまま歩いていってしまった。
……そう、こういった状況が三日間も続いている。
どうやら、日野子を救出した件が既に広く拡散されたらしく、色々な人に持て囃されていた。
さっきみたく、廊下で先生にすれ違えば、お褒めの言葉のフィーバータイム。更には、日野子との恋愛関係が噂され、変にからかわれるし……。
本当、情報の拡散というのは怖い。正直もう呆れていた。まぁ、先生に褒められるのは、悪い事ではないんだけど。それでも、何度も同じ内容で褒められると、流石にうんざりしてくる。
そういえば、これがきっかけか、今まで知らなかった人に話しかけられたな。
名前は、何だったっけな。確か、吹奏楽部でパーカッション(?)か何かをやっていると聞いたような気がする。
そして、問題点がもう一つ。
「……だからさぁ、何で学校までついてくんだよ、もう……」
運良く人が居なかったトイレで、僕は後ろにいる人物にそう言った。
まぁ、人物というより精霊なんだが。
「それはもう決まっております。貴方は私のマスター。マスターの身を危険から守るのは、当然の事です」
「三日前に比べりゃ、大分魔力の操作も上達したから、大丈夫だって……。それに、だ。お前がずっとストーキングしてるせいで、なんか霊媒師だの死神だの、変な扱いされ始めてるんだからな? お前の事、見えてるんだからな他の人。もう、幻覚とかで言い逃れも出来なくなると思うんだけど?」
「なんと、我がマスターにそんな無礼な発言を……。どこのどいつですか? 今すぐ処罰を与えに……」
「やめんさい! この馬鹿っ! 過保護っ!」
……興奮のあまり、つい広島弁っぽい響きになってしまった。別に広島県民ではないのだけれど。
このやり取りも、一体何度目だろうか。全くもう、何で〝精霊〟の魔力に目覚めちゃうかな……。
まぁ、魔力を宿した、という事がバレてないのは、幸運に思うべきなのだろう。全く、皮肉なものである。
◆◇
「あ、シルク」
「お、おう」
学校からの帰り道、僕は自宅療養中のはずである日野子に遭遇した。
一応、火事によるショックもある所為か、身体の具合もあまり優れないそうだ。ただ、大きな原因は、やはり魔力暴走によるものだろうが。
なので五日間ぐらい、自宅療養する事になったそうだ。確かにそれが最善だろう。もし、学校でまた、魔力が暴走したら……なんて考えてしまう。
「それで、何してんだ? 家に居なきゃ、まずいんじゃ……」
「う〜ん、ちょっと気分が晴れないから、散歩してた」
「いやいや、散歩してた、じゃないでしょ……」
「大丈夫だよ! お母さんから許可は下りてるし、バレなきゃ問題無いよ」
「そう、なのか……?」
……何故だろう、心の何処かで、物凄く不安になっているような……。ただ、これ以上しつこく言ったら、それこそ彼女に悪い。あまり、深追いはしない方が良いだろう。
「……えっとさ、シルク」
日野子は目線を逸らす。少しばかりか、顔を赤らめているようにも見えた。
「……この前は、その…、ありがとう……」
彼女はそう言うと、俯いた。
照れ隠し、というやつだろうか。
「……お、おう」
……何というか、あの日の事は、あまり思い出したくない。例え、必死になっていたとは言え、日野子を落ち着かせる為とは言え、何故あそこで彼女を抱きしめたのか、あの時の自分に問いたくなる。
更に追い討ちを掛けるような、あのキザな台詞だ。思い出すだけで、羞恥心で死にそうになる。
僕も気づけば、彼女から目線を逸らしていた。
照れ隠し、という事にしておこう。
「……その、何というか、あの時シルクが助けに来てくれて、嬉しかったの。あの夜、家庭が崩れて、絶望していたから……。魔力にも目覚めちゃうし……。もう、駄目かと思って……」
「……………?」
……家庭が、崩れた?
「……少し、歩こっか」
「……あぁ」
歩き出す日野子に並ぼうと、僕は歩速を速める。
「……シルクには、ちゃんと話さなきゃ、って思ってたんだけどさ」
「うん」
「あの火事、実はお父さんが起こしたものなんだ」
「…………えっ⁈」
あまりにも衝撃的な事実を聞かされ、思わず大声を上げながら驚いてしまった。近所迷惑になっていないか心配だ。
「お父さんが火事を起こしたって、何でそんな事を……」
困惑し過ぎて、言葉が入ってこなかった。だって、僕の知っているお父さんは、そんな事をする様な人では無かった筈だ。小さい頃にはよくお世話になったから、その優しさはよく覚えている。
「まさか、魔力者に操られたとか……」
「……逆に、そっちの方が有難かったかもな」
日野子は小さく溜め息を吐く。その横顔が何を意味しているのか、僕には解らなかった。
「あの日ね、お父さん、仕事クビになっちゃって。あまりのショックでか、正気じゃなかったの」
「…………ッ」
「それでお母さんと衝突しちゃって、気がついたら台所に油を撒いて、火を点けてて……」
「……そう、だった、のか」
「……これが、この前の火事の全貌。お父さんは逃げた所で警察に捕まって、お母さんはこの前の件でずっと泣いちゃってる。私は、なんだか居場所を失っちゃってね……」
俯き加減で彼女はそう言った。
日野子が今、散歩している理由。さっきのあの横顔の意味。何となくだが分かった気がした。
日野子が〝火炎〟の魔力に目覚めた理由も、その家族の問題が絡んでいるのだろう。
火事によるショックと家庭内の問題、これら二つの件によって体内の魔力が活性化され、感情の昂りで更に膨張し爆発した、と。
家庭内の問題に、魔力の問題。
これら二つの問題に挟まれ、体力的にも精神的にも苦しめられている日野子。
喉に何かが痞える様な感覚に陥る。結局、あの暴走から彼女を救い出した所で、課題は山積みだった、という事か。
助ける、と決めたのであれば最後までやり遂げたいし、それに、何か協力出来る事があるのならば、友人としてでも、幼馴染としてでも、些細な事でも良いから彼女の力になりたい。
全ての問題を解決する力は、勿論持っていない。
だけど……そうか、そうだよな。
……その問題を解決するきっかけを作る事くらいならば、この僕にでも出来るんじゃないだろうか。
「……そんな暗い顔するなよ。言ったろ? 一緒に背負うって。何かあったら、僕に全部吐き出していいからさ。」
「シルク……」
「それに、溜め込み過ぎたら、また魔力が暴走しちゃうかもしれないし。流石にあの暴走は、もう手に負えないよ? 僕は」
「……ふふ、違いないね」
僕の冗談に吹き出した日野子は、微笑を浮かべたその顔を此方に向けた。その頰は、若干赤みを帯びていた。
「ありがとう、シルク。私、頑張るから」
何というか、重苦しいというか、照れ臭いというか、そういう変な違和感を取り除けたかな、と我ながら思う。 いつもの、僕達の関係に戻る事が出来た、そんな気がする。
同じ魔力を持つ者として、幼馴染として、彼女を支えていくとしよう。
僕は、彼女がいつもの笑顔に戻りつつあるのを感じながら、そう決心したのだった。
◆◇
丁度その時、チャックは不思議な感覚を感じ取っていた。
目の前の二人が持つ魔力。それと似たような波長。
彼が向けた目線の先には、道の角で様子を見ていた、一人の少年の姿があった。
御精読、有難うございます!
因みに言うと、僕も広島出身ではありません。生まれも育ちも千葉の人間です(笑) あの「やめんさい」が広島弁である事を知ったのも、つい最近の事です。