2話 織田のご隠居さん、驚愕する
織田のご隠居さん、驚愕する
side・織田信定 津島湊の隠居宅にて
ワシの目の前でかわいい孫の五三郎が、先ほどから興奮してしゃべっているが話の半分も理解できなかった。もっとも、その後ろに座っている三人の男女の姿が孫の言葉が嘘ではないことを説明していた。
輝くような銀色の髪や深緑の色の目を持ち、このように白くなめらかな肌の女子など初めて見る。明人が言う玉のような肌とはこういう肌なのだろうとワシは思った。男のうちの一人は日の本の民と同じだが髷も結わずに、短い髪のままだし、ひげもない。ただ、身の丈が高いし、服も見たことがない形だった 。最後の男もまた、変わった容姿だ。身の丈はワシと変わらぬが茶色の髪と同じ色のひげが凄いし、三人の中では一番強そうだった。
ワシは異国のものらしい三人の後ろに控えている、堀田助次郎に声をかけた。助次郎は津島衆の出身で、ワシが五三郎の家臣につけた者だ。武芸はそこそこだが、才覚に優れている。
「助次郎、要するに口取りの小者が落雷に焼かれて命を落とし、馬は倒れて、五三郎が投げ出されて、死にかけたところをそこの女子の手当で息を吹き返したということだな。」
「は、その通りでございます。」
「なるほど。ああ、五三郎が言った吉祥天女の声とかはどうでもよい。女子のその手当がどういうものだったか、そなたが見たそのままをワシに示せ。」
「は、それでは失礼して五三郎様、そこに寝てください。私がこの女子の方のなされたことを真似いたします。」
孫は、自分が聞いた吉祥天女の声を「どうでもよい」と言われて、不満そうだった。だが、ワシが厳しい顔でにらむと、素直に横になった。
助次郎は、「ご無礼いたします」と言いながら、前に進み出て孫の横に両膝を下ろし、両手を組んでその掌で孫の胸の下で素早く上下させることを数十回、次いで孫の鼻をつまんであごを上げさせて口を近づけ、2回息を吹き付けた。
「実際にはこのお方は五三郎様の口に自分の口を合わせて、2回息を吹き込まれました。
後はこの繰り返しを何回かした後、某が五三郎様に声をかけたところで、五三郎様が息を吹き返しました。以上でございます。」
ワシは脇息に肘をかけ、しばし、考えた。女子の手当は、多分止まっていた心の臓と、止まっていた息を呼び返すためだろう。そう考えると理にかなっているようにワシには思える。寝ていた孫が座り直したが、こやつめ顔を赤らめておる。どうやら色気づいたか、異国の女に口吸いをされたことは知らなかったらしい。ワシはもう一人の供であった前田藤九郎に声をかけた。
「藤九郎、何か助次郎が示したことに付け加えることがあるか?」
藤九郎が一礼してから、口を開いた。
「は、某と助次郎殿も雷で気を失ったところをかのお方に介抱されて気がつきました。その時はそちらの男の方が五三郎様の手当をなされておりました。助次郎殿が気がついてから女子の方が五三郎様の手当を交代いたしました。そして五三郎様が息を吹き返したところで、かのお方は『やった、よくやったわ。あなたの声がこの子を助けた。お手柄ね』と助次郎殿に声をかけられました。以上でございます。」
ワシはうなづいて、孫と助次郎、籐九郎の三人に声をかけた。
「五三郎は着替えて少し横になれ、助次郎と藤九郎は死んだ小者の身寄りにその死を伝えて見舞いをするよう手を回せ。費用はワシが用意させる。また、逃げた馬の行方を捜させよ。最後にそなたたちの先の振る舞いと申し様は簡にして、明らかであった。誠に見事、今後も五三郎を頼む。下がってよい。」
三人を下がらせてから、ワシは異国のものたちに対して威儀を正して、頭を下げた。
「孫と供の者たちを助けてくれた礼と名乗りが遅れた、申し訳ない。ワシは織田弾正忠三郎信定という。もっとも、家督は息子の三郎信秀に譲っているので隠居と呼んでくれればよい。ところでその方たちの名と生まれを教えてもらいたい。」
真ん中の背の高い男が、胸に手をやり、手のひらに収まるほどの紙と中指二本ほどの長さで太さは小指より一回りは細い棒を取り出した。膝の上に紙を置き、棒のとがって黒くなった先を当てて、文字を書いた。そしてその紙と棒を両手に持ち、膝で前に進みワシの前に置いてからすっと下がった。
紙には、右から「富士子、発知、安兵衛」と書いてあったが、ワシはその棒を凝視した。六角の棒の真ん中に丸い炭の様な棒があり、どうやらその炭で紙に文字を書いたらしい。こんな物は見たことがなかった。水もいらず墨をする必要がなく、しかも周りを汚す事もない。富士子という女子の髪や肌の色、目の色にも驚いたがこれにも驚かされた。
「発知殿でよいかの、それでそなたたちはどこの生まれか?」
男はうなずいて、左の男に声をかけた。
「安兵衛、『せかいちず』を出してくれ。」
それから半刻後、ワシは驚き過ぎ、疲れ果てていた。発知殿の一族が倭寇であり、その祖父が日の本の外へ出たことはいいとしても、この男が出してきた縦2尺、横6尺の地図の大きさ、この男が言う「せかい」とやらの広さと逆にワシらが天下と呼んでいる日の本の狭さに呆れ果てた。勿論、尾張の大きさなどこの男が呼ぶ「せかい」の中では芥子粒のような物だ。何が「天下」か、鎌倉の世に武家をまとめあげた頼朝公でさえ、一村の長のような卑小さである。
それにしてもこの男の祖父と父はとんでもない男の子よ。祖父は肥州にある五島という島々の土豪の三男坊だったらしいが、元服してまもなく、旧知の商人と共に五島から舟をこぎ出し、明の「杭州」の湊に渡り、そこで商人になり大儲けをし、故郷から一族を呼び寄せたという。そして20年後、今度はこの男の父が船で、天竺に渡り更に砂漠という荒れ果てた地を越え、「ようろっぱ」という地にたどり着き、今は天竺まで戻り「でぃーう」という湊で一族で商いをしているという。そして、その地でこの男は生まれたという。祖父は元より父もそこらの武士も顔負け、いや、普通の武士なら自分の土地を捨てるなど考えもしないか。武士と言うより今では商人か、とんでもないことをする者だ。それに天竺より更に西にある「ようろっぱ」に住む者どもも恐ろしいわ。この男の友だという安兵衛は「ぽるとがる」の国の出で、その男の「ぽるとがる」は「よおろっぱ」の西の果ての国らしい。なのに遙かに東の彼方の天竺で「でぃーう」の湊を天竺の国から奪い取って支配しているという。更に発知殿の妻である富士子という女子は「ようろっぱ」の中心の「べねちあ」という国の民らしいが、かの国の商人もまた、「でぃーう」の湊の他にも天竺のあちらこちらで商いをしているという。誠に信じがたい話だが、富士子という女子の姿そのものが、明の民とも日の本の民でもないのは明らかじゃ。信ずるほかあるまい。
ワシは少し休もうと思い、手をたたいて人を呼び、湯を4つ持ってくるよう命じた。
湯を一口飲むと、富士子という女子がワシに近づいて薄緑の絹袋をワシに差し出した。
「何かなこれは?」
「開けてみて、何粒か食べると疲れがとれる。」
言われたように袋のひもをといて中をのぞくと、いくつかの突起のついた丸くて白く透きとおった豆が何十粒か入っていた。
さすがに毒を疑った訳ではないが、初めて見るものを口に入れるのをためらっていると、女子はそれを察したのか、ワシの手のひらの袋から1粒を取り出して口に入れた。しばらく舐めていたが、奥歯でそれをかみ砕いた。
「うん、甘くておいしい。」
それにつられたワシは女子のまねをして口に入れ舐めていると、確かに甘い。そして、奥歯でかみ砕いて湯を飲んだ。甘みが体に染み渡り、確かに疲れがとれたように感じた。
「うむ、富士子殿、疑ったようですまなかった。確かに疲れがとれたようだ。気遣いに感謝する。」
富士子殿がワシの言葉に応えて、にこっと笑うと、ワシはしばらくその天女のような笑顔に見とれてしまったようだ。安兵衛という男が隣の発知殿の腹を肘でつついているのが目に入った。ワシは頭を下げた。
「いや、失礼した発知殿、富士子殿。どうやらワシも孫の言葉に騙され、富士子殿が吉祥天女のように見えてしまったようじゃ。」
ワシの言い訳に、元の位置に戻った富士子殿がうつむいてクスクスとわらっている。
ワシの頬に五三郎のように赤みがさしている気がした。年甲斐もなく恥ずかしくなるが、何か、腹の奥から体が温まり、更にはさわやかな気が体中に満ちてくる気がしてきた。
これは富士子殿は吉祥天女よりも薬師如来の化身ではないかと思った。天上の薬を飲んだ気分だ。
「それはよかったわ。よかったらその袋のままあげるから、毎晩、食事の後に一粒ずつ甘みを楽しむのをお勧めするわ。まあ、三月ほどの楽しみよ。ただ、しけてしまわないように気をつけてちょうだい。」
「かたじけない。ところでこれはなんと呼ぶ菓子なのかな、富士子殿」
すると富士子殿は安兵衛殿に目をやった。安兵衛殿が話した。
「ご隠居殿、それはワシの国で作っている砂糖の菓子で『こんぺいとう』と呼ばれている。」
「いや、それはまた高価な物を。孫の命を救ってもらい、そのような高価な物までもらってしまえば、どうやって礼を返せばよいか困ってしまうわ。何か望みはないか?」
すると、富士子殿が語り始めた。
「実は150年あまり前の私の国の商人で、『まるこ・ぽーろ』という男がいたの・・・・」
いやはや、これはまたとんでもない話がはじまったらしい、ワシはこの後、夕餉の前まで一刻あまり途轍もない話を聞くことになった。鎌倉の世に元寇が起こった理由、それは日の本が「黄金の国」だと元では信じられいたかららしい。日の本には「黄金の宮殿があり、豊富な宝石・赤い真珠類に溢れている」など、全くどこの国の話だとワシには信じられなかった。だが、その「まるこ・ぽーろ」が書いた「せかいの書」と呼ばれた書物のため、富士子殿や安兵衛殿の故郷の国がある「よおろっぱ」では日の本は「黄金の国 じぱんぐ」と呼ばれているらしい。
いやはや、35年前より楽しく書かせていただいていますが、いつ書き上がるか予測がつきません。
定期的に投稿されているなろうの作者の皆さんを尊敬します。