序話 愛知県弥富市の温泉旅館にて
愛知県弥富市の温泉旅館にて
「しかし、地元なのに初めて見たけど、綺麗だったな」
発知が冷えた麦茶を飲みながらホテルのラウンジバーで一緒に休んでいる二人に言った。
「本当にね、特に川面に映った巻きわら舟は夢のようだったわ。何であんなに綺麗なんだろう、不思議ね。」
二人のうちの一人、妻の富士子が弾んだ声で答えた。妻の言葉に発知はうなずいた。
「うん、不思議だった。光のイルミネーションはいろんなところで見たよね。それこそ規模だけだったら、たちばなの里のLEDのイルミネーションの方が遙かに大きい。でも、何というのかな、提灯の光の揺らぎ具合と、水面に映った揺らぎなのかな、油断していると水の中に引き込まれそうだった」
二人はそれからも、これまで旅行してきたいろいろの場所の夜景や花火の思い出を交え語り続けた。
「しかし、おまえら相変わらず仲がいいな。結婚何十年目だ、50年以上だろうが。いつまでもお熱いことで、たわけた奴らだ。」
二人の会話を一人だけ麦茶ではなく、スコッチのオンザロックを飲んでいた、これも二人と同じく80才になる、がっちりした体格を紺色の土方スタイルで包んだ老人が茶々を入れた。ちなみに発知は紺のジーンスに白のボタンダウンシャツ、富士子は紺のジーンズに茶色のボタンダウンシャツで、シャツと同じ色のベルトがアクセントになっていた。
「ふん、その熱い仲の夫婦旅行に独り身のくせにくっついてくる、面の皮の厚いたわけの安兵衛にたわけた奴などと言われたくないわ。」
発知がすかさず言い返した。このがっちりした体格の老人の名前は「安兵衛」と言うらしい。現代人に似合わない名前である、江戸時代の人なのかな。江戸時代の人がさらに言い返す。
「たわけめ、俺がおまえら二人の旅行につきあうようになったのは、おまえらに子供ができてからだろうが。次から次と子供を量産しやがって、それで旅行やめるならともかく何人も子供引き連れて行くから、俺を子守として無理矢理誘ったんだろうが、違いますかい?」
二人の口げんかがしばらく続く。「たわけ」、「くそたわけ」、「どくそたわけ」と、名古屋弁の悪口がどんどん過激度が増してくる。名古屋人は「たわけ」以外の悪口を知らないのだろうか、「たわけ」の派生形ばかりである
ちなみに「たわけ」は「田分け」が語源の説の一つとしてある。兄弟に両親の田を細分化して分けていくと食えなくなっていくため、相続は長男が総取りする風習が正しいということらしい。それと「たわけ」と書くが、発音は「タァーケ」が近い、まあどうでもいいが他県のひとは名古屋人の会話と言えば語尾の「きゃあ、きゃあ」しか知らないらしいので説明した。
「はいはい、私よりも10年近く長いおつきあいのお二人さん、けんかはやめましょう。」 妻の富士子があきれた声で男二人のけんかを仲裁した。
この男たちは幼稚園からのつきあいである。確かに発知と富士子は小学校5年生からのつきあいであるからしてそれよりは7年は長い。それにしてもこの三人、お互いに70年以上の知り合いとは、あきれた「タァーケ」どもである。仲がいいのにもほどがある。
ここは愛知県弥富市にある温泉旅館のラウンジバーである。
発知は発電技術者である。水力発電から始め、火力発電、原子力発電と従事してきた。 だが、2011年の福島原発事故がその生涯を変えた。40過ぎの働きざかりの発知にとってその衝撃はすさまじかった。彼は勤めていた電力会社を辞め、、京都の大学に聴講生として学んだ。その後、東京の大学院に進み、4年後「テラキャパシタ」を開発した。電力が超低損失で貯められるようになった。この影響はすさまじかった。電力で問題なのは年間の発電量だけではない、というより、夏の昼間ピーク電力消費が問題なのである。
世間的には「テラキャパシタ」開発の10年後、発知とその後継者たちが開発した高効率の熱電対の方が有名だ。日本には地震がある。だから火山があり、温泉がある。だが、地熱発電は効率が悪い。だったら、熱を直接に電力に変えたらいい。高効率の熱電対こそが日本を救う道だ、とテレビ、新聞、週刊誌が「ネオエネルギー革命」と騒ぎ立てた。うん、十分にたわけである。
この二つの成果は、実際に日本を救ったし、世界をも救った。高効率の熱電対はあらゆるところで使われた。砂漠で、熱帯雨林で、火山でだ。
その後の彼とその弟子たちは様々の自然エネルギーを電気に変えた。海底と海面の温度差、地表と地下の温度差。高速道路の振動に騒音までもである。しかもそれぞれの電気エネルギーをテラキャパシタで蓄えた。エネルギーはあらゆるところで発生する、だが、電気には変えられなかったし、蓄えられなかった。それが電気に変えられ、しかも蓄えられてエネルギー革命が起きた。当然だが、自動車を完全電化され、原油価格は暴落した。
彼らはエネルギー革命を成し遂げた。塵も積もれば山となるを彼らは成し遂げたのである。
この発知の最初の4年間の研究時代、発知の幼なじみの安兵衛はもちろん独り身であった。150センチの低身長でがっちり過ぎる体型に怖い顔では、現代女性にはもてなかったのである。全く現代女性は見る目がない。確かに安兵衛は低身長だし、顔もごつい。だけど、現代女性は彼の目の優しさに気がつかなかった。
うん、彼が女性にもてなかったのはどうでもよかった。、ここで安兵衛の仕事を語ろう。彼は練達のロケット技術者である。名古屋の四菱重工のロケット部門で彼は親方と呼ばれていた。主にその風貌と服装と技術の確かさと部下の面倒見の良さで。
発知は会社を辞める前、安兵衛に自分のやることを説明したらしい。「たぶん5年かかる、その間、家族を頼む。」
その数日後の土曜日、それまで会社の独身寮の主だった安兵衛は大きな風呂敷包みを背負って、名古屋東部の丘陵地帯にある発知の家に歩いてやってきた。名古屋北部の独身寮からだから三時間歩いてである。服装は上から下まで土方スタイルで、色は紺。腹巻きと頭に海賊風に巻いた手ぬぐいが白地に藍色の花の模様。首には赤地に同じく藍色の花の模様の手ぬぐいがのどを守っている。そして、紺地の法被をはおり、法被の背中には白抜きの「丸に剣花角」、安兵衛の家に伝わる家紋入りである。
安兵衛の服装はいつもどこでも同じだが、法被は彼なりにTPOがあった。今回の家紋入りの法被は彼に従えば、正装である。
玄関で安兵衛を迎えた富士子は、地下足袋を脱ぐためにかまちに座り背中を見せた安兵衛の姿からそれに気がついた。富士子は彼を家奥の座敷に通した。そして、家にいた発知と富士子は床の間を背に正座した。
安兵衛は彼ら二人に正対して座り、風呂敷包みを脇に下ろし、頭と首の手ぬぐいを外した。そして、背筋を伸ばして頭を下げた。
「すまんが、寮を追い出された。しばらく家に置いてくれ。」
富士子は既に夫からこれからの計画を聞かされていたので、発知の顔をちらりと見てから、床に三つ指をつき頭を下げた。発知もまた頭を下げた。
「こちらこそよろしくお願いいたします。」
夫婦そろってそう、唱和した。様式美である。
その日から三十数年後である。
今では、安兵衛は発知の隣の敷地を買い取り、小さな家を建てて住んでいた。
さて、三人が話していた巻きわら舟の光景が何かというと愛知県津島市の尾張津島天王祭である。織田信長の経済的な支えとなった津島湊の五百年以上続く祭りの宵祭りである。
今はその翌日、朝祭りも終わり、三人は旅館に戻ってきて、一風呂浴びたところである。三人の予定ではこの旅館でもう一泊して、明日、ゆっくりと名古屋に戻る予定である。
「発知、何か予定は?」
安兵衛がそう問いかけると、発知は首を振った。
すると、安兵衛が嬉しそうに続けた。
「 Administration in Fantasy で新しい旅を始めないか?富士子も連れて三人でさ? 」
富士子がきょとんとした顔で安兵衛に尋ねた。
「 Administration in Fantasyって何?」
発知が横から口を入れた。
「 Administration in Fantasyは剣と魔法のある大航海時代という設定になっている。マップはコロンブスやアメリゴ・ヴェスプッチが発見した北アメリカ大陸の一部やブラジルの一部が西の果て、東が朝鮮半島から日本まで。北は今のロシアが北の果て、南はアフリカ大陸はあるけど、太平洋はまだ発見されていない設定になってた。確か設定集に1502年にできた「カンティノの世界図」に朝鮮半島や日本を付け足したような地図があったな。そんな世界で、旅をするフルダイブ型のVRMMORPGだ。ああ、ゲーム上では人との戦闘はプレーヤー同士もNPCというプレーヤー以外の人にも攻撃はできない。戦闘は魔獣相手だけ。俺と安兵衛は何度か一緒に旅をしている。俺がハーフエルフで、安兵衛は見たまんまのドワーフ。二人で組んで何度か魔獣の発生で壊滅した町の再生をしたり、教会のパイプオルガン演奏で金を稼いだりした。」
富士子が更に不審な様子で尋ねた。
「あなたたち二人に音楽の才能なんてないでしょう?」
今度は富士子の対面の安兵衛がその疑問に答えた。
「あー、発知がさ、復興させる町のシンボルとして土魔法で教会を建てたんだが、何の具合か音響効果抜群でさ。俺が暴走してとんでもなくでかいパイプオルガンを作っちまった。
そうしたら、たまたま通りかかった吟遊詩人のプレーヤーが本職のオルガン奏者でさ。あまりの音色の良さにそこに居着いちゃったのさ。一ヶ月の間、連日の演奏で人が集まること集まること。まあ、おかげで町の復興資金に不自由しなかったがな。」
「まあ、楽しそうね。だけどゲームかあ、あんまり気乗りがしないかなあ?」
すると、安兵衛がにやりとした。
「ゲーム内限定だが富士子、若返るぞ。体が若い頃のように動くし、顔のしわもなくなるし、肌のたるみも消える。」
そう、これが俺たちがこのゲームにはまった理由だった。
そしてその気持ちは男性である俺たちより、女性である富士子の方が絶対に強かった。
後は、お察しのように富士子が暴走した。安兵衛をせかして車からゲーム機一式とダイブ用のフルフェイスヘルメット型の端末3個を取りに行かせ、俺たち二人を質問漬けにした。主に、キャラクター作成の容姿と服装のアレンジ方法について。俺たち二人は女性の長い、ながーい買い物につきあわされる気分を夕食までの4時間に渡って、延々と味あわさせられる事になった。
旅館の豪勢な食事もあっという間に食べ終え、富士子が早速ゲームに取りかかろうとするのを俺たち二人が押しとどめた。安兵衛が改めて説明を開始した。
「あのな富士子、まだ、おまえは種族と容姿と服装しか決めてないんだ。職業と能力を決めないと話にならん。」
「何をおっしゃるのかしら。どーせ安兵衛に腹案があるんでしょう。容姿と服装のセンス以外ではあなたを信頼してるわよ、2分で決めなさい。 」
「はいはい、とりあえず回復役は決定。だから職業は僧侶で決定、回復魔法と製薬魔法に、ハーフエルフで森エルフの系統だから植物魔法と、弓術あたりはどっちにしてもついてくるな。後、体力はそこそこで、スピード重視で魔力を多め。とはいっても種族的に魔力は恵まれているからな。そう心配することはない。年齢は80才と」
「何、言ってるの!そこは『永遠の』17才でしょうが?」
「あのな、ハーフエルフの寿命は400才だぞ、4で割ったのが実年齢だ。」
「じゃあ、68才。これは譲れないわ。」
「はあー、さいですか、お嬢様。わかった、ついでにフェイスチェンジを入れておこう。」
「なに、それ???」
安兵衛がまた、にやりとした。
「目の色、髪の色、肌の色、それに髪の長さを変えられる魔法、自分だけじゃなく他人もな。卓越した化粧術と思えばまあ、間違いはない。それに回復魔法には体を清潔にするのにも使える。これまで、これが使えなくて結構苦労したんだ。」
富士子のご機嫌が更によくなった。
「だけど、何でもありね。」
ここで俺が口を挟んだ。
「まあ、俺たち二人がこのゲーム世界で、結構ポイントを貯めているからできる話さ。」
「ああ、そういうこと。でもポイントとかどうやって稼ぐの?」
「いろいろだが、俺たちは町の復興で稼いだのが多いな。吟遊詩人なら、どれだけの人々を楽しませたか、冒険者なら魔獣をどれだけ狩ったかでつく。後は魔法や剣術なんかの力は使えば、経験値が得られて、上昇する。ちなみに、富士子の僧侶は患者をどれだけ救ったかによって、ポイントと経験値が稼げる。」
最後に俺が締めた。
「後はゲーム内でおいおいと、説明していくさ。さあ、始めよう。」
こうして、俺たちはゲーム世界で旅立つはずだった。まさか、あんなことになるとは思いもしなかった。俺たちの300年以上の旅はこうしてはじまった。