プロローグ 戦場の最中
どうしてこんな事になってしまったのだろう?
「新兵ッ! 何をしている、立てッ!」
何度思い返しても――
「ここで死にたいのか? 早く動け!」
何度考えを巡らせても――
「部隊長のマリオンだッ! 討ち取れば勲章モノだぞ! 全員掛かれッ!」
「クッ! このままでは……撤退だ! 新兵、立てるな?」
新兵? 目の前のこの女、俺の事を言ってるのか? それにここは……どこだ?
「こちらの奇襲が失敗した、体勢を立て直すしかない。聞こえているな?」
「あ……あぁ……」
「だったら自分の力で立て! 逃げるぞ!」
「逃げるって言ったって……」
何がなんだかわからない。草原か、ここは? この女、鎧を着て……右手に持ってるのは剣か? それに髪の毛が赤色で。でも思わず見とれてしまう程、つぶらな瞳から覗かせる強い意思と気品に圧倒された。
けれども彼女に見とれている暇なんてない。ガヤガヤうるさい音、人が大勢居る。周囲を見渡す俺は思わず息を呑んだ。
雲1つない空、広がる大草原。広がる壮大な景色だけを見ればピクニックでもしたくなる気分だが、別の何かが俺からそんな気分を奪っていく。
それは、銀色の鎧を纏う無数の人間。
「か、甲冑!? 戦国時代……とは違うか」
「オイ、お前!」
「お、俺?」
「そうだ、早く私の馬に乗れ! もう敵が来るぞ!」
敵だって? あいつら敵なのか? 弓や槍、剣まで持ってる。
もう考えてる暇なんてなかった。見えなくても背中からビンビン伝わる熱気と殺気に押されて、俺は女と一緒の馬に飛び乗った。初めて乗る馬の背中に、思わず女の背中にしがみつく。
「動きにくいだろ」
「そんな事言ったって!?」
「まぁ、良い。振り落とされるな。それとその剣、いつでも使えるようにしておけ」
「けん?」
驚き続きで気が付かなかった。俺はいつの間にか左手に剣、正確には日本刀を握っている。
「そうだ、これ……爺ちゃんの家で」
「走るぞ、捕まれ!」
言うと女は手綱を掴み馬を走らせた。風と共に駆け抜ける馬。
その風に乗って流れてくる彼女の髪の毛から漂う甘い香りに、俺は何がなんだかわからない状況に少しだけ安心できた。
でもそんな安心なんて一瞬で消し飛ばされる。火が、矢が、見えない背中からどんどん飛んで来た。
「来た、来た!? 逃げられるのか?」
「良いから黙ってろ! それと、胸を触るなッ!」
必死過ぎて知らない内に女の胸当てを鷲掴みにしていた。固い……
「んな事言っても!?」
「チッ! 新兵が。舌を噛むなよ」
馬は次第にスピードを上げて行き、振り返れば甲冑を着た集団は小さくなっていった。でも、突如として突風が吹き荒れると俺は馬の背から吹き飛ばされてしまう。
必死に手を伸ばしても、女の背中にはもう届かない。
気が付けば芝生が生い茂る大地に体を打ち付けてしまっていた。
「ぐぅッ!? 痛ッた~。今度は何だよ?」
「落ちたのはマリオンではないか。隊長に連絡だ、取り逃したとな。雑魚は俺が仕留める」
取り敢えず、立ち上がらないと。刀の鞘を支えに、痛む体を我慢して立ち上がった先に見えるのは、武器を構える大柄な男。その後ろにも何人か居るみたいだけど。
それにしてもなんだ? あの鉄の塊みたいな武器は? 確か、メイスって奴か。
両手でメイスを担ぎながら、男は俺に向かって突き進んで来る。これは……
「まずい、逃げないと!」
「逃がすものかよ!」
振り下ろされた鉄の塊、見てる余裕なんて全くない。反射的に飛び退くのが精一杯だ。鉄の塊は大地の土をえぐり出し、衝撃に空気が震える。
それを見た瞬間、痛いだとか怖いだとか、そんな感情は消し飛んだ。逃げる事もできない、このまま何もしなければ殺される。
気が付けば、俺は握っていた日本刀を引き抜いていた。
「ほぅ、剣を取るか。だがまだまだヒヨッコ。そんな事で俺を倒せはせん!」
「はぁ、はぁ、来るのか?」
太陽に光に反射して輝く、鏡のように美しく研ぎ澄まされた刃。引き抜いた瞬間、鋭い刃は空気を斬り裂く。
俺はこの刀の美しさに魅入られていた。
「死ねェェェい!」
「あぁ……ぁぁぁあああ゛あ゛ッ!」
けれども相手はそんな事を考えてくれる訳もなく、再び振り下ろされたメイスに俺は逃げる事しかできない。
「チィ、また逃げるか。体が震えているぞ、腑抜けめ」
「あんなの当たったら死んじまう! どうにかしないと」
「どうにもならんわッ!」
また来る! 飛び退いた瞬間、さっきまで立っていた所に穴が開く。
口を開いて思い切り酸素を取り込む。心臓が張り裂けそうな程、激しい鼓動を繰り返す。誰でも良い、助けてくれ、許してくれ!
どうして訳もわからない内にこんな事に!? 兎に角、今死ぬなんて嫌だ、生きたい!
立ち上がる俺は鞘に巻き付けてある紐をベルトに巻き、両手で刀を思い切り握り締めた。
「やらないと……やらないと……」
「怯えているようではな!」
相手が来る!? 何でも良い、攻撃しないと!
握った刀を、俺はがむしゃらに振り回した。当たらなくても良い、近付くんじゃない!
「フフフッ、笑わせる。そんな事で――」
2メートルはありそうな身長に太い手足。見るからに分厚く重そうな甲冑。鉄の塊にしか見えない武器を片手で軽々担ぐその姿。こんな奴に勝つだなんて無理かもしれない、そんな不安が頭の中を過る。
瞬間、甲高い音が響いた。
「こ、コイツ……」
「当たった……」
切っ先が甲冑をかすめた。たった1回だけだけど、斜めに切れ込みが入っている。
「遊んでやるつもりだったがもう手加減せん! 終わらせる!」
「うおおおッ!」
やられる前に、やるんだッ!
「遅いわッ!」
相手のメイスと俺の刀とが交わった。袈裟斬り、響く金属音。刃は一方的にメイスを分断してしまう。
「なにィッ!? ぐお゛ォォッ」
生暖かい、吹き出した血が俺の体を汚す。顔の半分が真っ赤になる中で目を見開き相手の姿を焼き付けた。
切断された武器に甲冑。その傷口からは止めどなく血が流れ出す。
「な、舐めるな若造!」
「まだ動けるのか? 来るなぁぁぁッ!」
武器も持たずに、血まみれの大男は俺に向かって来た。そこからの事は良く覚えていない。自分の意思なのか、無意識の反射的行動なのか。
突き出した切っ先は甲冑を容易く貫くと相手の心臓に突き刺さる。
絶命、命が絶たれた。俺のせいで、俺がこの手で。まるで時間が止まったみたいに……。
「はぁ、はぁ、はぁ……死んだ……殺してしまった……う゛ぅっ!?」
刀を引き抜くと同時に目の前の男は地面に力なく突っ伏した。そして、今更になって俺は人を殺したのだと実感し、吐き気が襲って来る。
両膝を地面に付けて口から吐き出す。けれどもこの程度で精神の負担は消えない。
もう無理だ、力も出ないし倒れそう。視界も霞んできた。遠退く意識の中でかすかに聞こえるのは馬の足音と、あの時の女の声。
「ケガはしてないな? アレはお前がやったのか? まぁ良い、引くぞ」
女は軽々と俺の体を抱えて馬の背に乗せるとまたどこかに向かって走り出した。そこからの事はもう、覚えてない。
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