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羊の三題噺。

【三題噺】雨夜の月と真昼の月。

作者: シュレディンガーの羊



双子の姉は、私と違って月のように美しい人でした。

絹の髪、白磁の肌、長い睫毛が影を落とす憂いを帯びた宝石のような瞳はいつも儚い美しさを讃えていました。

姉はひどく美しい声も持ち合わせていましたが、その声はいつもどこか何かに怯えたように震えていました。

そんな姉を守ることこそが私の呼吸する意味だと、私はいつも思っていました。

そう伝えると姉はすこしだけはにかんでから、私にありがとうというのです。

姉は刺繍が好きでした。

刺繍をしているときの姉は、ほかの時に比べるととても穏やかに微笑んでいました。

姉はよく私の持ち物に繊細な刺繍を施してくれました。

「あなたは私の太陽よ」

姉はよく私にそう言いました。

施された刺繍はそれはそれは美しい太陽のものばかりでした。

「明るくて、暖かくて、私とは全然違うもの」

悲しげに伏せられた視線さえ、姉の美しさを引き立てました。

そんな時、決まって私は俯く姉の手を取ってこう言ってみせるのです。

「私は太陽よりも、真昼の月でありたいわ」


ある日、勤め先から帰宅した姉は私にただいまも言わずに、部屋に閉じこもってしまいました。

「姉さん、どうしたの?」

控えめなノックの音の後に、努めて優しい声で問えば、部屋の中から啜り泣く声が聞こえてきました。

もう一度ノックを重ねてから、それでも言葉が返らないことに言い訳して、私はドアを開けました。

弾かれたように顔を上げた彫刻のように美しい姉の頬から、涙がはらはらと零れ落ちていきます。

勤め先で陰湿ないじめに合っている、と姉はしばらくしてから堰を切ったように泣き出しました。

美しい姉はけれど気弱で優しすぎるゆえに、昔から姉は自分を守れない人でした。

「大丈夫よ、姉さんの美しさを恨む心の醜い奴らになんて傷つけられないで頂戴」

「もう、あなたがいればいい。私の安らぎはあなただけだもの」

溢れる涙は宝石のような煌きで、姉が握りしめるハンカチの刺繍の上にいくつもシミを作っていきます。

「そうよ、だって私は真昼の月だもの」

姉を優しく引き寄せて抱きしめながら、私はそっと彼女に気取られないように微笑みました。


雨の降る空を仰いで、私は額に張り付いた髪の毛を指で払い除けました。

梅雨入りから十日ほど経ち、公園に咲く紫陽花の花も少しづつその色をより鮮やかにさせていました。

私は紫陽花が好きでした。その徐々に色付く様も、雨に濡れる様が最も美しさを引き立てることも、どこか姉に似ている気がしたのです。

夜の公園はどこか不気味にも思えましたが、ここの紫陽花が私は一等好きなのです。

だから、この公園の紫陽花がもっと美しく艶やかに染まればいいのにと、そう思っていました。

「さて、と」

私は空を振り仰ぐのをやめて、シャベルを握りなおしました。

後はもう土をかけるだけなのですが、なにぶん紫陽花の根元に掘った穴は大きすぎて埋めるだけといってもそれは重労働のように思えました。

先ほどまでシャベルの先が綺麗な赤に染まっていたのですが、今はもうすっかり雨で洗い流されてしまったようです。

『あなたが流してくれた情報のおかげで、あの女の滑稽な泣き顔が見られたわ』

先の会話を思い出して、私はふっと自分の表情がなくなっていくのを感じました。

『でも、あなた、あの女の妹なんでしょう? 姉さんのこと、嫌いなの?』

好奇心のままに紡がれたであろうその台詞は、ひどく耳障りでした。

『……あぁ、そっか』

だからでしょうか。

『美しいお姉さんを比べられると、みじめになるんでしょう?』

満足げに笑った女の顔に、計画より幾分早くシャベルを振りかぶってしまったのは。


明日、晴れたなら、姉と連れ立ってこの公園に紫陽花を見に来ようと思います。

日光に弱い姉はきっと、丁寧に刺繍を施した日傘を差すことでしょう。

今宵よりも明日はもっと美しい花が咲いていることでしょう。

「私は真昼の月だから」

落とした独り言は雨音に紛れて誰の耳にも届きません。

明るい光の中では誰の目にも止まらない者でいいのです。

影のように姉の美しさに傅いて、あの光だけに焦がれて、ただそれだけのために息をしていたいのです。

太陽なんて隔たりの在るものになどなりたくはないのです。

姉は夜にさめざめと泣く様が一等美しいのです。

だからこそ、その美しさのためならば、私はきっとなんだってできるでしょう。

なぜなら、私はこの世界の誰より姉を愛しているのですから。






一時間で三題噺を書く企画で書いた、おそらく4作目。

お題は、紫陽花、真昼の月、刺繍。



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