海
~海~
夏と言うものは魔物だ。私はそう思っている。水着を着てみんなではしゃぐ。それだけで楽しい。もちろん。肌を出すわけだからダイエットをして万全の態勢で挑んだのだ。
行きたいと言ったのは瑞穂だ。サザンの歌に出てくる烏帽子岩が見たいと言ったのだ。
言われてそんな歌詞あった?と思った。それだけ私はどうでもよかった。
瑞穂が言う。
「ほら、チャコの海岸物語だよ」
って、言われてもわからない。けれど、海に行くことは私たち3人で決まったことだ。
「ねえ、ナンパされるかな?」
そう言ったのは凛々子だ。名前は凛々しいのに見た目はぽにゃんって感じなのだ。話していて悪い子じゃないのだけれど、ちょっと脳内が少女漫画なのだ。凛々しい子になってくださいって親が付けたらしいけれど、ちょっと抜けている。そして、チョコが大好きだ。
凛々子が行くとチョコの海岸物語になりそうだ。
「んで、優美はどうなの?」
私はそう呼ばれたので振り向いた。
「もちろん。行く。だって楽しそうじゃん」
私は『優美』という名前が好きじゃない。優しくて美しいって何だよって思う。親に聞いたら『優しい女の子になってほしいからつけたの』と言われた。それだったら『優子』なんじゃないのって聞いたら『女の子はやっぱり美人に育って欲しいじゃない』って言われた。
確かに誰もが美人にあこがれる。けれど、丸顔のお母さんと丸顔のお父さんから生まれた私は美人ではない。アンパンパンみたいだと言われるのだ。
それに「優しい」という文字があると私は常に優しい人間でいないといけないという呪縛にがんじがらめにされている気になる。だから言いたいことも言えなかったりする。優しさというのも良くわからない。
まあ、見た目が優しそうに見えるから問題ないのかもしれない。まあ、凛々子に比べたらいい方だ。凛々子が自分の二の腕をつまみながら言う。
「やっぱりちょっと痩せなきゃだめかな?」
ちょっとぽっちゃりの凛々子はそう言ってきた。
「そうだね」
私もダイエットをはじめよう。そう、決心をした。凛々子が言う。
「で、今日のおやつはキットカットなの。みんなの分もあるよ」
「食べる」
瑞穂が率先して食べ始める。瑞穂はいいよな。体が細いから。私は丸顔だから余計に体が気になるのよ。それでなくてもこの顔のせいで太っていると思われがちなのだから。
ぷに。
凛々子が私の横っ腹をつまんできた。
「大丈夫だよ。優美は私より細いもの」
凛々子の二の腕は触るとスノーマンのぬいぐるみのように柔らかい。いや、二の腕だけじゃない。手のひらだってそうなのだ。赤ちゃんみたいな手をしている。同じ丸顔。だが、確実にここが違う。
「一緒にするな~」
そう、私が今触ったのは凛々子の胸だ。私にはない弾力。いつか育つよ。お母さんに言われたけれど、そのお母さんもあまり胸がない。家系なのだ。突然変異とかしないのかな。私はそう思った。
夏と言えば海だって叫んだのは瑞穂だ。瑞穂はショートカットで元気いっぱいだ。なんで運動部に入らなかったのって聞いたらこう言われた。
「中学の時まではテニスやっていたよ。でも高校になったら遊びたかったの。だから力いっぱい遊ぶ」
運動をしていたのか体が引き締まっている。スポーツタイプのブラみたいなのにショートパンツみたいな水着をきている。しかもその上からこれまたおしゃれなのを羽織っている。かっこいい。
横を見ると凛々子は水色のビキニだ。丸顔をゆるふわパーマでほわっとした髪でごまかしている。髪が胸近くまであるからすごく女の子らしいのだ。というか私は凛々子を見て抱きついてみた。
腕だけじゃない。体全体がむにゅっとしている。スノーマンだ。気持ちいい。なにこれ。
しかも全体がむにゅっとしていてエロ可愛いのだ。実際出るとこが出ているから余計にエロく感じてしまう。まあ、おなかもちょっと出ているけれどそれは当人は気にしていないみたい。
「優美も早くでてきなよ」
私は何度も自分を鏡で見ていた。フレンチボブスタイルにしたのは髪をふわっとさせたらひし形に見えて少しでも丸顔が誤魔化せると思ったからだ。
水着をワンピースにしてフレア付きにしたのはお腹のお肉をごまかしたかったから。胸にリボンがあるのを選んだのは胸がないのを誤魔化すため。こうでもしないと水着なんかで外に出られない。というか、結局二人に捕まって外に出た。
でも、人が多いのでそんなに気にならなかった。自意識過剰だったのかも。
しばらく遊んでいたら男性に声をかけられた。しかも男性3人。
「ねえ、ねえ。どこから来たの?」
私は聞こえないフリをしていた。というか、こういう時どうしていいかよくわからない。慣れていないのだ。まあ、ちょっと見た感じ3人ともかっこよさそうだけれどこんな私なんて相手にされないだろう。そのうち面白くなくて去っていく。そう思っていた。
だが、なぜか瑞穂が楽しく話し出して、凛々子が普通に相槌を打っている。そして海の家で焼きそばをおごってもらうことになった。
「食べたかったんだよね。焼きそば」
楽しそうに瑞穂が言う。まあ、私もお腹すいてきたけれどお金はどうなっているのって思ったら普通に男性陣が払っていた。
気が付くと私の横に男性が一人話している。周りを見ると瑞穂も凛々子も横に座っている男性と楽しく話している。って、ことは私今この男性にロックオンされているってことなの。どうしよう。
「優美ちゃんってかわいいよね。俺らさ実は夢があるんだよ。3人とも専門学校でさ、デザインやっててさ、ゆくゆくは3人で事務所作ろうって話しているの」
え?かわいいのとその話しって関係あるの?
「でも、そういう何かやろうとしている人って嫌いじゃないです」
それが私とトオルとの出会いだった。トオルは謎だった。かっこいいのは事実。でも、ちゃらんぽらんなのだ。
それに気が付くまで私は3年かかった。話していることがすご過ぎて、トオルをすごい人だと思っていたのだ。
高校も卒業して短大に行ってようやくわかってきた。ある時は政治の話しをしている。そうかと思えば日本の国債について話し出す。経済に関する本を読んだ後やそういう人と話した後はいつもそうなのだ。つまり少し前に話した人にすぐ感化されてそれをやりたくなる。
その繰り返し。デザインについてもそうだ。確かにデザインの専門学校を卒業をした。そして、デザイン会社に勤務もした。ただ、働いた期間は3か月だった。
「あの会社最低なんだよ。この俺にさデザインじゃなく資料のコピーとかスケジュール管理とかしかやらせないんだぜ。俺はそんな庶務がしたくてデザイン会社に入ったんじゃないって。それに、俺の学生の時のつてで仕事取ってきたら怒られるしさ。結局俺が一人でやったんだよ。そしたら、その売上全部会社のものだっていうし。なんだよ。俺がやったんだぞって言ったら呼び出されて説教されたんだ。なんて言われたと思う」
これは機嫌の悪い時のトオルだ。早くおちついてほしい。そうとしか思えない。このモードのトオルは怖いのだ。
「よく見なさい。君がやったのは下書きできちんとデザインにしてデータにしたのは下柳さんだ。後で感謝しなさい」
トオルが変な口真似でそう言ってきた。
「ふざけんなって思うよな。だって、デザインを考えて書くのと、それをデータ化するんだったらどっちが大変だと思ってやがるんだって。やってられるかって言って辞めてきた」
しばらく荒れていたけれど、トオルはすぐに優しくなった。
「なあ、優美。お前食べるものってどれだけ気をつかっている?」
優しいトオル。この時のトオルは大好きだ。かっこいい。
「さあ、野菜を大目に食べるくらいしか」
「なら、良い店連れて行ってやる」
そう言って連れて行ってくれたのはオーガニック野菜をふんだんに使っているレストランだった。トオルが言う。
「この前飲んでいたらさ、ここの店長と偶然一緒になって一度食べに来ないかって言われたんだ。うまいって評判だったから優美と来たかったんだ」
おしゃれなお店だった。つい写真にとってSNSであげた。翌週にテレビで取り上げれ、雑誌にも取り上げられていた。友達にも聞かれた。
「どうして知っていたの?」
「あそこ予約取れなくて有名なのに」
そう、トオルと行った時はまだグランドオープンしていなかったのだ。後から聞いたらお客としてふるまって食事を食べて意見を言って、後はブログとかSNSで紹介をするだけでお金が入るというものだった。
しばらくトオルはその手の仕事をやり続けていた。
「俺は知り合い多いし、この手の仕事なら楽勝だな」
私も楽しかった。でも、続かなった。理由は単純。トオルのコメントが大体同じなのだ。そこを指摘されてキレて帰って来たらしい。
「なんだよ。うまいものをうまい以外でどう表現しろって言うんだよ」
言いたいことはわかる。けれど、私の中ではトオルのこのモードが収まるのを待っているだけだ。
台風が来て通り過ぎるのを待つのと似たようなもの。トオルは喚いて、物を壁に投げつけたりする。
おかげで壁に凹みが何か所ができている。トオルの住まいはいつもそんな感じだ。
私が社会人になった時トオルから言われた。
「なあ、一緒に住まないか?そうしたらもっと一緒に居られるじゃないか」
一緒にいるとどんな比率で優しいモードのトオルと、怖いモードのトオルが現れるのだろう。
そう、思ったけれど、その時優しいモードのトオルだったから私は頷いてしまった。
実際日によって違うのだ。何事もトラブルがなければ常に優しいトオルなのだ。しかもこれだけかっこいいのに不思議とトオルは浮気をしない。
いつも面白いこと、楽しいことを見つけてきては私に紹介をしてくれる。
「ほかに女の子友達とかいないの?」
一度聞いたらこう返ってきた。
「いない。だってお前いるじゃん」
そう。私はいつのまにかトオルなしの生活がありえなくなってしまった。でも、わかっている。
瑞穂には何度も「別れなよ。あれ絶対ダメンズだよ」と言われた。なんかその単語好きみたいだ。という瑞穂が付き合っている彼氏も似たようなものじゃないと言いそうになった。いや、違う。瑞穂は付き合って別れてを何度も繰り返している。それも何人と。トオルからは「瑞穂って男の中じゃすぐやれる女って噂なんだよな」って言われてショックを受けた。
確かに瑞穂は惚れっぽい。毎回本気なのだ。恋に落ちるのも早い。でも、冷めるのも早いのだ。だからそんな瑞穂に言われても全然響かなかった。
だって、私は一途ですから。でも、凛々子に言われた時はショックだった。
「あのね、優美ちゃん。あのトオルさんって、いい人だと思うけれど、あの歳で定職についていないのって問題だと思うんだ。まだ優美ちゃんは若いからもっと色んな人を知ってからでもいいと思うんだ」
そう、これは私がトオルと一緒に住もうか悩んでいる時に凛々子から言われたセリフだ。確かに私よりトオルは年上だ。だが、仕事は長く続いても半年。ひどいときは1日でやめたことだってある。
そのくせいつも言うセリフは「俺はいつかビックになってやる」なのだ。何でとかはない。いつもその時の思い付きだ。でも、不思議と着眼点はいつも面白いのだ。
気が付くと私も24歳になっていて、トオルは28歳になっていた。実家を出ているからかお母さんからは頻繁に連絡が来る。その中で一番困るのが「そろそろ結婚しないの?」という内容だ。
したいよ。でも、今のトオルじゃ親に紹介できない。どうにかちゃんと働いてもらいたい。でも、トオルは人と違ったことをしたがる。今回はレーサーになるというものだった。その前は医者だった。医者になるにはドイツ語を学ぶと言い出したが医学部に入学するお金が高いからあきらめたのだ。そして今度はレーサーだ。
確かにトオルは運転がうまい。逗子であった時もトオルは車だった。あの二人、名前も顔も忘れてしまったけれど、あの二人はビールを飲んでいた。けれどトオルはお酒を飲まなかったのだ。トオルはむちゃくちゃお酒が好きなのだ。けれど飲まなかった。
そういえば、ずっと不思議なことがあった。トオルはかなりかっこいい。けれど一度もホストをしたいとか言い出さなかった。まあ、ホストで落ち着かれたら私は困るのだけれど。でも、一番似合そうだ。トオルにそう言えばもっと前に聞いたことがある。確か後輩が借金返済のために泣き疲れてすごくお金のことで悩んでいた時に「夜の世界で少し働くのはどうなの?」と聞いたらあっさりこう言われたんだ。
「は?お前が悲しむだろう。しねえよ」
そうなんだ。トオルはふざけているけれど、私のことを大事にしてくれるのだ。それはぶれない。ただ、他がぶれまくっているのだ。
けれど、私はまだわかっていなかった。トオルが何を考えているのか。ひょっとしたらトオルにも守るものが出来たらかわるかも。
そう思うようになった。多分それは凛々子の結婚式に呼ばれた時だったかもしれない。
凛々子の旦那は大手商社に勤めている人だ。新郎側の来賓が多いため凛々子から「絶対に式に来てね」と言われた。トオルもついてきた。珍しくしっかりしたスーツを着てかっこよかった。ちょっと、この人が私の彼氏なんだよって周りに自慢できた。楽しかった。
凛々子はすごくきれいだった。不思議と凛々子は髪をショートヘアにするようになり、私は髪を伸ばすようになった。凛々子の髪型にあこがれて伸ばしているということは言えなかった。
その日の夜だ。私はウソをついた。
「今日大丈夫な日だから」
今までそんなことを言ったことはなかった。翌日少し後悔をして、2週間たったらその後悔はどんどん大きくなった。
妊娠検査薬を何度も試した。結果は変わらなかった。そう、まだ早すぎるからだ。結構私の生理は不定期だ。ずれやすい。だから、今回もそうなのだろうって思っていた。そんな思いが1か月続いた。毎日1回は妊娠検査薬を試す。
ある日その検査薬の結果が変わった。見たことない結果になった。頭が真っ白になった。その時のトオルは調理人になるといって働いていた。
「俺がうまいもの作ってやるからな」
だが、調理師の免許を取るには実務期間がいるということを知ってトオルはあきらめた。そう、私がちょうど妊娠検査薬の結果が変わって頭が真っ白になっている日だった。
運が悪かっただけと言われたらそれまでなのかもしれない。でも、その日私ははじめて機嫌の悪いトオルに立ち向かった。
「なんでしっかりしてくれないの。お願いよ。ちゃんと働いて」
私のセリフにトオルはびっくりしていた。
「なんだよ。俺はお前のことを思ってだな」
「全然私のことなんて思ってくれてない。トオルがもっとしっかりしてくれたら私両親に紹介できる。この人と結婚しますって言える。今のトオルじゃ言えない」
私がそう言ったらトオルの顔がみるみる赤くなった。いや、元から赤かったかもしれない。トオルが言う。
「お前はなんだ。俺がちゃんと働いていないから結婚しないというのか。お前にとって俺の価値はそんなものなのか。肩書なんて関係ないじゃないか。俺の価値がどう変わるって言うんだ。俺は俺だろ」
「変わるわよ。世間がどう見ると思っているの?」
「世間なんて関係ないだろう。言いたいやつに言わせておけばいいんだ。俺はお前が認めてくれたらそれだけで十分なんだ」
「私は認めてなんていない。認めたいの。わかってよ。じゃなきゃ、この子どうしたらいいのよ!」
私がそう言ったらトオルがびっくりした顔になった。
「その子ってなんだよ」
「妊娠したの。トオルの子よ。あなた父親になって子供にも同じこと言えるの?」
トオルが後ずさる。
「おい、なんだよそれ。ウソだろ。ウソって言えよ」
「ウソじゃないわ。本当よ。妊娠検査薬で結果が出た。間違いない。トオルの子よ」
「いつだよ。おい」
「あの日。凛々子の結婚式の後のあの夜よ」
トオルの顔色が赤から青に変わっていく。
「お前、あの日大丈夫な日って言っただろう。だから俺。騙したのか!」
「違う。私は本当にトオルの子が欲しかったの。トオルに変わってほしかったの。お願い。トオル」
そう言って私は後ずさるトオルを追いかけた。トオルは「うるさい!」って言って私の頬を殴った。びっくりした。
静寂。痛いほどの静寂だ。
「悪かった」
消えそうな声でトオルがそう言った。
「なんで、なんで」
私は気が付いたら走って家を出て行った。一つだけ冷静だったのは私が財布を握りしめて出て行ったことだと思う。
後ろから追いかけてくる。そう思っていた。だが、ドアを開けた時トオルは座り込んでいた。
「意気地なし」
私はそうつぶやいた。
大通りまで歩く。だが、季節は2月。コートも着ずに私は大通りを歩いている。おかしな女だと思われているんだろうな。
私はそう思った。信号が変わる。とりあえずどこに行こうか悩んでいたら目の前にタクシーが止まっている。
覗き込むと赤い文字で空車と書かれてある。私は手招きしてタクシーを呼んだ。